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愛車遍歴7 [車]

ホンダクイントインテグラVXとの長い長いお付き合いが始まりました。
そんな中で、いくら雪国とは言え天気の良い時もあるわけで。

「あーこんな時にはS800に乗りたいなー」
「やっぱ売らなきゃよかったなー」

なんて、結局いつもエスを懐かしく思い出していました。後悔先に立たず。
でも実家暮らしも長くなると、都会暮らしの時に使ってた家賃や食費などの分のお金が、そっくり貯まってきます。そっくりでもないか。車の維持費とかありますもんね。
そんなある時、預金通帳を見てて思いました。

「もしかして、もうちょっと頑張ればS800買えるんじゃ…」

そんな妄想がムラムラと湧いてきました。
とは言え、欲しくなったからといってすぐに買える車ではありません。
まずは雑誌などで最近のエスの相場を調べてみたらビックリ。ワタシが所有していた頃の、ほとんど二倍以上になっているじゃありませんか。そうです。世の中はバブル景気の時代になっていたのです。
そんな中でも安いエスはないかな、と探すも、フロアに穴が開いているようなエスでも300万!400万!!少しまともそうなものになるともう手が届く金額ではありません。

ダメ元で聞いてみようかな、ということで、前エスを買い取ってもらった旧車ショップに連絡してみました。そこは以前エンジンのオーバーホールをお願いしたところで、結構懇意にしていただいたお店です。
聞くとそこでもやはり買えそうにない値段。さらには、質の悪いエスを転売目的で扱う店が増えたりして、レストアに回ってくるエスが激減していて困っている、とのことでした。
ざっと今後販売予定のエスの仕様を聞くとワタシの希望とも合いません。

Honda S800には大きく分けて前期型と後期型、最終型Mタイプの3種類があります。前期型はチェーン駆動(ちょうどバイクの後輪2台分を横に並べた構造)。後期型はリジッドアクスル(後輪左右の軸がデファレンシャルギヤで一本につながった一般的な構造)。Mタイプは後期型に輸出向けのリフレクター(反射材)などが追加されたものです。
ワタシが欲しかったのは東京で乗ってたエスと同じ、前期型。チェーンタイプです。発進時、クラッチをつないでググッとトルクをかけると、チェーンが張ってリアがクイッと持ちあがるんです。これがまたヘリコプターが前進する時に前傾するのを連想させて、超カッコいいんです!(個人の感想です)
※リアサスのショックが抜けてると特に顕著(笑)

ショップの社長は、前期型でそこそこの程度の良いものが手に入ったら連絡する、と約束してくれました。





そして5年後(爆)。
約束通り、社長から連絡が来ました。
忘れてなかったんだ社長ぉ~っ(泣)!

「色はシルバー」
「北海道のマニアがエスを何台か持ってて」
「レース仕様のエスが欲しくて1台手放すみたい」
「車はまだ現地」

5年ですよ5年。これを逃したら次はいつになるかわかりません。
バブルもはじけてしばらくたち、価格もまあまあ落ち着いて来ていました。
エスというとボディカラーは大体、赤、黄、緑、白、ってところが多いです。シルバーってどうかなぁと思って、持ち主の方から写真を送ってもらうと、シルバーもなかなか悪くない。そこでワタシはもう迷うことなく購入を決めたのでした。
信頼のできるお店の紹介だし、金額もそこそこだったし、変な転売屋じゃなくて、エス好きなユーザーというのも安心できましたしね。

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そうやってついに二代目S800がワタシのところにやってきました。同じ車が2回目なんて前代未聞です。これを手放したらもう次は手に入れられないぞ(費用的にも年齢的にも…世間的にも:笑)と心に刻み込んでいます。
ここからワタシのクルマ道楽第二ステージ(2台持ち)が始まり、そのまま現在まで続いています。この車についてはblogでもたくさん記事にしていますので、以下にまとめておきましょう。


関連記事:
 2005/05/22 『ストレス解消中
 2006/08/12 『車検がクルマをダメにする
 2007/04/14 『寒い時がいいのだ
 2010/04/11 『45年前のプリウス
 2014/04/29 『6年ぶりに回してみた…と思ったら4年ぶりだった(汗)
 2014/08/30 『ペダルは軽く心も軽く
 2015/12/15 『まだ動きます
 2016/04/09 『桜並木とS800
 2016/05/08 『虫干し
 2016/09/27 『逆アリゲーター
 2017/04/16 『ごきげんいかが?ワン・ツゥ・スリー


クイントインテグラとS800。ホンダ車2台持ちとなったワタシ。
ほどなくしてカミサンと知り合い、その後3年ほどお付き合いし結婚することになりました。
ちょうど結婚前後の頃は仕事が非常に忙しくて、毎日毎日深夜まで仕事してましたね。今ならブラック企業とか過労死一歩手前とかいうレベルでした。ワタシもまだまだ若かったので無理がきいたのかもしれません。まだまだ元気で、何も変わらずこのまま行けると思ってました。この頃は…。

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悪魔のように細心に、天使のように大胆に [今を生きる]

はやぶさ2、やりましたね。
タッチダウン成功!
おめでとうございます。

当初は去年の10月の予定だったタッチダウン。
リュウグウの地表があまりにも岩だらけで、着地場所の選定ができずに延期。

「一度立ち止まろうと思う」

津田PMの言葉をニュースで聞いた時、どれだけ厳しい状況なのか、と思いましたね。
しかしその後、調査に調査を重ね、検討に検討を重ね、ついにやりました。

まさしく『悪魔のように細心に、天使のように大胆に』でしたね。
素晴らしかったです!
おまけにタッチダウンの証拠写真まで(笑)。

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画像はお借りしました


かかわった皆さんの努力が実った瞬間でした。
ホントおめでとうございます。

そして次のステップへ。
前代未聞。インパクターによる小惑星の破壊(ある意味ね:爆)!
ニュースではそこに触れられてないのが残念です。

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画像はお借りしました


そう言えば、ニュースでたくさん紹介してたのが。

「初号機とは違うのだよ。初号機とは!」

というプレート。
ガンダム好きな人には笑ってもらえるのはわかってる。
でもなぁ。

もう少し、初号機へのリスペクトがあっても良いと思うよ?


