SSブログ

Vol.77 道化師の森 座キューピーマジック [座キューピーマジック]

座キューピーマジック公演『Vol.77 道化師の森』を観に行ってきました。観てきましたではなく、観に行ってきましたなのは、移動距離的な意味が含まれているからです汗。

今回もダブルキャストなので両公演を観ることにしました。今までなら土日に分けて二公演を観るのが普通。しかし今回は日曜の朝には地域の共同作業があるため、それまでに帰ってこなくてはいけません。そのため、土曜日のマチネとソワレの同日連続観劇一択となりました。

いつものように家族4人そろって、のつもりでしたが、留守番をお願いしていた実姉が体調不良でキャンセル。最近認知症が激しいおばぁを一人置くわけにもいかないこともあり、カミサンが仕事も理由にして観劇を断念しました。
すまぬ。お主の恩義、一生忘れぬぞ。屍を踏んで進みる戯場かな(詠み人知らずw)


劇場に着いて思うのは、最近若い人が増えたなーってこと。一時期、役者さんの祖父母さまですか?って人が多かったのに。もしかして役者さんのお友達系の人たちなのでしょうかね?
あと、お子さんも。今回も下は小学校低学年くらいから中学生くらいのお子様を連れた親御さんを何組かお見かけしました。素晴らしい英才教育!ただ、お子様にはちょっと刺激的なシーンがあったりなかったり…。大丈夫ですか?と要らぬ老婆心w。

そういえばウチの娘も息子も、キューピーの初観劇は7歳でしたわ(爆)。今やどちらも無事成人しておりますが、ウチの子供たちの感性を見る限り「大丈夫!あなたの子育ては間違っていませんよ」と言ってあげたいです。←だから要らぬお世話だって

娘の初キューピー記事:
 2007/05/22 『Vol.47 プリズマティック・オーシャン

息子の初キューピー記事:
 2010/12/02 『Vol.54 道化師の森

確かカミサンの代理で娘を連れていく時に、座長の田窪さんに相談したんですよね。子供連れて行きたいんですけど。年齢制限ありますか?チケット料金は一人分払いますからって。そしたらなんとそれ以来、パンフレットにこんな一文が載るようになりました。

□おとなしく見てくれる小学生以上の良い子のご入場は歓迎します。

いやー何でも言ってみるものですねw。優しく受け入れていただけました。おかげさまで、こんなに良い子供たちに育ちました。我が家の子育ては、キューピーマジックに助けられてきたと言えるのかもしれません。

また前置きが長くなりました。
しかし本文はさらに長くなる気配がします。準備は良いですか?しっかりついて来てくださいねw。
以下、ネタバレあります。ご注意ください。



もうね。何でこの演目なの?と。
今回の公演の演目を知った時、ワタシのためにわざと選んでるでしょ? って思いましたわ。息子と母の、時を超えた物語。あのシーンとか、あの台詞とか。いやーまた泣かされるなーって思って、覚悟していました。


話は飛びますが、ワタシが日頃懇意にしていただいているシンガーソングライター氏がいらっしゃいます。もう歌える声ではないとのことで、ご本人はソングライターと自称されてはおりますが。
その方がワタシにいつもおっしゃる事があります。

「生きている限りはどんなことにもすべて意味がある」
「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」

ワタシにとってキューピーマジックはまさにそれです。
辛かったり悲しかったり苦しかったり、そんな時には必ずキューピーが気づきをくれる。答えをくれる。優しく包んで癒してくれる。
いつもそうなのです。



ウチのおばぁ(実母)は来月で満90歳を迎えます。
認知症が今までジワジワと進んではいましたが、今年になってから特に顕著になってきました。ずいぶん前から耳が遠くなってきていて、それが大きな要因ではないかと思っています。
聞いたことや言ったことを覚えていられない。今までやっていたことが出来なくなる。同居する実の息子からするとイラつくことばかりです。いや認知症は病気なんだと言われれば、それはそう。でも子供からすると、昔の親を知っているだけに、頭では理解していても、心がどうしても拒否反応を起こすのです。

さらには、耳が聞こえない→大声で怒鳴る→怒っていると思われる→反発あるいは卑屈になる→大声が出せない→聞こえない、という悪循環。

「お前はいつもそうやってイジメる」
「お前はいつもそうやって嘘をつく」
「お前はいつもそうやって…」

あることないこと言われて、非難されることが増えました。
認知症は病気。そう理解しなくちゃ。でも感情が…。

「俺が解ってないだけ?」
「俺?俺が悪いの?」

最近はもう、関わりたくないとさえ思うようになりました。



「俺のこと嫌いなのかな」

この物語の主人公、晋平の不安な気持ちは自分のことのようです。
だから観に行く前からわかっていました。グサグサ刺さって、めちゃくちゃ泣かされるんだろうなって思ってました。

