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鶴の恩返し [ちょっといい話]

道端で弱っていた鶴を助けたお父さんのところに、ある日、鶴が来て言いました。
「お父さん、この前は大変お世話になりました。恩返しに反物をプレゼントしたいので、客間と機織りを貸してください。けれど、決して覗いてはいけません」

しばらくすると、機織りの音が聞こえなくなってしまったので、お父さんは覗いてはいけない部屋の戸を開けてしまいました。すると、鶴がいなくなっていたばかりか、客間にあった宝物もみんな無くなっていました。お父さんはビックリ仰天。お母さんを呼んで言いました。
「あれは鶴でなく鷺(サギ)だった」

すぐさまお父さんは家を飛び出して、鶴を追いかけました。
すると行く先の田んぼに、一羽の鳥が死んでいるのを見つけました。
しかしそれは、鶴ではなく鴈(ガン)でした。

がっかりしたお父さんが、自宅に戻り玄関を開けると、家中の荷物がすっかり無くなっていました。がらんとした部屋の中で一服していると、上のほうで何か物音がします。天井裏に上がってみると、一羽の鳥が屋根伝いに慣れた足取りで逃げていきました。
鶴かと思ったら、それは鳶(トビ)でした。

今度は階下で物音がします。お父さんが慌てて天井から降りてみると、ペリカン(引越し便)が荷物をごっそり運んで行くのが見えました。

「泥棒〜!誰か〜捕まえて〜!」追いかけながらも、お父さんは大きな声で叫び続けました。しかしその声に気付く人は誰もいません。
お父さんはただ声をカラス(烏)だけでした。

途方に暮れたお父さんでしたが、気がつくと、お母さんまでいなくなってしまいました。家の近くを探し回ってみたものの、お母さんは見つかりませんでした。疲れたお父さんは、道端にスワロー(燕)として、はたと気づきました。
どうやら、お母さんを連れていったのは、若い燕(ツバメ)だったようです。

すっかり肩を落としたお父さんが、家に帰ってみると、消し忘れたタバコの火で、家はすっかり焼け落ちていました。膝を落としてお父さんは言いました。
「くそう、もうタバコはスワン(白鳥)」

そして鶴はいったいどこに?

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(いらすとや)



タグ:バカ話
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『祝婚歌(しゅくこんか)』吉野弘 [ちょっといい話]

先日、車の運転中に聞いていたラジオで、読まれたリスナーからのお便りに耳が留まりました。
そのお便りでは、コロナ禍で他人を簡単に攻撃する、最近の風潮を憂うと共に、ある詩を思い浮かべる、という内容でした。
そこで紹介されたのは、詩の中の一節だけでしたが、聞いていてハッとさせられました。

ラジオで聞いた一節:
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい

そうですよね。
正論で押してくる人、いますよね。
「それができないからみんな悩んでいるのに」
とか思うわけですが。
また、そういう人に限って、自分のことは見えていない。
「自分のことを棚に上げて」とか「おまえが言うな」とか「自分、何様?」とか。
そんな周りの反応に気づいているのかいないのか。

pose_mesen_uekara_man.png
(いらすとや)


ラジオでは、正義とは見方によって異なるものだから、相手のことを思いやる心が大切だ、と締めくくってました。
その後ワタシは、その詩がどうにも気になって、調べてググってみました。

するとこの詩は、詩人である吉野弘さんという方が、どうしても都合がつかずに出席できなかった、姪の結婚式に贈った詩、とのこと。
結婚に向けてのはなむけの言葉、と言うか、これから始まる結婚生活への心得、なんですが、心を静めてゆったりと眺めていると、ワタシにはどうも、人生そのものについて詠っているようにも思えてくるのです。

残りの人生、こんなふうに生きたい。
そして、この詩が、カミサンにも、子供たちの心にも、響くといいな。



『祝婚歌』吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと
気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