関連記事:
 2018/10/26 『先に行って待ってるよ


はやぶさ初号機関連記事:
 2010/04/16 『3年遅れのただいま
 2010/05/31 『大迫力っ 全天周映像
 2010/06/05 『はじめてのおつかい
 2010/06/13 『帰還まであと少し
 2010/06/14 『おかえりなさい
 2010/08/01 『カプセル観た


JAXA関連記事:
 2012/04/22 『宇宙開発の敵、それはDQN



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愛車遍歴6 [車]

楽しかった都会でのオープンカー生活に別れを告げ、実家に帰ってきたワタシ。その際に、絞るようにして稼いだお金をそっくりつぎ込んだエスを売りに出し、普段乗りできるような車に買い換えました。あえて東京で購入して田舎に持って帰ったのは、ワタシの最後の悪あがきだったのか。それとも東京での思い出の証としたかった、のかもしれません。往生際が悪いですね(笑)。

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画像はお借りしました


ホンダクイントインテグラ。グレードはVXでした。元々はごく普通な実用車だった、ホンダクイントという車種がありまして。あまりパッとしないクイントを、スタイリッシュに生まれ変わらせたのがクイントインテグラです。当初は3ドアと5ドアだけだったのですが、その頃ちょうど4ドアセダンが追加された頃でした。

ホンダですから、売りの本命は4気筒 1600cc DOHCのスポーティなハッチバック。でもワタシは後から追加になった4ドアセダンに惹かれました。それも1500cc SOHCの下級グレードのおとなしめな車。排気量が100cc違うだけで税金が安かったし、両親を乗せるのにはセダンが良いだろうと思ったのも事実、ですが…。
一番の理由は、エスに乗ってたワタシには、現在(当時)のDOHCエンジンに魅力を感じなかったからです。エンジンはエスのほうが全然良かったです。こりゃ今(当時)のDOHCエンジンに乗ってると、エスが忘れられなくて、逆にストレスが溜まりそう…と思いましたので、あえてSOHC1500ccを選んだ、ということもあります。

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画像はお借りしました


ホンダって会社は、これって思うとみんなそっちへ突き進んじゃう会社で、当時のホンダのマイブームはリトラクタブルヘッドライトでした。二代目プレリュードから始まったリトラクタブルヘッドライトは、シビックやクイントインテグラに、それから上級車のアコードまでもリトラクタブルになってました。
クイントインテグラのリトラクタブルヘッドライトは閉じた時には完全に閉じず、少し薄目になっているのが特徴でした。そのためライトが汚れやすかったのが残念でした。

あと、クイントって車名は気に入ってました。
その頃ホンダは、音楽用語を車名に使うこともマイブームでした。プレリュード、アコード、コンチェルト、バラード。クイントも五重奏のクインテッドからきています。でもクイントもこのクイントインテグラが最後で、次のモデルチェンジからはただのインテグラになる、とも言われていました。そうなるともう買うしかないでしょ。クイントの最終型。つまり、いつまでたっても最新型のクイント、ってことですもん。
田舎に帰ってからこのクイントインテグラは、長い間ワタシの足となり生活を支えてくれました。またそれだけはでなく、いろいろな出会いをも与えてくれました。カミサンとのデートもこの車でしたしね。

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この車での最も心に残る思い出といえば…。カミサンとのデートではなく(汗)。ワタシのその後の運転ポリシーに関わる、ある大きな出来事がありました。
これは以前の記事にも書きましたね。

関連記事:
 2005/03/05 『こだわりの運転術

ワタシが28歳の春。ある日曜日の昼下がり。
彼女もいなく暇だったワタシは、国道をアテもなく車を走らせていました。アテもなくとは言え、ルートからすると多分無意識に海に向かってたんだと思います。いつもの暇つぶしドライブコースでした。

国道をゆっくり流していたワタシのクイントインテグラ。
突然、右の路地からスクーターが飛び出してきました。国道は片道一車線の対面道路。スクーターは一時停止もせずに、そのまま一直線に対向車線を突っ切ってきて、ワタシの車の運転席側のドアにぶつかりました。
本当に一瞬でした。あっと思った時には、衝撃と共に、運転席側の窓に相手のヘルメットが張り付いていました。幸いスピードも出ていなかったこともあり、ぶつかった時、車はほとんど停止寸前でしたので、スクーターを跳ね飛ばすほどのこともなく、大きな事故にはなりませんでした。前後には他の車もなく、二次、三次の事故になることもありませんでした。とはいえ、もしスクーターが車の前に出てたら、と思うと、今でもゾッとします。

スクーターを運転していたのは若い女の子。ワタシも彼女もビックリして、すぐには声も出ませんでした。しばらくして我に帰って「大丈夫ですか?」と声をかけたと思うのですが、記憶は定かではありません。女の子も返事をしたのかどうか。今となってはそれすらもハッキリとは覚えていません。多分「はい」とか「大丈夫です」とか言ったとは思うのですが。

ワタシは車を左に寄せて停め、車を降りました。彼女はスクーターを起こすと、一生懸命にハンドルを押し、もと来た道を戻って行きます。スクーターはハンドルとフロントフォークが変なふうに曲がっていました。あーあれはもう廃車かな?とボンヤリ思いつつ、後ろ姿を見送り…。あれっ?えっ?行っちゃうの?
ワタシもその時は動転していたのか、病院に連れて行くとか、連絡先を聞くとか、すっかりタイミングを逃していました。

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生々しい写真で失礼します。

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どうしよう…。保険使うなら警察呼んどいたほうがいいよな。
ベッコリと凹んでしまったクイントインテグラのドアを見ながら、途方にくれていると。女の子が消えて行った路地から、おじさんがおいでおいでをしていました。近ずいて話を聞いてみると、さっきの女の子の父親でした。動揺も収まらないまま、ワタシはその父親に連れられて、路地の裏手にあるご自宅にお邪魔することになりました。
それがまたたいそうご立派な御宅。御殿というほどきらびやかではありませんが、超広大な敷地と大きなお屋敷でした。お屋敷の隣の工場みたいな敷地には、直径が1mもある丸太のままの材木が、何十本も積み上げられていました。材木問屋…かな?