でも終わってみるとそうでもなかったな、と。
いや、泣かされはしました。泣かされはしたけど。何だろうな。うまい言い回しができないのですが、強いて言うと。

「こりがほぐれた」
 あるいは
「肩の荷が下りた」

みたいな感じw。
こうしなきゃ。ああしなきゃ。これじゃだめ。あれじゃだめ。そんなこと、どうでもよくなりました。認知症を理解する…のではなく、受け入れるってことなのかな?と思いました。


観劇後の振り返りの会で、息子がいみじくも言っていました。

「この物語が一番言いたいことは『子供のことを嫌いな母親なんていない』だと思う」

主人公の元妻の台詞ですが、ワタシもそこは刺さりましたね。
ほんとそれ。

娘も「最近は『毒親』なんて言葉が出てくる残念な時代だけど」と。

何だか、子供たちになだめられる父親(ワタシ)とは?

その時、ふと気づきました。
心を閉ざしているのは、おばぁではなく自分ではないかと。ワタシが非難されるのは、何か意思があるのではなく、ただただ病気だから。認知症という病気を受け入れられないのは、ワタシだけではなくおばぁもまた同じなのかもしれない。現実を受け入れられず、怒りをぶつける先としては、血の繋がりが最も濃いワタシしかいないからだけなのかもしれない、と。
うまく表現できませんが、フッと背中に背負った重い荷物がなくなった、胸につかえたモヤモヤがスーッと消えた、そんな感じを味わいました。


親子の縁、夫婦の縁。この世の中、いろんな縁があります。しかしそんな縁が重荷になったり、裏目に出たりすることもあります。そして中には縁を切るなんてことがあったりもします。
それでも、血の繋がりだけは、切っても切れないどうしようもないものです。この世に生を受け、生きている証。ここに存在する意義。それは「血縁」ではなく、過去から未来へ脈々と続く「血筋(ちすじ)」と言うべきものなのでしょうか。

「親」も「子」も、どうしようもなく繋がっている。
どうしようもなく大好きで、どうしようもなく大嫌い。そして、どうしようもなく大切に思う。
そんなことも、この物語は言いたいのかもしれません。



そういえば、晋平ちゃん(5さい)の母親、美智子。
何か他の登場人物と比べて、独特な感じを受けたんです。何だか特別に昭和っぽいと言うか。ずっと何だろう何だろうと考えてて。ハッと思いついたのが…。

「昭和初期の映画のヒロイン」だ…。

具体例を上げると『男はつらいよ』のヒロインのイメージ?いやもっと古い白黒映画のヒロインか?立ち居振る舞いやしゃべり方など。あーそうそう、こんな感じ、と腑に落ちて、一人ニヤニヤしていました。
こんなの今の時代の若者にはわからないだろうな。


実は公演の始まる前。会場入りして席に座ってると、パンフレットを眺めているふうの父娘と思しき会話が、後ろの席から聞こえてきました。

娘「ねぇニホンダチってなに?」

父「ニホンダ・テ・w、ね。二つの映画を観れるってこと」

娘「一日に映画を二本観るってこと?」

父「いや。二本の映画を連続で一回として観れるんだよ。一回分の料金で」

娘「へーお得じゃん」

…みたいな会話でした。
最近ネットでも「二本同時上映って、別の映画を左右に並べて観るのか?」なんて話題を、見たりしたところでした。
そうだよね。昔の映画館なんて、今の人は知らないよねー。


観劇後の振り返りの会でも…。

娘「『お客さんが扇風機の前に群がってる』って台詞が気になった」

ワタシ「昔の映画館は指定席じゃないから、どこに座っても、座らなくてもよかった」
   「(今は無い)近所の映画館にはコタツがあって、寝ながら映画を観れた」

なんて話に驚かれたり…。

息子「パンフレットのまえがきにある、映写機の電極のハンドル調整云々というのは、晋平が思い浮かべる『汗水流す仕事』ってことかな」
  「『最後のフィルムを巻き戻して缶に戻し…』って台詞は、『仕舞い』って感じで格好良かった」

なんて話になり…。
この際なので、昔の映画館の間取りや観賞方法から配給システム、映写機の仕組み、映写技師や売子のお仕事などを、子供たちに軽くひと講義する羽目になりました。そうだよねー、知らないもんねー。古き良き時代よ。