『贈るうた』(吉野弘著、花神社)より『祝婚歌』全文転載
※作者の吉野弘さんは、この詩は民謡のようなものだと言い、著作権料は不要と明言しています。そんな吉野弘さんに敬意を表し感謝しつつ、ここに全文を掲載いたします。


贈るうた

贈るうた

  • 作者: 吉野 弘
  • 出版社/メーカー: 花神社
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 単行本




タグ: 祝婚歌
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つもりちがい十ヶ条 [ちょっといい話]

つもりちがい十ヶ条

高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄

そのつもりで
 がんばりましょう。


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五戒 [ちょっといい話]

五戒

辛いことが多いのは
 感謝を知らないから

苦しいことが多いのは
 自分に甘えがあるから

悲しいことが多いのは
 自分のことしか分からないから

心配ごとが多いのは
 今を懸命に生きてないから

行きづまりが多いのは
 自分が裸になれないから


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平成から令和へ。
新しい時代の始まりに自戒を込めて。


タグ:五戒
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しあわせ八変化 [ちょっといい話]

しあわせ八変化

自分が変われば 相手が変わる
相手が変われば 心が変わる
心が変われば 言葉が変わる
言葉が変われば 態度が変わる
態度が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 運が変わる
運が変われば 人生が変わる

いま幸せな人は
 そのまんまでいいんです。



IMG_5441.jpg


タグ:しあわせ
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酒は三献に限る [ちょっといい話]

とある懇親会で60代半ばの大先輩から教えてもらったことがあります。
年寄りの話は、たとえ酔っ払ってる人の話でも勉強になりますね。
その、ためになった内容とは。

kanpai_nihonsyu.png
いらすとや


昔から「酒は三献に限る」と言うが、これの解釈を間違っている人がいる。一つの盃で三杯呑むのが一献。それを三回繰り返すのが三献。というのは間違いだ。それでは九杯呑むことになる。
一つの盃に注ぐ時に三回に分けて注ぎ、三回に分けて飲む。三三九度のように。つまり一杯が一献。それを三回、つまり三杯呑んで三献なのだ。

そしてこう続ける。

人に酒を勧めたり勧められたりする場合、人からついでもらうのは三献まで、というのが「酒は三献に限る」の本来の意味だ。それ以上呑みたければ手酌で呑むことだ。無理に勧めて呑ませたり、勧められて無理に呑んだりしてはいけない。なぜなら。安い酒。高い酒。どんな酒でも、杜氏が一生懸命心を込めて作った酒だ。酔っ払ってこぼしたり、呑み残したりするのは、失礼に値するからだ。

nihonsyu_syuzou_moromi.png
いらすとや


さすが米どころで長年酒を呑んできた年寄りの言うことは重みが違うね。

改めて文字にすると、なるほどスゲーなって思うけど。これ今日、ヘベレケのオヤジが飲み屋で言ってたことを意訳したもの。三献以上呑んでて説得力はあまりありませんが、忘れないように書き残しておきます。


タグ: 蘊蓄
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障害という言葉の向く先は [ちょっといい話]

先日、娘の高校で障害者の演奏会があったようです。視覚障害のご夫婦や、同じく視覚障害の女の子が来て、演奏を聞かせてくれたとのこと。素晴らしい演奏だったそうです。

最後に何か質問がありますか?ってことになって。
体育館がシーンっと静まる中、ウチの娘だけが手を挙げました。
さすが我が家の斬り込み隊長!