ちょうどワタシがお屋敷の玄関を入るとき、奥の階段から彼女が降りてきました。先ほどとは違う服だったので、ああ二階で着替えてきたんだな、と。その時の格好が、ミニスカートだったかショートパンツだったか。若さゆえの無防備なその細い足に思いのほかドキドキッとして。それを隠すためにそらした視線の隅っこに、大きな絆創膏がチラリと見えました。ただ、びっこをひいている訳ではなさそうだったので、少し安心はしました。

「娘をキズモノにして!」って言われたらどうしよう…。

そんな心配をしたまま、客間に通されて、彼女のご両親とお話ししました。事故の際は周りには誰もいないと思っていましたが、実は近くで彼女の叔母さんが見ていたのだそうです。すでにその叔母さんが、事故の経緯を説明してくれていたので、ご両親はすべてを理解していました。
ところが話は変なことに…。


彼女は高校一年生で、何と三日前に原付免許の交付を受けたばかり。この事故が学校に知られるとバイク通学が禁止されるので、警察沙汰にはしたくない。保険屋を通さず済むように、修理代金はすべて持つので了承してほしい。


勝手にぶつかってきて金の問題じゃないだろ。何を勝手な、とも思いましたが、ここでゴネても車の凹みが戻るわけじゃなし。本当にバイク通学が禁止されたら困ることも良くわかります。それで相手の申し出を飲みました。
ただ一つだけ許せなかった、と言うか、心に突き刺さったことがあります。
ワタシが帰り際に父親が言った一言。

「もう少し歳が近かったら、くれても良かったんだけど(笑)」

父親が冗談っぽく言った一言。何かのドラマかアニメの展開にありそうなセリフが、突然目の前で発せられて、ワタシは驚きました。驚いたと言うか、ハッキリ言って、カチンときました。
はぁ?それ何ですか?江戸時代ですか?娘さんの気持ちは?つうか、こっちの気持ちは何もなしかよ?
ワタシも若かった。今なら、女子高生か…うーん…28歳と16歳か…うーん、なんて気持ちがぐらつくかもしれませんが(笑)。…いっ、いやまあ、若かったワタシは、そこは逆にカチンときた。
それでも

「いえいえ…とんでもありません」

とか何とか、モゴモゴと言って退散したのは大人の対応で偉かったな、と今考えると思います。母親はそんな父親に慣れているのか。

「そんな事言って。こちらさんにも良い人がいるわよ、ねー(笑)」

なんてフォローを。
う…ん?フォローか?もしかして馬鹿にされてんの?オレ。

その後、親父さんから何度か連絡してくることはありましたが、ワタシの方から連絡することはありませんでした。話は必ず修理屋さんを経由してましたね。何だろう、苦手というか嫌いな類の人間だったんでしょうね、きっと。
思い出してたら今になってわかった事があります。何に違和感を感じ、何に怒ってたのか。

「ウチの娘が大切な車に傷をつけてしまい、申し訳なかった」

あの時、何を置いても一番最初にそれを言って欲しかったんです。ワタシは。
そして何より、ほんの少しのタイミングの違いで、スクーターは車の前に飛び込んできたかもしれないのです。笑い事や冗談では済まされません。

「もしかしたら娘さんは死んでたかもしれないんですよ!」

そう言いたかったんです。ワタシは。
それを冗談で済ませてしまう父親が許せなかった。
ワタシも父親になったからなのか、今になって考えると、それが良くわかります。

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その後、その親娘の事は別として、事故の件について色々と考えました。
結局この事故の原因は何か。どうしてこんな事故が起こったのか。

そもそもスクーターの女子高生にはワタシの車が見えなかったのだそうです。
天気は曇りだったとはいえ、午後も早い時間です。道路はほとんど直線で見通しだって悪くない。スピードはかなり遅めだったし。ボディカラーはシルバーで見えにくくはない。どちらかと言うと目立つほう。

なぜワタシの車が見落とされたんだろう?その後、ずっと頭の隅に引っかかっていました。
それがある時ふと気付きました。なぜ見落としたのか、考えてもわかるわけがない、自分じゃないから。それよりも、こんなことにならないために、を考えたほうが良い。それなら簡単だ、見落とされないように、目立てばいいんだ!

