おまえたちサイコーだぜ [育児]
前回あまりにもやさぐれた記事を書いたもんですから、大変な反響がありました…子供たちから(汗)。
夜、寝ようと布団に入ったワタシを叩き起こして息子が直談判。そして次の日には、晩ご飯を食べ、お風呂から出た後の、娘からの電話。娘の電話には途中から息子も加わり、通話時間がなんと2時間の、めっちゃ長電話となりました。この世の中、思春期前後の子供とそんな長話してる父親っている?
とは言え、思いがけず子供たちと、普段恥ずかしくて話せないような深い話ができて、とても有意義でした。
改めて、ウチの子供たちってサイコー!って思いました。(親馬鹿かよ)
(いらすとや)
親なんて結局、子供が成長するのと同じ時間しか親やってないんですから。いろいろ試行錯誤なわけですよ。でも子供から見ると、親は絶対的存在だそうで、何でも知ってて何でもわかって何でもできる…みたいな。そんなわけねーだろ(笑)。
今回の件で、子供たちがわかったことがあるそうです。
「親も傷つくんだー」
おいっ(笑)。
親だって人間だってのー。ひどいこと言われりゃ凹むし悲しくもなるわい。
子供たちは子供たちなりに色々と悩み苦しんでいます。でも考え方はすごくしっかりしている。すごく冷静に、すごく深く突っ込んで、自分というものを観察しているんだな、と思いました。少なくともワタシが同じ世代だった頃とは雲泥の差です。自分の子供とは言え、本当に驚きました。
この際ついでなので、ワタシが今まで生きてきたことで得た、人生の心得のようなものも披露しておきました。
それは、何か行動する時に誰かのためと思ってはダメってこと。誰かや何かのためって思った時点で、それはエゴ、思い上がり、あるいは押し付けでしかありません。行動の理由は「自分がやりたいから」だと思いなさい、と。
誰かのために何かをすると、どうしても見返りを期待してしまいます。また、それが思うようにいかなかったり、失敗したりしたら、その人のせいにしてしまいがちです。そんなことを続けていると、嫌いな人がどんどん増えていってしまいます。でも自分がやりたくてやったことなら、もし失敗してもそれは自分のせい。だから、自分がやることは自分がやりたいからやっているだけ、という意識でいなさい。誰かのために…とか思っちゃダメだよ、という話をしました。
これは、以前の記事で書いた「最終決定者は自分」という考え方を、さらに推し進めて、この歳でようやく辿り着いた、最新で最終形態とも言うべき、現在のワタシが生きるための指標であります。
関連記事:
2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
もしコロナがなかったら、直接顔を合わせていろんな話ができたのに…なんて一瞬思いもしましたが、いやいや違うぞと思い直しました。コロナ禍だからこそ、普段恥ずかしくて話せないようなことを、この機会にじっくり話せたのかもしれません。不幸中の幸い?怪我の功名?それを言うなら「人間万事塞翁が馬」か。
また改めてこういう機会を作ろうと、子供たちと約束しました。今度はカミサンも交えてね。
ホント、ウチの子供たち、サイコー!
(大事なことなので2回書きました)
夜、寝ようと布団に入ったワタシを叩き起こして息子が直談判。そして次の日には、晩ご飯を食べ、お風呂から出た後の、娘からの電話。娘の電話には途中から息子も加わり、通話時間がなんと2時間の、めっちゃ長電話となりました。この世の中、思春期前後の子供とそんな長話してる父親っている?
とは言え、思いがけず子供たちと、普段恥ずかしくて話せないような深い話ができて、とても有意義でした。
改めて、ウチの子供たちってサイコー!って思いました。(親馬鹿かよ)
(いらすとや)
親なんて結局、子供が成長するのと同じ時間しか親やってないんですから。いろいろ試行錯誤なわけですよ。でも子供から見ると、親は絶対的存在だそうで、何でも知ってて何でもわかって何でもできる…みたいな。そんなわけねーだろ(笑)。
今回の件で、子供たちがわかったことがあるそうです。
「親も傷つくんだー」
おいっ(笑)。
親だって人間だってのー。ひどいこと言われりゃ凹むし悲しくもなるわい。
子供たちは子供たちなりに色々と悩み苦しんでいます。でも考え方はすごくしっかりしている。すごく冷静に、すごく深く突っ込んで、自分というものを観察しているんだな、と思いました。少なくともワタシが同じ世代だった頃とは雲泥の差です。自分の子供とは言え、本当に驚きました。
この際ついでなので、ワタシが今まで生きてきたことで得た、人生の心得のようなものも披露しておきました。
それは、何か行動する時に誰かのためと思ってはダメってこと。誰かや何かのためって思った時点で、それはエゴ、思い上がり、あるいは押し付けでしかありません。行動の理由は「自分がやりたいから」だと思いなさい、と。
誰かのために何かをすると、どうしても見返りを期待してしまいます。また、それが思うようにいかなかったり、失敗したりしたら、その人のせいにしてしまいがちです。そんなことを続けていると、嫌いな人がどんどん増えていってしまいます。でも自分がやりたくてやったことなら、もし失敗してもそれは自分のせい。だから、自分がやることは自分がやりたいからやっているだけ、という意識でいなさい。誰かのために…とか思っちゃダメだよ、という話をしました。
これは、以前の記事で書いた「最終決定者は自分」という考え方を、さらに推し進めて、この歳でようやく辿り着いた、最新で最終形態とも言うべき、現在のワタシが生きるための指標であります。
関連記事:
2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
もしコロナがなかったら、直接顔を合わせていろんな話ができたのに…なんて一瞬思いもしましたが、いやいや違うぞと思い直しました。コロナ禍だからこそ、普段恥ずかしくて話せないようなことを、この機会にじっくり話せたのかもしれません。不幸中の幸い?怪我の功名?それを言うなら「人間万事塞翁が馬」か。
また改めてこういう機会を作ろうと、子供たちと約束しました。今度はカミサンも交えてね。
ホント、ウチの子供たち、サイコー!
(大事なことなので2回書きました)
遅ればせながら前記事と合わせて読ませていただきました。
なんか、3回も4回も読んでしまいました笑
私も向き合い方について、ひっじょーーーに悩んでいるところがあって、これは私のスタンスを変えるべきなのか思春期の一過性のものなのか、いやいや自分だって十代はそんなもんだっただろ親になんか相談すらしなかったじゃないかと堂々巡りをしていました。
自分の子供時代を反面教師に、コミュニケーションがしっかり取れて、分かり合える関係になりたいと思い続けていたはずが、、、なんて。
結論はありませんが、なんか元気をもらえました。ありがとうございました。
by nal (2021-04-19 11:51)
nalさん
コメントありがとうございます!皆さん同じような悩みを抱えていますねー。
今回子供たちと踏み込んだ話ができてすごく嬉しかったです。うまいことblogが仲を取り持ってくれました。今回はblogに救われたと思っています。
子供たち、少なくともワタシの学生時代よりかはずっと、冷静に自分を見つめているんだなと感じました。これからはあまりクドクド言ったりするのはやめます。たとえもし中退とかになったとしてもそれは失敗ではないし、単なる軌道修正なのだと思うことにします。どこに向かって軌道修正するのかはよく話を聴き、それが理解できなかったとしても、全力で応援してることは常に伝え続けます。親ができることははもうそれだけしかないのかな、と思いました。
それにしても。blog…無駄じゃなかった。
by GEN11 (2021-04-19 17:38)