「周りの人に何か気を付けてほしいことはありますか?」

そんな質問に対し、その方々は

「困っている様子だったり、危険だったりしたら、声をかけてほしい」

というように答えたそうです。
確かにそうです。遠慮して遠くで見守るだけだったり、気を使って見て見ぬ振りをしてもらっても、障害者は嬉しくないんです。
当たり前と言えば当たり前ではありますが、普段何も不自由のない生活をしている学生たちに、この言葉は目からウロコだったようで、「障害者の気持ち」を想像する、良い機会だったでしょう。そんな積み重ねで「思いやり」が育まれてくれれば、と思います。




障害者も最近は「障がい者」と書かれることが増えました。あるいは子供を「子ども」とかね。「部落」も差別用語だから「地区」とか「地域」とか「集落」と言う。

今回の演奏会で娘はそれを、差別をなくす良いことだと考えたようです。でも、ワタシはこういう風潮がとても嫌いです。呼び方や書き方を変えればそれでいいの?って思うんです。

呼ばれる側を思いやって、とか説明されても、違うだろって思います。あれは、呼ぶ側の心理、なんです。呼び方を変えることで、自分は配慮している、って安心したいんです。そこには呼ばれる側への思いやりは何もありません。障害者を障がい者と書いたところで障害者は誰も喜びません。

「害」という漢字が悪いイメージだから、とか言う人がいます。でもそれは、その人が使う「障害」という言葉が、障害者その人、その部位を指しているからだと思います。だから「かわいそう」とか思う。

そうじゃないんです。
「見えない目」が障害なんじゃない。目が見えないことによって生じる様々な「不便なこと」が障害なんです。道路の段差だったり、点字ブロック上の放置自転車だったり。

障害者の「障害」というのは、その人が社会生活を営む上で「社会に」何かしらの障害があるから。社会との関わり合いに障害となるものがあるから。だから「障害者」なんです。
「障害」という言葉は、人に向かっているんじゃなくて、社会に向いているんです。「かわいそう」なんかじゃないんです。「不便」なだけなんです。

だから「障害者」を「障がい者」と書くことが「配慮」だと思ったら大間違いです。社会との間の障害なんだから「障害」で良いんです。

決して「障害」を人に向けて使ってはいけません。それは「差別」以外、何も生みだしませんし、何も変わりません。



社会の至る所にある「障害」。それは一つ一つどれも人間の知恵と努力で解決できるものだと思います。別に制度がどうとかじゃなくても良いんです。ちょっとした時にまわりがちょっとだけ手伝ったり、ほんの少し気を使うだけで良いんです。声をかけたり、手を差し出したり。それだけでいくつもの小さな障害を減らすことが出来ます。
そうやって少しずつでも障害が取り除かれていって、もしも障害のない社会が訪れたなら。そうなったら、世界中から「障害者がいなくなる」んですよ。…揚げ足を取られそうだから正確に書きましょうか。「障害者という言葉に意味がなくなる」んです。

すごくないですか。素晴らしい世の中になると思いませんか。人はそういった努力をすべきだし、それをできるのが人間なんだと思います。呼び方をどう変えたら自分が気楽か、なんて考えてるのはオカシイのです。



障害者の障害とは「社会との関わりに障害がある」から、という認識が少しでも広まると良いなと思います。嬉しいことに最近はこのように考える人も増えていますよね。良いことです。

娘にはそんな話をしました。微力ですがこの記事をご覧になって「なるほど、そんな考え方もイイな」と思ってくれる人が一人でも増えたらうれしいです。
社会に存在する障害が一つでもなくなりますように。



最近目に入ったツイート。



昔からスターバックスの企業姿勢は素晴らしいですね。ただ単に障害者を雇用しているだけじゃない。スタッフ同士がお互い普通に助け合いながら接客しているところが素晴らしい。ただただ普通なところが。




本当は障害者も健常者もないんですよね。みんな社会の一員なんです。

なんて…。
久しぶりにblogタイトルにピッタリな記事だった?

img-arbelt-thum01.jpg
Starbucks Coffee Japan



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目覚めると隣に若い綺麗な女性 [ちょっといい話]

先日東京に出張した時の出来事です。

東京で午前中に打合せのため、朝早い上りの新幹線に乗りました。
進行方向に向かって、通路の右側が2座席、左側が3座席。
ワタシは車両中央付近の2座席の窓側に座りました。
それほど混んでいなかったので、隣の座席は空いたままでした。