それからです。いつもヘッドライトを点けて走るようになりました。
ところが今度は大変。周りから、「ライト点いてますよ攻撃!」の雨あられです。不本意ながら数ヶ月で断念しました。今的に言えば「オフラインの炎上」って感じです。まだ宅急便のトラックが常時点灯を始めるずっと前でしたからね。世の中的にもまだ早かったんでしょう。
そこで、常に、というのを諦めて、天気が悪い、雨が降っている時にライトをつけるようにしました。雨天点灯ってやつです。
それでもいろんな人がいろんな方法でライトを消させようとしてきましたが、それはもうガン無視することに決めました。それだけ目立ってる、ということだから本望だと考えるようにしました。

そんなこんなでそれから30年近く、車が何度変わっても、雨天点灯を続けてきました。とは言っても今はオートライトですから、雨天じゃなくても、曇天でもライトが点いています。でももう気にしません。ワタシの車を見落とす人がいなくなれば。それならそれでいいのです。


ヘッドライト関連記事:
 2005/03/05 『こだわりの運転術
 2005/03/06 『こだわりの運転術 追記
 2015/06/07 『オートライトに思うホームとアウェイ
 2015/06/25 『どうもこうも道交法 ヘッドライト編
 2016/05/07 『球切れ、消し忘れ、ユルサナイ…
 2017/10/03 『信号待ちのヘッドライト 復刻版


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続けることが難しい [今を生きる]

一週間ほど前にスキーに行った記事を書きましたが、その夜のこと。
雪まつりがあったので、重い身体を引きずって、見に行って来ました。
本当は屋台が目当てだったのですけど。

ワタシが子供の時はもっと規模が大きくて、大きな雪像がたくさんあったもんですが、今はもう見る影もありません。駅前に小さなのが一つ。あとは商店街の店の前にもっと小さいものが一つ二つあるくらい。

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なかなかね。市もお金がないのでね〜。
ま、そんなこと言ってるからどんどん先細りになってしまうんでしょうか。
それでも何でも続けることはやっぱり大変なのですよね。
でも今年は結構人出はあったかも。
逆に雪が少なかったのが残念でした。

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雪まつりが終わったそのまた一週間後。
隣町でもまたお祭りです。

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ここも由緒正しき古くから続くお祭りなのです。
以前にも何回か記事にしてましたね。

関連記事:
 2008/02/21 『寒いからこそ暖かい…のかも
 2010/02/27 『江戸時代に行ってきました
 2014/03/01 『雛人形は勝負好き?


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幻想的なこの風景も大好き。
ずっとずっと未来にも続いていってほしいです。



独り言:
さて、もしかしてこの記事は前記事の最後「あとのまつり」に掛けた?と思った人がいたかな。いやさすがにそこまで気付くわけないよね(笑)。



タグ:雪まつり
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愛車遍歴5 [車]

さてさて愛車遍歴も5台目となりました。
前回のジムニーSJ30FKでフルオープンに目覚めたということで、ご存知の方はお気づきと思います。
はい、その通りです。
なんて影響されやすいんでしょうワタシ…。


5台目の愛車となりますのはホンダS800。通称エスハチ、略称エスです。
この車に関しては以前もこのblogに何度か登場しています。
前記事と行ったり来たりしてご覧ください。

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関連記事:
 2005/10/10 『ワクワクするクルマが好き

先輩が青空駐車場でブルーシートにくるんでたエスハチを譲り受けたワタシ。
エンジンはとりあえず回って走れはするものの、ボディもフロアも錆がひどくて穴だらけ。これはもう修理というよりレストアというレベルです。
雑誌をいろいろ見て、ある専門工場にお願いすることにしました。お金もないのでとりあえずボディだけ載せ替えることに。

当時はまだ本田宗一郎氏がご存命で、ホンダSF(ホンダ直系のサービス工場)もあり、エスの新品パーツも手に入った頃です。
当然ながらワタシも新品のボディパネルを使いました。
エスは駆動系フレームの上にボディが乗っかっている構造です。実物大のプラモデルみたいです。
レストア時の写真があったのですが、ちょうどアルバムが見つからなくて…(汗)。見つかったら後で追加したいと思います。
新品のボディとは言っても、金型が古くなっていてプレスが甘く、かなり修正しないと取り付かないんです。当時ですでに30年前の車です。新品のボディパネルが手に入るだけで驚異的ですよね。
他メーカーの旧車を持ってる人は、ボディどころか細かいパーツですら手に入りにくく、かなり苦労していました。どうしても手に入らない部品は個人的に特注で作ったり。

「ホンダ車はいいよね〜」

他メーカーの旧車乗りからは、よく羨ましがられてました。
もともとエスは海外にもファンクラブが多く、そういうところが部品の必要数をまとめて、ホンダに注文していたんです。だいたい多めに発注するので、余った新品が世界中に回っていて、ホンダSFに在庫がなくても、専門工場をツテにクラブに問い合わせると手に入る部品もありました。
今のようにインターネットオークションで簡単に、という時代ではありませんでしたけど。
なんだかんだで乗れるようになるまで一年くらいかかりましたね。

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働いていたとはいえまだ22歳の頃で給料もたかが知れています。
忙しくて残業代が多かったのがせめてもの救いでしたが、それでも追い付かず。切りつめられるところは切りつめました。
会社の寮でしたので平日の朝食と夕食は出ます。食費を切りつめるとしたら昼食しかありません。
それでまずは一年間お昼を抜きました。さらに休日はほとんど一日一食。だいたいが、ほか弁の、のり弁280円とか。そんな慎ましい生活を続け、何とか費用を捻出しました。
あ~ワタシも若かったな~。

車が帰ってくるとさすがに寮の青空駐車場というわけにもいかず、近くの貸しガレージを借りました。
自分の住む寮費が月々2万円の時、ガレージ代は3万円でした。たぶん。
寮を出てガレージに住もうかと本気で思いましたね。

ボディが直って綺麗になって喜んだのもつかの間。しばらくすると、ある時、燃料漏れに気づきました。
キャブレターのフロートが沈んでガソリンがオーバーフローしていたのです。
さすがにガソリンが漏れてるのをそのままにはできません。
キャブ修理だけとも考えたのですが、他にも問題があるかもしれません。
なので、今度はエンジンのオーバーホールに出すことにしました。
またまた雑誌を調べて工場を選びました。

