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愛車遍歴6 [車]

楽しかった都会でのオープンカー生活に別れを告げ、実家に帰ってきたワタシ。その際に、絞るようにして稼いだお金をそっくりつぎ込んだエスを売りに出し、普段乗りできるような車に買い換えました。あえて東京で購入して田舎に持って帰ったのは、ワタシの最後の悪あがきだったのか。それとも東京での思い出の証としたかった、のかもしれません。往生際が悪いですね(笑)。

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画像はお借りしました


ホンダクイントインテグラ。グレードはVXでした。元々はごく普通な実用車だった、ホンダクイントという車種がありまして。あまりパッとしないクイントを、スタイリッシュに生まれ変わらせたのがクイントインテグラです。当初は3ドアと5ドアだけだったのですが、その頃ちょうど4ドアセダンが追加された頃でした。

ホンダですから、売りの本命は4気筒 1600cc DOHCのスポーティなハッチバック。でもワタシは後から追加になった4ドアセダンに惹かれました。それも1500cc SOHCの下級グレードのおとなしめな車。排気量が100cc違うだけで税金が安かったし、両親を乗せるのにはセダンが良いだろうと思ったのも事実、ですが…。
一番の理由は、エスに乗ってたワタシには、現在(当時)のDOHCエンジンに魅力を感じなかったからです。エンジンはエスのほうが全然良かったです。こりゃ今(当時)のDOHCエンジンに乗ってると、エスが忘れられなくて、逆にストレスが溜まりそう…と思いましたので、あえてSOHC1500ccを選んだ、ということもあります。

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画像はお借りしました


ホンダって会社は、これって思うとみんなそっちへ突き進んじゃう会社で、当時のホンダのマイブームはリトラクタブルヘッドライトでした。二代目プレリュードから始まったリトラクタブルヘッドライトは、シビックやクイントインテグラに、それから上級車のアコードまでもリトラクタブルになってました。
クイントインテグラのリトラクタブルヘッドライトは閉じた時には完全に閉じず、少し薄目になっているのが特徴でした。そのためライトが汚れやすかったのが残念でした。

あと、クイントって車名は気に入ってました。
その頃ホンダは、音楽用語を車名に使うこともマイブームでした。プレリュード、アコード、コンチェルト、バラード。クイントも五重奏のクインテッドからきています。でもクイントもこのクイントインテグラが最後で、次のモデルチェンジからはただのインテグラになる、とも言われていました。そうなるともう買うしかないでしょ。クイントの最終型。つまり、いつまでたっても最新型のクイント、ってことですもん。
田舎に帰ってからこのクイントインテグラは、長い間ワタシの足となり生活を支えてくれました。またそれだけはでなく、いろいろな出会いをも与えてくれました。カミサンとのデートもこの車でしたしね。

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この車での最も心に残る思い出といえば…。カミサンとのデートではなく(汗)。ワタシのその後の運転ポリシーに関わる、ある大きな出来事がありました。
これは以前の記事にも書きましたね。

関連記事:
 2005/03/05 『こだわりの運転術

ワタシが28歳の春。ある日曜日の昼下がり。
彼女もいなく暇だったワタシは、国道をアテもなく車を走らせていました。アテもなくとは言え、ルートからすると多分無意識に海に向かってたんだと思います。いつもの暇つぶしドライブコースでした。

国道をゆっくり流していたワタシのクイントインテグラ。
突然、右の路地からスクーターが飛び出してきました。国道は片道一車線の対面道路。スクーターは一時停止もせずに、そのまま一直線に対向車線を突っ切ってきて、ワタシの車の運転席側のドアにぶつかりました。
本当に一瞬でした。あっと思った時には、衝撃と共に、運転席側の窓に相手のヘルメットが張り付いていました。幸いスピードも出ていなかったこともあり、ぶつかった時、車はほとんど停止寸前でしたので、スクーターを跳ね飛ばすほどのこともなく、大きな事故にはなりませんでした。前後には他の車もなく、二次、三次の事故になることもありませんでした。とはいえ、もしスクーターが車の前に出てたら、と思うと、今でもゾッとします。

スクーターを運転していたのは若い女の子。ワタシも彼女もビックリして、すぐには声も出ませんでした。しばらくして我に帰って「大丈夫ですか?」と声をかけたと思うのですが、記憶は定かではありません。女の子も返事をしたのかどうか。今となってはそれすらもハッキリとは覚えていません。多分「はい」とか「大丈夫です」とか言ったとは思うのですが。

ワタシは車を左に寄せて停め、車を降りました。彼女はスクーターを起こすと、一生懸命にハンドルを押し、もと来た道を戻って行きます。スクーターはハンドルとフロントフォークが変なふうに曲がっていました。あーあれはもう廃車かな?とボンヤリ思いつつ、後ろ姿を見送り…。あれっ?えっ?行っちゃうの?
ワタシもその時は動転していたのか、病院に連れて行くとか、連絡先を聞くとか、すっかりタイミングを逃していました。

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生々しい写真で失礼します。

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どうしよう…。保険使うなら警察呼んどいたほうがいいよな。
ベッコリと凹んでしまったクイントインテグラのドアを見ながら、途方にくれていると。女の子が消えて行った路地から、おじさんがおいでおいでをしていました。近ずいて話を聞いてみると、さっきの女の子の父親でした。動揺も収まらないまま、ワタシはその父親に連れられて、路地の裏手にあるご自宅にお邪魔することになりました。
それがまたたいそうご立派な御宅。御殿というほどきらびやかではありませんが、超広大な敷地と大きなお屋敷でした。お屋敷の隣の工場みたいな敷地には、直径が1mもある丸太のままの材木が、何十本も積み上げられていました。材木問屋…かな?