そんな中で、最後まで気になっていた疑問を、子供たちにぶつけてみました。

疑問①:意味深な台詞の意味
    美智子「お義兄さん、私…」
    雅彦 「わかるよみっちゃん。わかる」
結論:美智子は「再婚はやめて晋平と二人で家を出る」と言うつもりだったが、雅彦はそれを「お義兄さんが好き」と言いたかったのだ、と妄想したんですね。それが後々のアノ場面につながるわけです。

疑問②:行方不明の雅彦。なぜ章子は生まれた?
結論:「美智子がいなくなった次の年に章子が生まれる」との台詞があるので、ここはもう、その時点で姉初子のお腹に章子がいた、ということでしょう。初子がその後再婚したという台詞はないし、もしそうだとしたら出生年的に間に合いませんしね。

そして最大の難関、疑問③。晋平を残して消えた、血だらけの美智子はどこへいったのか。この謎についてはもう時間切れもあって、その場では結論は出ませんでしたね。
初子が警察を呼んでくる間に、美智子が(おそらく周りに飛び散った血痕も含めて)綺麗さっぱり消えてしまったわけです。これはもう物理的な説明はつかないので、人知を超えた力が働いたとしか考えられません。

我が家のブレイン、息子くんが分析するには。
美智子が50年前に戻ると言った時に、現代の病室のドアと50年前が空間的にどうつながったのか?おそらく50年前側は、晋平ちゃんが眠る母屋の部屋のドアではないか。そしてドアのこちら側では、50年前の晋平ちゃんが眠っている部屋と、現代の病室が、空間的にオーバーラップした形だったのだろうと。
雅彦からは、晋平ちゃんが寝ている部屋の中に、現代の病室の美智子が重ね合わせで見えた。だから「ここにいたのかー」と言い部屋に入ろうとしてきた。おそらく美智子も、自分がいる病室に50年前の晋平ちゃんが重ね合わせで見えたのだろう。だから晋平ちゃんを守るために「入ってこないで!」と雅彦を部屋から押し出した。時空の狭間で二人はもみ合い、雅彦は時空の割れ目に落ちた。美智子は致命傷を受けながらも、晋平ちゃんが眠る部屋に戻り、しかし息絶えた。
でもそのままでは、晋平が「母親に捨てられた」と感じて50年を過ごすという未来は来ない。そこで何が起きたのか?そう、タイムパラドックスによる時空の揺り戻しが起きた。そして、美智子の死体だけがこの世界から消えた。

さすが我が家のブレイン(二度目w)。素晴らしい科学的考察ぶっとんだ仮説だなw。でもまぁ一応論理的に筋は通る。てか、タイムパラドックスが論理的なのかどうかは、さらに熟考が必要なのだろうけれども。


そんな振り返りの会。今回はソワレの後だったので、最後はお店の蛍の光♪に追われるように終了し、ちょっと不完全燃焼気味ではありました。そういえば、坂田のおばちゃんと孫娘のくだりも気になります。

坂田のおばちゃんが50年後に飛ばされた時、その世界では孫娘は見つからなかった。坂田のおばちゃんが元の世界に戻った次の日?孫娘は、自分が元気な50年後の世界で、今の年恰好のままのおばぁちゃんと会う夢を見たことを告げて、そのまま息を引き取る。

これが何を示唆しているのでしょうか。これってもう、パラレルワールド、並行宇宙、マルチバース、多元宇宙論ってことですかね?いやはや何かすごく壮大なお話になってきました。
そう言えば、時間軸がどんどん枝分かれしていくと、まるで巨大な樹、さらには広大な「時空の森」のようにも見えてきます。

『道化師の森』

なんと!そうでしたか。答えはタイトルにありました。
このタイトルに込められた本当の意味に、回り回って最後にたどり着くとは。
(諸説あります笑)

「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」

おぉ…ソングライター氏の言うことは誠であった、ううぅ…。

え?あー…そのぅ。
皆さんはいかがでしたか?

vol77.jpg


長々とこのような妄想記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。自分語りが過ぎる!と、お怒りの向きもあるでしょうが、こちらは「劇評」ではなく「感想文のようなもの」となっております。なにとぞひらにご容赦ください。
さて、お願いついでにもう一つ。下記アンケートにもご協力ください。回答数が増えますと、さらに妄想を炸裂させることができます。どうかよろしくお願いします。

2023/06/28 『アンケート復活 座キューピーマジック


P.S.
実は今回、座キューピーマジック20周年記念Tシャツを着て行きました。
まぁ誰一人として、気づいてはくれませんでしたがね泣。

IMG_0448.jpg


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇
人気ブログランキングへ