オーバーホールが終わるまで半年くらいかかりましたかね。
ついでにバルブシールに無鉛対策をしてもらったので、無鉛ガソリン仕様となりました。
当時はもう有鉛ハイオクがなかなか手に入りにくくなっていて、扱うガソリンスタンドが少なくなっていました。少し遠出したりした時には、「有鉛あります」の看板が出ているガソリンスタンドを通り過ぎたら、必ず覚えておき、ガソリンがやばそうになったらいつでも戻れるように、常に気をつけていました。
無鉛仕様になったおかげで、有鉛ガソリンを探さなくて済むようになり、ドライブもかなり気が楽になりました。が、最後まで燃料計があやしくて、トランクにはポリタンクを常備したりもしていました。

オーバーホールの終わったエンジンは最高でした。圧縮が落ちてスカスカだったのが、本来の性能を発揮するようになりました。
何より音が違います。初期型のエスは触媒なしのマフラーですから元々排気音はかなり賑やかですが、それに加えて、吸気音やら、カムの音やら、すべてが気密が上がったような緻密な音に変わっていました。バリバリガラガラいってたのが、クーンとかキューンとかいう感じに。
冗談でも比喩でもなく、本当に気をつけてないと簡単にタコメーターが1万回転を越えてしまいます。
そしてそれ以上に驚いたのが、アクセルを抜いた時の回転落ちの早さ。シフト操作とクラッチ操作を急がないとぎくしゃくするほどです。
もう夢中になりました。暇さえあればすぐガレージから引っ張り出していつも乗ってました。と言っても、とってもうるさい車なので、さすがに夜走るのは自粛してましたけど。

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休日など、信号待ちでタクシーの運転手さんにはよく話しかけられました。お別れする時にはほとんどの方が「ずっと大切に乗っていってね」とおっしゃいます。
当時のタクシードライバーって本当にプロフェッショナルの人が多くて、全てのドライバーのお手本のような感じでした。そんな方々から好意的に接していただいたことは今でも良い思い出です。

でも逆に、悪意や敵意を受けることもありました。
前にも記事にしましたが、トラックの運転手さんからはあまり良い扱いをされませんでしたね。
基本的にオープンで走るワタシでしたから、すれ違いざまや信号待ちなどに、煙草の吸殻や空き缶などをよく投げ入れられました。あと、排気ブレーキね。ばふぉばふぉっ!ってよくやられました。
お金持ちがチャラチャラして遊んでいるように見えたんでしょうね。こっちは昼飯抜いたりまでして、維持するのに大変な努力をしてるのにね。

関連記事:
 2005/03/05 『職業ドライバーからの贈り物

この頃は初年度登録から10年を超える車は毎年車検だったんですよ。
それはそれで結構金銭的には負担でしたが、それがあったおかげで、エスを常に動かしてエンジンの調子が確認できていたような気がします。
そんなワタシでしたから、エスを手放すことになるなど、全く想像していませんでした。

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そしてそれは突然やってきました。
ある時、実家から連絡がきました。親父が雪掘りで屋根から落ち、怪我をして入院したということでした。あー親父ももう歳なんだな…と思いました。
ワタシはそこで、人生をかけた決断を迫られました。
すでに姉は結婚して家を出ており、家を継ぐ者はワタシだけです。

「それがわかってて何で東京に出てきたの?」

先輩からはズバリ言われました。
その時は笑ってごまかしたけど、今考えると要は田舎暮らしが嫌だったんですね。子供の時から早く都会に出たかった。ずっとそう思っていた。そしてついにあこがれの東京暮らしが始まって、また田舎に帰ることなんか考えたくなかった。
でも心の中ではわかっていたんです。いつかはこの時が来ることを。

関連記事:
 『拝啓 屋根の上から

当時まだ安かった千葉ニュータウンあたりに家を買うからこっちに来ない?と言ってみたこともありましたが、頑固な親父は絶対にウンとは言いませんでした。それも予想通りの反応です。
そうなるともう選択肢は一つしかありません。
…実家に帰ることにしました。

本当は他にもいろいろな要因がありましたがそこは省略します。
が、父親の入院がきっかけとなったのは間違いありません。きっかけとなった、と言うより、きっかけとした、が正しいのかな。それがなければ、ずっとモヤモヤしたまま、ズルズルと過ごしていたのかもしれません。


さてそうなると、エスをどうするか、ってことになります。
田舎に帰ると生活に車が必要。もう一台車を買うのか?でもそんな金銭的余裕はありません。
エスは冬場乗れないし…、と自分を言いくるめて、泣く泣く売りに出しました。
程度は良かったのでそこそこの金額がつきました。つぎ込んだほどは戻っては来ませんでしたが、それを元手に次の車を購入し、長い東京生活にピリオドを打ったのでした。

もう少し後ならバブルの時代に入って、もっと高く、下手すりゃ倍近い金額で売れたのにな。あとのまつりです。


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愛車遍歴4 [車]

さて次の愛車です。
がそこに至るまでの紆余曲折をもう少し。

少しやんちゃなミラージュ2ターボに乗ってたワタシでしたが、一年半くらい経った頃は、都内で車を持つことが結構負担になっていました。
当時、会社の寮に入っていたワタシ。寮の駐車場の料金は月々二千円くらいだったので、維持費用が負担というよりは、仕事が忙しくて車に乗る時間がないのに、乗らない車を維持していること自体が、心理的な負担だったような気がします。

夜遅くまで仕事をしてそのまま寮に帰ると後は寝るだけ。それも何かしゃくなので、まっすぐ帰らずガレージに直行。車でちょっと一回りしてから帰ったりするようになりました。当時500円で乗り放題だった首都高を何周もしたり、まだ未開発で砂利道だった第三台場に行ってみたり、これまたネズミの国が大規模工事中だった浦安行ったり。何だ工事中多いな(笑)。カップルの多いスポットを避けていたのがよくわかりますね。