ちょうどワタシがお屋敷の玄関を入るとき、奥の階段から彼女が降りてきました。先ほどとは違う服だったので、ああ二階で着替えてきたんだな、と。その時の格好が、ミニスカートだったかショートパンツだったか。若さゆえの無防備なその細い足に思いのほかドキドキッとして。それを隠すためにそらした視線の隅っこに、大きな絆創膏がチラリと見えました。ただ、びっこをひいている訳ではなさそうだったので、少し安心はしました。

「娘をキズモノにして!」って言われたらどうしよう…。

そんな心配をしたまま、客間に通されて、彼女のご両親とお話ししました。事故の際は周りには誰もいないと思っていましたが、実は近くで彼女の叔母さんが見ていたのだそうです。すでにその叔母さんが、事故の経緯を説明してくれていたので、ご両親はすべてを理解していました。
ところが話は変なことに…。


彼女は高校一年生で、何と三日前に原付免許の交付を受けたばかり。この事故が学校に知られるとバイク通学が禁止されるので、警察沙汰にはしたくない。保険屋を通さず済むように、修理代金はすべて持つので了承してほしい。


勝手にぶつかってきて金の問題じゃないだろ。何を勝手な、とも思いましたが、ここでゴネても車の凹みが戻るわけじゃなし。本当にバイク通学が禁止されたら困ることも良くわかります。それで相手の申し出を飲みました。
ただ一つだけ許せなかった、と言うか、心に突き刺さったことがあります。
ワタシが帰り際に父親が言った一言。

「もう少し歳が近かったら、くれても良かったんだけど(笑)」

父親が冗談っぽく言った一言。何かのドラマかアニメの展開にありそうなセリフが、突然目の前で発せられて、ワタシは驚きました。驚いたと言うか、ハッキリ言って、カチンときました。
はぁ?それ何ですか?江戸時代ですか?娘さんの気持ちは?つうか、こっちの気持ちは何もなしかよ?
ワタシも若かった。今なら、女子高生か…うーん…28歳と16歳か…うーん、なんて気持ちがぐらつくかもしれませんが(笑)。…いっ、いやまあ、若かったワタシは、そこは逆にカチンときた。
それでも

「いえいえ…とんでもありません」

とか何とか、モゴモゴと言って退散したのは大人の対応で偉かったな、と今考えると思います。母親はそんな父親に慣れているのか。

「そんな事言って。こちらさんにも良い人がいるわよ、ねー(笑)」

なんてフォローを。
う…ん?フォローか?もしかして馬鹿にされてんの?オレ。

その後、親父さんから何度か連絡してくることはありましたが、ワタシの方から連絡することはありませんでした。話は必ず修理屋さんを経由してましたね。何だろう、苦手というか嫌いな類の人間だったんでしょうね、きっと。
思い出してたら今になってわかった事があります。何に違和感を感じ、何に怒ってたのか。

「ウチの娘が大切な車に傷をつけてしまい、申し訳なかった」

あの時、何を置いても一番最初にそれを言って欲しかったんです。ワタシは。
そして何より、ほんの少しのタイミングの違いで、スクーターは車の前に飛び込んできたかもしれないのです。笑い事や冗談では済まされません。

「もしかしたら娘さんは死んでたかもしれないんですよ!」

そう言いたかったんです。ワタシは。
それを冗談で済ませてしまう父親が許せなかった。
ワタシも父親になったからなのか、今になって考えると、それが良くわかります。

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その後、その親娘の事は別として、事故の件について色々と考えました。
結局この事故の原因は何か。どうしてこんな事故が起こったのか。

そもそもスクーターの女子高生にはワタシの車が見えなかったのだそうです。
天気は曇りだったとはいえ、午後も早い時間です。道路はほとんど直線で見通しだって悪くない。スピードはかなり遅めだったし。ボディカラーはシルバーで見えにくくはない。どちらかと言うと目立つほう。

なぜワタシの車が見落とされたんだろう?その後、ずっと頭の隅に引っかかっていました。
それがある時ふと気付きました。なぜ見落としたのか、考えてもわかるわけがない、自分じゃないから。それよりも、こんなことにならないために、を考えたほうが良い。それなら簡単だ、見落とされないように、目立てばいいんだ!

それからです。いつもヘッドライトを点けて走るようになりました。
ところが今度は大変。周りから、「ライト点いてますよ攻撃!」の雨あられです。不本意ながら数ヶ月で断念しました。今的に言えば「オフラインの炎上」って感じです。まだ宅急便のトラックが常時点灯を始めるずっと前でしたからね。世の中的にもまだ早かったんでしょう。
そこで、常に、というのを諦めて、天気が悪い、雨が降っている時にライトをつけるようにしました。雨天点灯ってやつです。
それでもいろんな人がいろんな方法でライトを消させようとしてきましたが、それはもうガン無視することに決めました。それだけ目立ってる、ということだから本望だと考えるようにしました。

そんなこんなでそれから30年近く、車が何度変わっても、雨天点灯を続けてきました。とは言っても今はオートライトですから、雨天じゃなくても、曇天でもライトが点いています。でももう気にしません。ワタシの車を見落とす人がいなくなれば。それならそれでいいのです。


ヘッドライト関連記事:
 2005/03/05 『こだわりの運転術
 2005/03/06 『こだわりの運転術 追記
 2015/06/07 『オートライトに思うホームとアウェイ
 2015/06/25 『どうもこうも道交法 ヘッドライト編
 2016/05/07 『球切れ、消し忘れ、ユルサナイ…
 2017/10/03 『信号待ちのヘッドライト 復刻版


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