身体が温まってくると早起きして眠かったこともあり、越後湯沢を過ぎたあたりから睡魔に襲われ、あっという間に爆睡。
そしてふと目が覚めると、大宮の少し手前でした。
すると、寝ぼけまなこの視界の隅で、隣の席に誰かが座っているのに気づきました。
チラリと見ると、20代後半のOL風の綺麗な女性です。
わーい(笑)。

何気なく見まわすと通路の向こう側、3座席の方は、窓側に男性が一人座っているだけで、通路側の2席は空いています。
普通、若い女性ならワタシの隣に座るより、3座席の通路側に座りそうなもの。
オッサンの隣で嫌じゃないのかな?
それでも、綺麗な若い女性と並んで座るのって、男ならいくつになっても嬉しいわけで。
気が重い出張のはずが、なぁんだ良いこともあるじゃん。
朝から幸先いい一日の始まりだぁと、いい気分の単純なワタシでした。

そうこうしているうちに列車は大宮駅に近づきます。
目覚めたワタシがもぞもぞしていると、隣の女性はつと立ち上がり、通路を進行方向へ歩いていきました。
あーぁ、大宮駅で降りるのかぁ。残念。
と思ったのもつかの間、ある違和感に気づきました。



手ぶらだ…。

そうなんです。
バッグも何も持ってない。
普通、新幹線に乗るような人は何かしら手荷物を持っていそうなもの。
それが、右手にただケータイを握っているだけ。
へー、最近のOLはバッグ持たない人もいるんだぁ。
なんてボーっと見ていると。
彼女はなぜか5~6列前の座席にそっと座りました。

へっ?なっ何?
大宮で下りないわけ?



何だか、ワタシが目を覚ましたのがイヤで場所を移ったように見えて、すごく嫌な気分。
それだったら、3座席側が空いてるんだから最初からそっちに座れば良いじゃん。
彼女が移動した席までの距離が、ワタシに対しての嫌悪感を表しているように感じて、今までの幸せ気分が一気にしぼんでしまいました。

そんなに嫌だったんだ。
何もそこまで嫌わなくても…。

そんな気持ちで悶々としているワタシを乗せて、新幹線は東京駅に到着しました。
ガックリと気落ちしたワタシが車両を降りようとすると、その彼女がいました。
なんだ、大宮で降りたと思ったけど、結局東京駅まで乗ってたんだ。
ま、いいけど…。
と思ったのもつかの間。
またまた感じる、あの違和感。



…バッグ!

持ってんじゃん!
彼女は右手にバッグをぶら下げています。
若い女性がビジネスで使うような、黒皮風の普通のトートバッグ。

どういうこと?
落ち着け、落ち着け。
パニックになりかかったワタシの頭の中。
彼女がワタシの隣を立った時、彼女は間違いなく手ぶらだった。
そもそもあんな大きなバッグなら身体に隠れて見えなかった、なんてことは絶対にありえない。
確かに手ぶらだったのに。

何で?どうして?
何がどうなってるの?
ワタシの頭の中で今までの状況を脳内再生。
すると、ある一つの事実が見えてきました。



「彼女は、自分の荷物を置いた座席から離れて、ワタシの隣に手ぶらで座っていた…ということか」


なぜ?
それが意味するものは何だ?
論理的に説明できる仮説はあるのか?
ワタシの頭の中にはただ一つの理由しか思い浮かびませんでした。



ワタシが東京駅まで目を覚まさなかったら…。
いや、東京駅まで待たなくても。
財布か、それとも鞄か。
いずれにしろ、何か持っていくつもりだった?

財布は内ポケット。
鞄は足元。
爆睡中のワタシ。
駅に着いたタイミングで、その気になれば簡単にスルッと持っていけそうな状態でした。

慌てて持ち物を確認。

…セーフっ!
何も取られたものはありませんでした。
あぁ良かったぁ〜〜〜(汗)。





いやいやいや。
それでも人間が好き…でいたい、このサイト。
どんな人間も受け入れてしまうのが、このblog。
何の証拠もなく人を疑うなんてことはできません(キリッ)。
他に何か彼女の行動を説明できる方法があるかも?

