SSブログ

Vol.73 僕と真夜中の僕 座キューピーマジック [座キューピーマジック]

座キューピーマジックの公演『Vol.73 僕と真夜中の僕』を観てきました。
新型コロナ後、初めての観劇となります。

さかのぼれば、コロナ直前の2019年12月に観たのが『Vol.71 最後のブラッディマリー』でした。そこから1年半の暗黒時代を経て、2021年5月に『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』でコロナ後復活公演がありましたが、ちょうど緊急事態宣言延長があったこともあり、その時は直前で泣く泣くチケットをキャンセルしたのでした。

関連記事:
 2019/12/03 『Vol.71 最後のブラッディマリー
 2021/06/04 『べきからの生還

それからまたさらに1年の歳月が流れました。ワタシ的にはもう2年半のブランクとなります。宣言もマンボウも出ていない今がチャンス。ワタシだけでなくカミサンも子供たちも、今回は何が何でも観に行く決意を固めていました。
今春から社会人となった娘は、まだ研修中でもあり最後の最後まで微妙でしたが、直前で何とか都合がつき、待ちに待った久しぶりのキューピー観劇はフルメンバーとなりました。
今回は、楽日、楽ステ。ダブルキャストのBパターンでした。

いつものとおり人数が多いので、今回も車での移動です。当日は、劇団の皆さんに差し入れを購入したり、一人暮らしの娘を迎えに行ったりで、少しギリギリのスケジュールでした。
劇場から離れた駐車場に着いた時は、すでに客入れが始まっている時間。慌てながらの会場入りでしたが、最奥席にバラけながらも、何とかみんな着席できました。いやーちょっとヤバかったかも(汗)。

今回の演目『僕と真夜中の僕』は、今までも何回か観ていたような気がしてましたが、blog記事をさかのぼってみると、どうも1回しか観てませんでしたね。それも17年前です。ひーっ!

関連記事:
 2005/04/30 『Vol.43 僕と真夜中の僕

え~そうだっけ?息子のキューピーマジック初観劇って、この演目だとばかり思ってましたが、そうじゃなかったんだ…。
改めて記事を探ると、息子の初観劇は『Vol.54 道化師の森』でした。
人の記憶ってこんなにも曖昧なんですね。いや、ワタシの記憶が、ですか。

さてまたまた長い前置きはこれくらいにして。
以下、ネタバレあります。
ご注意ください。



久しぶりに観るキューピーマジックは、カラカラに乾いた身体に、しみわたるようでした。でも1回くらいじゃ全然足りない。あと5回くらい続けて観たかった。
パンフレットには、リライトで台本が6ページも減ったと書かれてました。あっという間に感じたのは、メリハリがあってテンポが良かっただけでなく、実際に上演時間が短かめだったのかな?それほど、観ていて全然疲れませんでした。

キューピーマジックと言えば、リアルな演技が真骨頂で、つぶやくような台詞が多かったりするのですが、今回は違いました。絶叫芝居か?と思うほど、声を荒げるシーンが多かったです。でもそれが鼻についたり違和感を感じたりということもなく、リアルな感情の爆発を感じましたね。
また、客席に向かって独り言を言うシーンも多かったのですが、なんだろう、いわゆる演劇っぽい独白場面ではなくて、透明なアパートの壁をとおして観ているような感じを受けました。顔や身体は客席に向いていたとしても、台詞は観客に向いているのではなく、目に見えない壁か、あるいは役者自身に向かっていることがわかるんです。それも驚いたことに複数の役者さんで感じました。あまりにリアル。あまりに自然。だから観てるほうは、透明な壁をとおして、部屋をのぞき見しているような気分になるんですね。

舞台は、主人公伸也のアパートの部屋から、一歩も動きません。それなのに、いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきては、様々なトラブルを巻き起こすので、場面転換がないことがまったく気になりません。
今になって考えると、登場人物それぞれの個性が際立っていた、ということもあると思います。脇役なんて誰もいない。みんながみんなそれぞれの人生で主人公を演じ、必死で生きている、魅力的で愛すべき人たちでした。
キャラが立つ、とはこういうことを言うんだなー、と思いました。



久しぶりと言えば、ソワレもまた久しぶり。
本当は、幕が閉じたら速攻で帰らなくてはならないところ。
しかし、そうはキューピーマジックが卸さない(笑)。

息子は劇場を出てから、もうすぐにでも語りたい様子。いや、息子だけでなく、みんな語りたくて語りたくてウズウズ。とても駐車場まで待てません。結局、いつもの茶店で、いつもの反省会(娘いわく、振り返りの会)となりました。
それもソワレだったため長居もできず、ラストオーダーの声で、続きは車の中。何だかんだ言って、みんないつまでもキューピーの余韻に浸りたいのです。


息子は開口一番。
「今回の舞台は、他の誰でもない、オレのための舞台だった!」

確かに、舞台が始まってすぐに、これは子供たち、とりわけ息子に一番刺さるな、って予感がしました。まさしく思ったとおりです。


5年間、役者という夢を追い続けてきたものの、なかなか思うようにいかず、疲れや焦りが積もり積もって、精神的に追い詰められた主人公、伸也。
中学生までは具体的に持っていた夢が、進学と同時に見えなくなってしまい、日々の課題と考査と進路選択に追い詰められている、ウチの息子。
シチュエーションは違えど、崖っぷちさ加減は近いものがあるのかもしれません。

息子「それでも伸也は、追いかける夢があるから羨ましい」

切実な思いが溢れます。
しかし、どうなんだろう?とワタシは考えます。
父親のことが嫌いで、高校卒業から8年間ほど東京で暮らしていたワタシ。その後何だかんだと紆余曲折があって、最終的に実家に戻ることにしたワタシ。伸也と同じように、実家に帰る帰らないで悩んでいた時のことが、今でもはっきりと思い出せます。
そしてそんなワタシは、もっとひねくれた見方をします。

