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新潟県中越地震体験記7 [新潟県中越地震・災害]

黙り込んだままの消防無線。
いくら呼んでも本部は出ませんでした。
「非常事態だから無線封鎖しているのか?」とか、「でも非常事態にそれじゃ意味ないじゃん!」とか、ひとしきり侃侃諤諤しましたが、それより避難誘導が先だろうということになり、ようやく積載車は車庫を発車しました.

積載車で各地区を回りながら、指定避難場所への避難を促します。
家の前や道端で座っている人たちや、車の中で暖を取っている人たち。
中にはまだ家にいる人もいたり、「潰れて死んでもいいから家にいたい」と言い出す人もでる始末。
「安否確認ができるように、できるだけ他の人と一緒にいて下さい」とお願いするしかありません。
頼むよもぅ(泣)。

そうこうしているうちに、仕事で居なかった他の消防団員も少しづつ帰ってきました。
手分けをして、避難所へ消防用の投光器を設置したり、無線が使えないので災害対策本部(が設置されているであろう)へ報告に出発したり。
また、避難しない人の中には、収穫したばかりの米が心配だからと言う人もいるので、一般の人と協力して、地区内の道路を封鎖しました。

ほとんどの人が夕飯前でしたので、避難所の中では各家庭からご飯を持ち寄って、おにぎりと漬物だけの簡易な晩御飯です。
本震発生が、夕食の準備や夕食の時刻であったにもかかわらず、どの家からも火が出なかったことは、驚くべきことではないでしょうか。
※ 後日ニュースで、出火件数は県下全域で9件だったと聞きました。

あの大揺れの中で、冷静にガスの元栓を締め、孫に防寒着を着せて、おんぶ紐でおんぶまでして出てきたウチのおばぁは、なかなか大したもんだと感心しました。
子供に上着を着せるのが精一杯で、シャツだけで逃げ出してきた私とはエライ違いです。
年寄り、恐るべし。


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