例えば。
爆睡中のワタシを置き引きから守るために、ワタシが起きるまで隣で見守っていてくれた。とか。

ワタシの寝顔がとても魅力的だった。とか?

そっ、それだ!きっと(笑)!
そういうことにしておこう!

IMG_2315.jpg

…ということで、カテゴリーは「ちょっといい話」です。


タグ:妄想 出張
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ユーザーエクスペリエンス [ちょっといい話]

昨日某スーパーに買い物に行きました。
色々と買い物の指令を受けていたんですが、お彼岸も来るので、お花と、切り花用の栄養剤も頼まれていました。
うちのおばぁが気に入っていつも使ってるのはこちら。


『クリザール』


いつもなら生花が置かれている近くにあるはず。
ところがいくら近くを見渡しても見当たりません。
しばらく探したものの見つからないので近くにいた店員さんに聞いてみました。

ワタシ「切り花用の栄養剤ってどこにありますか?」

店員 「少々お待ちください」

と言いつつ生花の周りをウロウロ探すことしばらく…。

店員 「…ちょっと今は切らしているみたいです。申し訳ありません」

ないものはしょうがない。
クリザールはまた今度にしよう。
店員さんにはお礼を言ってその場を立ち去りました。


ってことで。
その後、目的のものを買い物カゴにゲットしつつ店内を歩いていると、惣菜売り場あたりで…。

店員 「お客様?」

先ほどの店員さんが小走りで近づいてくる。

店員 「先ほどはすみませんでした。お店で使っているものですが少しお分けします。どうぞ」



もらっちゃいました…。
わーい。

IMG_2244.jpg


さすが教育が行き届いていると感じました。
こういう細かい気配りがリピーターを増やすんですよね。
店の備品を使ってしまい、お店としては損をするところですが、気を良くしたワタシは、いらないものまで沢山買い込んでしまいましたよ(笑)。

肉を切らせて骨を断つ…いや違うか。
「損して徳とれ」ってやつですか?
PCナントカってお店とえらい違いだ。
あそこは「騙して金取れ」だものね(爆)。


ホント、ちょっとしたことなんです。
お客なんてちょっとしたことでイチコロなんです。
本来そういう気遣いができるのが日本人の良いところなんですよね。
とても良い気分で帰路につきました。
あのお店、大好きです!




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子曰く、人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道、人を弘むるにあらず。 [ちょっといい話]

子曰く、人能(よ)く道を弘(ひろ)む。
道、人を弘むるにあらず。

人間が道徳を広めるから世の中が良くなるのであって、「道徳や規則さえあれば世の中が自動的に良くなる」というわけではないのだよ。



確かに、法律や道徳は社会の秩序を守るために必要なものですが、定めただけで誰も守らないなら、何の意味も持ちません。
さらに、たとえ守られていても、「なぜこのルールが必要なのか」「なぜ守るべきなのか」を考えることもなく、ただ漫然と従っているだけでは、秩序を守れたとしても社会がよりよく発展していくことはないでしょう。

大切なのは、人々が互いを思いやり、自らが何をどうすべきかを考えたうえで行動することです。
そうした行動が積み重なって、世の中は少しずつ良くなっていくのです。

もちろん「ルールを守りさえすれば、あとは何をしてもいい」などという考えは言語道断でしょう。
一人ひとりが理想の社会を思い描き、それを実現するために行動する。
そう、世の中をより良く変えるのは、私たち一人ひとりにほかならないのです。


21世紀の論語: 孔子が教えるリーダーの条件

21世紀の論語: 孔子が教えるリーダーの条件

  • 作者: 佐久 協
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2013/11/09
  • メディア: 単行本



タグ:論語
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