Vol.77 道化師の森 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
座キューピーマジック公演『Vol.77 道化師の森』を観に行ってきました。観てきましたではなく、観に行ってきましたなのは、移動距離的な意味が含まれているからです汗。
今回もダブルキャストなので両公演を観ることにしました。今までなら土日に分けて二公演を観るのが普通。しかし今回は日曜の朝には地域の共同作業があるため、それまでに帰ってこなくてはいけません。そのため、土曜日のマチネとソワレの同日連続観劇一択となりました。
いつものように家族4人そろって、のつもりでしたが、留守番をお願いしていた実姉が体調不良でキャンセル。最近認知症が激しいおばぁを一人置くわけにもいかないこともあり、カミサンが仕事も理由にして観劇を断念しました。
すまぬ。お主の恩義、一生忘れぬぞ。屍を踏んで進みる戯場かな(詠み人知らずw)
劇場に着いて思うのは、最近若い人が増えたなーってこと。一時期、役者さんの祖父母さまですか?って人が多かったのに。もしかして役者さんのお友達系の人たちなのでしょうかね?
あと、お子さんも。今回も下は小学校低学年くらいから中学生くらいのお子様を連れた親御さんを何組かお見かけしました。素晴らしい英才教育!ただ、お子様にはちょっと刺激的なシーンがあったりなかったり…。大丈夫ですか?と要らぬ老婆心w。
そういえばウチの娘も息子も、キューピーの初観劇は7歳でしたわ(爆)。今やどちらも無事成人しておりますが、ウチの子供たちの感性を見る限り「大丈夫!あなたの子育ては間違っていませんよ」と言ってあげたいです。←だから要らぬお世話だって
娘の初キューピー記事:
2007/05/22 『Vol.47 プリズマティック・オーシャン』
息子の初キューピー記事:
2010/12/02 『Vol.54 道化師の森』
確かカミサンの代理で娘を連れていく時に、座長の田窪さんに相談したんですよね。子供連れて行きたいんですけど。年齢制限ありますか?チケット料金は一人分払いますからって。そしたらなんとそれ以来、パンフレットにこんな一文が載るようになりました。
□おとなしく見てくれる小学生以上の良い子のご入場は歓迎します。
いやー何でも言ってみるものですねw。優しく受け入れていただけました。おかげさまで、こんなに良い子供たちに育ちました。我が家の子育ては、キューピーマジックに助けられてきたと言えるのかもしれません。
また前置きが長くなりました。
しかし本文はさらに長くなる気配がします。準備は良いですか?しっかりついて来てくださいねw。
以下、ネタバレあります。ご注意ください。
もうね。何でこの演目なの?と。
今回の公演の演目を知った時、ワタシのためにわざと選んでるでしょ? って思いましたわ。息子と母の、時を超えた物語。あのシーンとか、あの台詞とか。いやーまた泣かされるなーって思って、覚悟していました。
話は飛びますが、ワタシが日頃懇意にしていただいているシンガーソングライター氏がいらっしゃいます。もう歌える声ではないとのことで、ご本人はソングライターと自称されてはおりますが。
その方がワタシにいつもおっしゃる事があります。
「生きている限りはどんなことにもすべて意味がある」
「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」
ワタシにとってキューピーマジックはまさにそれです。
辛かったり悲しかったり苦しかったり、そんな時には必ずキューピーが気づきをくれる。答えをくれる。優しく包んで癒してくれる。
いつもそうなのです。
ウチのおばぁ(実母)は来月で満90歳を迎えます。
認知症が今までジワジワと進んではいましたが、今年になってから特に顕著になってきました。ずいぶん前から耳が遠くなってきていて、それが大きな要因ではないかと思っています。
聞いたことや言ったことを覚えていられない。今までやっていたことが出来なくなる。同居する実の息子からするとイラつくことばかりです。いや認知症は病気なんだと言われれば、それはそう。でも子供からすると、昔の親を知っているだけに、頭では理解していても、心がどうしても拒否反応を起こすのです。
さらには、耳が聞こえない→大声で怒鳴る→怒っていると思われる→反発あるいは卑屈になる→大声が出せない→聞こえない、という悪循環。
「お前はいつもそうやってイジメる」
「お前はいつもそうやって嘘をつく」
「お前はいつもそうやって…」
あることないこと言われて、非難されることが増えました。
認知症は病気。そう理解しなくちゃ。でも感情が…。
「俺が解ってないだけ?」
「俺?俺が悪いの?」
最近はもう、関わりたくないとさえ思うようになりました。
「俺のこと嫌いなのかな」
この物語の主人公、晋平の不安な気持ちは自分のことのようです。
だから観に行く前からわかっていました。グサグサ刺さって、めちゃくちゃ泣かされるんだろうなって思ってました。
でも終わってみるとそうでもなかったな、と。
いや、泣かされはしました。泣かされはしたけど。何だろうな。うまい言い回しができないのですが、強いて言うと。
「こりがほぐれた」
あるいは
「肩の荷が下りた」
みたいな感じw。
こうしなきゃ。ああしなきゃ。これじゃだめ。あれじゃだめ。そんなこと、どうでもよくなりました。認知症を理解する…のではなく、受け入れるってことなのかな?と思いました。
観劇後の振り返りの会で、息子がいみじくも言っていました。
「この物語が一番言いたいことは『子供のことを嫌いな母親なんていない』だと思う」
主人公の元妻の台詞ですが、ワタシもそこは刺さりましたね。
ほんとそれ。
娘も「最近は『毒親』なんて言葉が出てくる残念な時代だけど」と。
何だか、子供たちになだめられる父親(ワタシ)とは?
