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東京が晴れた日 [育児]

新潟工科大学という大学があります。新潟県内の有力企業が出資して作った私立大学です。その大学の大川秀雄学長の、ある機関誌への寄稿に、こんな一節がありました。


『新潟県人(越後人)とは何か…』

(前略)江戸時代の終わりから明治時代に掛けて、越後の国の人口は全国でトップであった。しかし、角兵衛獅子、今で言うところの子供虐待?で象徴されるように、そこまでして銭を稼がなければならないほど貧乏な国でもあった。
ずっと謎であったが、昔の新潟市郷土資料館館長の池氏のご講演で納得した。
「どんなに記録をあさっても『間引いた記録が出てこない』のが越後の国」だそうだ。「そうか、現金がなくて貧しくとも、命を繋ぐ食べ物はあったのか」と理解した。(後略)


そして学長は、その後も次のように続けます。

今はどうか。人も物も首都圏への供給県となっている。
昔よく言われた。「風呂屋と豆腐屋の多くは越後人」。口数が少なく、まじめでよく働く代名詞であった。

…と。



そうなんです。
その膨大な数の越後人がどこに行ったかというと、ほとんどが関東、特に東京へ流出しています。ワタシも高校を卒業して上京したクチですが、その頃(30数年前)でも実際に東京でよく聞きましたね。

「東京都内で最も多い人種は『新潟県人』なんだよ」

東京で生まれ育った生粋の原住民都民よりも新潟県人が多いと言うのです。
まあ確かに、新潟県人からすると、雪の積もらない東京へのあこがれは半端ありません。毎年毎年、一年の三分の一は雪に閉じ込められる生活。今は融雪が進んでいて、昔ほど生活に支障はありませんが、毎日毎日あの鉛色の雲の下で過ごしていると、関東の晴わたる青空が恨めしく思えてくるのも無理はありません。だから進学と言えば関東の大学を目指すし、就職と言えばみんな上京します。

そうやって一度関東の生活を味わうと、もう雪国に戻りたくないですよね。除雪から解き放たれた新潟県人って、もうそれだけで人生薔薇色なんですよ。ワタシも当時は、できることなら盆暮れ正月すら帰りたくなかったですもん。
かくして、新潟は人口減少に歯止めがかからない、というわけです。


息子もそろそろ進路を考える時期がやってきました。
ワタシも雪や親父が嫌で上京したわけなので、息子にも進学にしろ就職にしろ新潟に縛られることはない、と思っています。自分の思う方向に進めばいいのです。

関連記事:
 2005/01/16 『拝啓 屋根の上から
 2005/01/16 『雪下ろしの音
 2005/01/17 『拝啓 屋根の上から

息子がこれからどんな道を進むのか、まだまだわかりませんが、出来ることなら家を出て知見を広げて欲しいです(以前、半年ほど寮生活して出戻っていますが)。自分が生まれ育った家を、地域を、外から客観的に眺められる良い機会ですし、その経験は絶対にその後の彼の人生の糧になるはずです。

そのうえで最終的に帰ってくるならそれでもいいし、何なら帰ってこなくてもいい。自分の居場所がそこにあるってことですからね。今のこの時代。離れていても顔を見ながら話もできるし、時間を気にせずSNSでつながっていられます。
家を継ぐ、とか、親の面倒を、なんてことは、これっぽっちも考えなくていいので、自分の人生を生きてほしいです。

東京新潟物語mini.jpg
(吉乃川酒造)


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