そんな夜遊び型のワタシを心配したのか、ある先輩たちが休日にワタシを引っ張り出します。車だけでなくバイクも一緒のツーリングでした。だいたいいつも房総の山の中でしたね。河原でバーベキューや鍋をして食べたりして。そうして、それまで深夜ドライブが多かったワタシは、明るい太陽の光を浴びて走ることの楽しさを知ったのでした。

ツーリングには、ワタシが一番尊敬していた先輩も一緒でした。先輩が乗っていたのは三菱Jeepでした。このJeepの助手席に乗せてもらい、幌を外して自然の中を走り回ると、もう目からウロコ。車ってこんな楽しい遊び方があるんだ!って思いました。
影響されやすいワタシはイチコロでしたね。まだローンの残っていたミラージュ2ターボを売り、新たなローンを組み、次の愛車がやってきました。

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スズキ、ジムニーSJ30FK。赤。
早速アルミホイールにぶっといタイヤを履かせて。タイヤがはみ出すのでオーバーフェンダーもつけたし。車両が120万くらいだった上に、タイヤ一式で50万近かったんじゃなかったかな?(笑)。スペアタイヤをリアに担いでいるので、タイヤ5本セットですからね。
それにしてもジムニー高い!車両価格だけで、排気量2.5倍のターボ車(前車)より高かった。軽自動車なのに。

そのくせ、なにゆえこの車なのか?
まず幌タイプ。さらにハーフメタルドアってヤツで、ドアの上半分も幌なんです。ドア上半分も取り外すと、胸から上がフルオープンになりました。先輩のJeepのように。(Jeepはドア全体が幌でそっくり取り外せたので足元もスカスカでした)
そしてもう一つJeepと同じところ。幌型ジムニーはフロントガラスがたためるのです。こうなるともうジェットコースターで道路を走るようなものです。公道でやると法的にはムニャムニャ…だったり、時速50kmを超えると、息ができなかったり、目を開けてられなかったりしますが(汗)。

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画像はお借りしました


さらには軽自動車で自動車税が安い。そして何より、宇宙刑事ギャバンの一条寺烈が乗ってた!(爆)。
どうでもいいことだけど、一条寺烈のジムニーには白ナンバーがついてたのでSJ40だと言われていました。けど、あれはどう見ても軽のSJ30に白ナンバーをつけたようにしか見えなかったな。

当時はまだ軽自動車の排気量が550ccだった頃です。2サイクルエンジンで、排気音をパンパン言わせて走るミニジープ。楽しかったな~。ホント楽しかった。汚れたままでも気にならず、手軽で気兼ねなく乗れた車でした。
相変わらず仕事は忙しかったけど、たまの休みに思いっきりストレスを解消できました。
幌は折りたたみ式ではなく取り外し式なので、簡単ではありませんが、そもそも天気が許せばほとんど幌は取り外したままで乗ってました。一度、幌を付け忘れたまま一晩停めておいたら、夜中に雨が降って車内が水浸しになったこともありました。
それでも、シートはビニールだし全然平気。フロアには水抜きのゴム栓があって、栓を抜いたら、まるで風呂水を抜くようにゴボゴボと水が抜けたのは笑えました。

時期的にはちょうど、勤務先が工場から本社勤務にに移り、寮から徒歩で通えるようになっていました。東京都内に住んでいるとほとんどが公共交通機関での移動で事足ります。ただの移動手段としての車だと、何のために所有しているのかわからなくなるんですよね。
そういう意味では、ジムニーは別物でした。公共交通機関で行けないところに行けましたし、何しろフルオープンの楽しさは他の交通機関では味わえないものでした。

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この赤い小さな車で、いろんなところに行きました。
房総の林道はもちろん。遠出になると、富士山のふもとであった4×4(フォーバイフォー)フェスティバルにも行きました。さらにもっと遠出になると、鈴鹿サーキットにF1を観に行きましたね、ジムニーで(笑)。中央自動車道を使っても休憩含めると7~8時間はかかりました。
かなり遠くて大変だったはずなのに、つらかった思い出はまったくありません。帰りはさすがに眠かったですケド、途中名古屋の片側6車線道路にビックリしたのは忘れられない思い出です。

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この車でフルオープンの味を覚えてしまったんですね。あと、車は綺麗に磨き上げて眺めるものではなく、使い倒すもんだってことも覚えた。
太平洋側の冬なんかは、いつも晴れています。寒かろうが暑かろうが晴れていれば必ずフルオープンでした。ホント楽しかったです。維持費もかからず、所有する苦労を一切感じなかった車でした。


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滑り解禁 [今を生きる]

三連休なので、久しぶりにスキーに行ってきました。
いつも行ってる例のスキー場です。
天気予報では歴史的寒気、と言われていた日。
雪はパウダースノー、ふわふわの雪でした。
こんなの新潟の雪じゃねぇ〜(笑)!
まるで長野の雪みたいでした。

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去年も行かなかったので2年ぶり。
何でかと言うと…。
去年は娘の受験。今年は息子の受験だったからです。

「ちょっと滑ってくるわ」

なんて言えません。
今年の息子の受験は早々に終了したので、もう大丈夫かな(汗)?と。
一応息子にも声をかけたのですが、お昼近くなっても起きません。
ま、受験頑張ったし、戦士の休息ということで、寝かせておくことにしました。



スキー場に近づいていくと、山は雲の中。
あんまり条件は良くないかな〜と思っていましたが、山頂に行ってみると雲の上。
気温はさらに低く、雪質もバッチリでした。

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3時間、みっちり滑ってきました。
夕方近くなると、前日から積もったふわふわの雪がエッジで削られて、その前に積もったガリガリの硬い圧雪が出てきてしまいました。
そうなってくると滑っててもあんまり楽しくないので、早めに切り上げました。
まぁ、もう体力が持たなかった、ってのもあるんですが。

帰りはもう、腿がパンパン。
体がなまってるってことかな〜。



それにしても、三連休の初日。
ゲレンデはガラガラでした。
リフトを待たなくて良いのは嬉しいのですけど、スキー場の経営がちょっと心配になりました。




タグ:スキー
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未来の博士に贈り物 [育児]

親の心配をよそに、早々に受験を制してしまった息子。
これから必要になるものを買い揃えましょう。

まずはiPhoneを買いました。
いろいろ見比べて本人に決めさせました。

iPhone XR~!