伸也は本当に役者になることが夢なんだろうか。
もしかしたら本当は、実家のしがらみから逃れたいから、口うるさい父親から逃げ出したいから、単に役者になるという夢を口実にしているだけなのではないか。
父親が「今度はどうなんだ?」と詰め寄るシーンでも、煮え切らない態度の伸也。そんなところも、役者を目指すのは口実、と思わせるのです。

「父親は『今度は大丈夫!』『僕は本気なんだ!』という言葉が聞きたかっただけ、伸也の覚悟を確認したかっただけで、本当に連れ戻しに来たわけじゃないと思う」
息子がきっぱりと言いました。

それはワタシもまったく同意見。
だよね。たぶん、嘘でも何でも、覚悟を示せば、父親はそれで納得して帰っていった、と思うのですよ。父親としては、伸也が役者を目指すということが、単なる東京に住むための口実じゃない、と信じたかっただけなんです。
まあそこを上手く言えないところが、伸也の性格なのかもしれません。

「それにしても…」と、息子は続けます。
「何だかんだ言ったって、モテモテじゃん?伸也」

それなっ!
あんなウジウジとした劣等感の塊みたいな男に、周りの女性たちはなんで魅力を感じるのだ?
そこをウチの女性陣(カミサンと娘)に聞いてみました。

娘「うーん、優しそうだし…イケメンだしね(笑)」

でしょうよ。
くそう、イケメン最強かよ!

娘「でも、あんなにみんなが集まってくるほど、居心地が良いってことが魅力なんじゃないかな。本人は気付いていないけど」
カミサン「何だかんだ言って、みんなに好かれているうえに、そもそも大学4年間+5年間の仕送りとか、かなり恵まれてると思うよ」

そうなんです。本人は気付いていないことが多すぎます。
あれだけのみんなに愛されていることに、これっぽっちも気付いていない。周りが全然見えていない。自分のことでいっぱいいっぱいなんで、しょうがないか。おぼっちゃま、だってことですよ。
とか言うワタシも、人のことは言えないのかもしれません。

「周りを良く見ろ。自分がどれほど恵まれているか自覚しろ」

この公演では、ワタシにも、そんなふうにガツンと言われたような気がします。



何か伸也のことだけで、めっちゃ長くなってしまいました。
今回は、登場人物みんながそれぞれに良くて、個々に掘り下げたらきりがありません。

例えば、ワタシとカミサンが疑問だったのが、謎の男(テツヤ)が消えていく際に何故あれほど苦しむのか、ということです。母親に自分が見えることがわかって成仏する、という解釈ではわからない、あの断末魔の苦しみかたには違和感を感じます。
これは17年前に観た公演でも同じ感想でしたね。

ところが。
「あれは成仏じゃない」と息子は言います。

母親が最初にテツヤを見て「あなた誰ですか?」と聞きますね。
自分が息子であることに気づかなかった母親。あるいは、母親の中で自分は既に過去の存在になっている。それに絶望して消えていくのだ、というのが息子の解釈。

そして、娘はそれを推し進め、さらなる新解釈。
自分が伸也になりかわったところで、周りの人は結局それを伸也としか見ない。誰も自分を自分として見てくれる人はいない。それに気づいて絶望するのよ、と。

息子「成仏じゃない。ただ消えていくんだ」

なるほど。さもありなん。
もしかしたら絶望とかでもなく、子供たちの言うようなそれに気づいたことで、この世に存在できなくなってしまった。でもテツヤとしては、まだ母親の側にいたい。もっと話をしたい。いやだ消えたくない。待ってくれ。もう少しだけ待ってくれ!そんな感じだったのかも。最後は母親に手を伸ばしてたしね。苦しいのではなく、悲しかったんだ。
子供たちの解釈を聞いていて、そんなふうにも思えてきました。

実際、何度も何度も再演を続けてきてもなお、テツヤがああいう形で消えていくままなのは、脚本としてそこに何らかのこだわり、大切な何かがあるのでしょう。テツヤの身体から、本当に煙が噴き出すように見えたスモークの演出も、めちゃくちゃカッコ良かったし、やはりあと5回は観たいところです。
それにしても、我が子たちながら素晴らしい感性。さすがだ。(親馬鹿)



やばい。書くことが多すぎて終われない(汗)。
クローゼットから飛び出す、伸也の妄想に、度肝を抜かれたこと、とか。
階段に腰を下ろしたテツヤが、前で喋っている伸也の台詞にシンクロして、クチパクしてるのがお茶目だったこと、とか。
生命がつながる確率の低さと絶対数の多さについての、女教授の台詞に泣かされたこと、とか。
フェロモンについて家族内で話が盛り上がり、男性と女性の汗臭さの違いについて話題が暴走したこと、とか。
最終的に伸也が選ぶパートナーは誰か。誰なら彼と合うのか、とかとか。

話は尽きず。
茶店で一時間。娘をアパートまで送る道すがら、車の中で一時間半。晩ご飯に入った回転寿司屋でまた小一時間。延々とキューピーの話題で盛り上がるワタシたち家族でした。
その後自宅に着いたのは真夜中1時過ぎです。まあそこは最初から覚悟の上でしたけどね。



次回の公演は9月末。演目は未定。
その頃コロナがどうなっているかわかりませんが、また何とかしてみんなで観に行きたいと思っています。

皆さんはいかがでしたか。

vol73.jpg



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇
人気ブログランキングへ