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XSでもXSMaxでもなくXR
親のお財布にやさしい息子です(笑)。
ま、息子のものなんで横から覗き見するくらいで詳しくはわかりませんが、思った以上に写真は綺麗ですね。
XSやXSMaxのようにツインカメラじゃないですが、充分綺麗だと思います。
(どうでもいいけど、この小さい大文字使うのやめてほしいですね)

彼は今までずっと、ワタシのiPadに自分のApple IDでログインして使ってました。
iCloud経由なのでデータ移行は簡単です。
最初のセットアップでID入れれば、アプリから写真からそっくり戻りました。
ただ、残念ながらメッセージの履歴は移行されないんですね。と思って後からググってみたら、メッセージをiCloudに保管しとけばよかったんですね。今からじゃ遅いかな?

2019/02/09追記:
iPadのiCloud設定みてみたら、WiFiモデルだからか、iCloudバックアップにメッセージの項目がありませんでした。電話番号がないとダメなんだろうか。iPadのメッセージ履歴はあきらめるしかないですね。残念。

とりあえず息子も無事にiPhoneデビューしました。



さて話はそこで終わらず。
次なるはオオモノ。パソコンです。

入学して様子を見てからでいいんじゃね?とも言ったのですが。
課題やレポート作成にすぐ使いたい、という本人の希望もあり入学前に購入することに。
娘の時はMacBookにしたのですが、もう少し大きい方がいいと言う息子の要望に合わせて、彼には去年発売されたばかりのMacBookAirを。
工学系なので娘よりはスペックアップしてカスタマイズ。

SSD:256GB → 512GB(+22,000円)
RAM:8GB → 16GB(+22,000円)

…よ、よかったわ、XRにしてもらって(汗)。
どちらもこれから5年間、あるいは7年間。良き相棒となるでしょう。

カスタマイズして夜中に購入ボタンを押したのに、次の日にはもう発送!なんてメールが来てました。はやっ!国内に在庫があったってことですかね。

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今更感はありますが。ついでなので、ワタシのMacBookPro2015と見比べてみました。
同じ13インチですが、Airの方が微妙に少し小さいです。
ただ残念なことに、天板のアップルマークが光らないんですね。
いかにコストダウンが命題とはいえ、ここはこだわって欲しかったかな。

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外形は小さいけど画面サイズは同じ。
何が違うのかというと、Airはベゼルの幅が狭いんですね。
旧Airに比べるとかなり狭くなっています。Proと比べても若干狭い。数ミリだけど結構見た目で違います。

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それから当然ながらAirは薄いですね。
Airはパームレスト側が特に薄くなってて、つまりキーボードが傾斜しているんですね。
Proだとボディ手前の角がちょうど手首のあたりにくるので、ポジション的にちょっと違和感を感じる時があります。
Airにはそれがないですね。打鍵時の手首の姿勢に無理がない、と言うか。

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(クリアカバーで厚ぼったく見えますね)

後、スピーカーが上を向いてます。
デザイン的にはProの15インチみたいな感じで、キーボードの左右にスピーカーがあります。これがまた結構いい音がするんです。
とはいえ、パソコン直で何か音楽を聴くか?と言うと、微妙なところですけどね。

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それから、キーボードが薄い!ペタペタじゃん。
キーストロークもほとんどありません。
ただ剛性感はあり、カチカチといった感じ。
Proのキーボードに慣れたワタシには違和感ありまくり。
でもこれもAirに慣れればおそらく問題なし。いやきっと半日で慣れるでしょうね。

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他にもTouch IDが付いてたりするのですが。
自分で使ってないのでわかりません。
これも慣れると楽なのでしょうね。

ワタシのProが劣るわけではありませんが、やっぱり新しいガジェットを見ると羨ましいです。うぅぅ…。
まぁ、頑張って勉強してくれたまえ。
そのための道具ならいくらでも準備してあげよう。

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愛車遍歴3 [車]

さてさて愛車遍歴3台目となって、ようやく自分の所有車となります。
ワタシ史上初めて、本当の意味での愛車。そして初めての新車です。

ワタシが二十歳を過ぎた頃。ボーイズレーサーっての?ホットハッチっての?小さくてハイパワーって車が大流行りの時代が始まります。そんな時代のさきがけとなる車と言って良いと思います。
大衆車初のターボ車ということで当時大きな話題になったものです。そろそろ車が欲しいかなーと考えていたワタシは、すぐに飛びつきました。

それが、三菱MIRAGE II TORBO!
ミラージュ2ターボ!(大切なことなので2回書きました!)

mirage II torbo 1.jpg
画像はお借りしました


ワタシの車も写真と同じカラーリング。黒ボディに赤いライン(オプションでした)を入れました。内装も黒と赤。今見ると赤面モノですが、当時はワタシも若かったので。オプション含めて乗り出しは110万か120万くらいだったと思います。だいたい1馬力1万円かぁって思ったことを覚えています。

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画像はお借りしました


この車の発売を皮切りに、いろんなメーカーからちっちゃいターボ車がたくさん出てきましたね。シティ、シャレード、パルサー、うわぁ書いてて懐かしくて涙が出そう。
そのエポックメイキングな車、ミラージュ2ターボ。車名に2がついていますが2代目じゃないんですよね。初代ミラージュの、なんだろ、マイナーチェンジと言うかグレード追加くらいな感じだったんですよね。じゃあ2代目はミラージュ3かと言うと、そうじゃない。またただのミラージュに戻ってました。何だったんだろう?

どんな車だったのかと言うと。
1400ccのエンジンにターボをビルトイン。105馬力の高出力エンジンと、ボンネットのエアインテークが特徴。また、当時の三菱お得意スーパーシフト(副変速機)というものがついておりました。
なんとシフトレバーが2本あるんです。重機かよっ(笑)。通常のシフトで1速~4速、副変速機でPowerとEconomyの切り替え。つまり、8速のギヤが選べるということ。今考えればマニュアル8速なんて、スーパーカーですか?って話になりますよね。

いや、無理ですから!片手で2本のシフトレバーを操作するなんて、マジ無理。結局、副変速機は半固定で使う代物でした(汗)。

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画像はお借りしました


最近はダウンサイジングターボとか言って、排気量を小さくする代わりにターボを搭載するのが流行りになっていますが、当時はそもそもターボ自体が目新しいものでした。今みたいな全回転域でパワーアップできるようなターボではありません。そうです。いわゆるどっかんターボってやつですね。
排気量にしてはハイパワーと言えばハイパワーなんですがクセはありました。今みたいに電子制御じゃなくて、キャブレター+ターボですから(汗)。曲がり角とかでスピードを落とした時に、エンジンの回転数も落としちゃうと立ち上がりでアクセル踏んでも、ぷすーってちょうどエンジンがかぶっちゃった、みたいな感じでつんのめっちゃう。過給圧が落ちちゃってるんですね。回転数を落とさないように低いギヤで曲がり角に入ると、パワーを感じながら立ち上がれるのですが、そうすると結構やかましくてやんちゃな走りになっちゃう。
なかなかシフト操作とアクセルワークには気を使いましたね。ターボ効かせると燃費も悪かったですしね。



生まれて初めての愛車。そして、生まれて初めてのローン、でした(笑)。
この車も数々のエピソードがあります。その中で一番はというと…。

買って半年ほどたった頃。
例のAくんと弟のBくん、そしてその友達のEくんの4人でドライブに出かけました。目的地は、忘れもしない、大磯ロングビーチ!
ずっと前から予定していたのですが、日程が近付くと何と台風が近づいてくる予報。それも台風上陸場所の予報がまた大磯でした。でも若かったもんで、大丈夫だろって強行したんです。

当時、東京都内の下町に住んでおりました。例によってお金もないので高速道路は使わず、国道1号線をひた走り大磯を目指しました。通常なら3時間ほどの距離なのに、台風の影響もあり5~6時間かかったような気がします。
大磯ロングビーチには深夜に着きました。案の定、台風もワタシたちに時間を合わせるかのように上陸(汗)。土砂降りと強風の中、車から一歩も出られず、大磯ロングビーチの駐車場で夜をあかしました。

以下、実際の写真です。
この頃はフィルムカメラでしたね。

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夜が明けてくると台風も去り、天気は回復してきます。
ところが、開園時間を待って入り口に行ってみると、なんと「台風のため臨時休業」の張り紙が…(泣)。結局どうすることもできず、そのまま帰ることにしました。しかし帰路は台風の影響で、道路があちこち寸断されて通行止めばかり。泥水がサイドシル上まであるような道を通ったりもしました。

「う~新車なのに~」

台風が来るのをわかったうえで強行したバカな自分を呪いました。おまけに次の日仕事だってのに、翌朝までに帰りつけませんでした。途中の公衆電話から会社に電話をかけ、休暇をお願いすると、上司にこっぴどく叱られたのは忘れられません。

下の写真は、台風が通り過ぎた直後の、誰もいない大磯ロングビーチ!

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実物の写真と一番上の写真をよーく見比べるとわかるのですが。この頃、法改正により、ついにドアミラーが解禁になりました。カー用品店に交換用ドアミラーがたくさん並ぶようになり、ワタシもお店からミラーを買ってきて早速自分で交換しました。今みたいに電動ドアミラーじゃないので、ポン付けですから簡単です。

こういう小さい車、特にスローピングノーズの車は、やっぱりデザイン的にドアミラーが似合います。フェンダーミラーだとステーが長くなりすぎてカッコ悪いもん。でも使い勝手としてはドアミラーよりフェンダーミラーのほうが見やすいです。ワタシも若かったので、使い勝手よりも見た目を重視してましたね。


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降っては降ってはずんずん積もる [今を生きる]

今年はまだ雪の記事を書いていませんね。
まぁ例年に比べれば、今年はそれほどの大雪ではないし。
あまり雪の記事ばっかりだと飽きちゃうんです、ワタシが…(笑)。
暇なもんで、今回は除雪を動画にしてみました。

場所はココ。

IMG_5172.jpg

自宅脇、車庫の屋根の雪が落ちるスペースです。
普段から片付けておかないとどんどん溜まっていってしまうんです。
どう片付けるのかというと、手前の20cmほどの用水路にチマチマ流すんです。
だから時間がかかる。

大雪が続く時に一週間くらい放っておくと大変なことになります。
しばらく見ないフリしていたんですが、いつまでもそんなわけにいかないので、先日意を決して雪を片付けました。
その時撮った写真をつないでみました。



何かよくわからないですね(汗)。
後で考えて、タイムラプスで撮ればよかったんだ、と思ったけど、後の祭り〜。

お昼過ぎから始めて、終わったのは夕方になってしまいました。
4時間くらいかかりましたかね。
ここまでしても、3日も経てばまた元の木阿弥。
雪国って不毛ですよね。
まぁ、それが自分の人格形成に必要なんだと思うようにしています。

人生これ修行なり(詠み人知らず)


タグ:雪掘り
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