その時、ふと気づきました。
心を閉ざしているのは、おばぁではなく自分ではないかと。ワタシが非難されるのは、何か意思があるのではなく、ただただ病気だから。認知症という病気を受け入れられないのは、ワタシだけではなくおばぁもまた同じなのかもしれない。現実を受け入れられず、怒りをぶつける先としては、血の繋がりが最も濃いワタシしかいないからだけなのかもしれない、と。
うまく表現できませんが、フッと背中に背負った重い荷物がなくなった、胸につかえたモヤモヤがスーッと消えた、そんな感じを味わいました。
親子の縁、夫婦の縁。この世の中、いろんな縁があります。しかしそんな縁が重荷になったり、裏目に出たりすることもあります。そして中には縁を切るなんてことがあったりもします。
それでも、血の繋がりだけは、切っても切れないどうしようもないものです。この世に生を受け、生きている証。ここに存在する意義。それは「血縁」ではなく、過去から未来へ脈々と続く「血筋(ちすじ)」と言うべきものなのでしょうか。
「親」も「子」も、どうしようもなく繋がっている。
どうしようもなく大好きで、どうしようもなく大嫌い。そして、どうしようもなく大切に思う。
そんなことも、この物語は言いたいのかもしれません。
そういえば、晋平ちゃん(5さい)の母親、美智子。
何か他の登場人物と比べて、独特な感じを受けたんです。何だか特別に昭和っぽいと言うか。ずっと何だろう何だろうと考えてて。ハッと思いついたのが…。
「昭和初期の映画のヒロイン」だ…。
具体例を上げると『男はつらいよ』のヒロインのイメージ?いやもっと古い白黒映画のヒロインか?立ち居振る舞いやしゃべり方など。あーそうそう、こんな感じ、と腑に落ちて、一人ニヤニヤしていました。
こんなの今の時代の若者にはわからないだろうな。
実は公演の始まる前。会場入りして席に座ってると、パンフレットを眺めているふうの父娘と思しき会話が、後ろの席から聞こえてきました。
娘「ねぇニホンダチってなに?」
父「ニホンダ・テ・w、ね。二つの映画を観れるってこと」
娘「一日に映画を二本観るってこと?」
父「いや。二本の映画を連続で一回として観れるんだよ。一回分の料金で」
娘「へーお得じゃん」
…みたいな会話でした。
最近ネットでも「二本同時上映って、別の映画を左右に並べて観るのか?」なんて話題を、見たりしたところでした。
そうだよね。昔の映画館なんて、今の人は知らないよねー。
観劇後の振り返りの会でも…。
娘「『お客さんが扇風機の前に群がってる』って台詞が気になった」
ワタシ「昔の映画館は指定席じゃないから、どこに座っても、座らなくてもよかった」
「(今は無い)近所の映画館にはコタツがあって、寝ながら映画を観れた」
なんて話に驚かれたり…。
息子「パンフレットのまえがきにある、映写機の電極のハンドル調整云々というのは、晋平が思い浮かべる『汗水流す仕事』ってことかな」
「『最後のフィルムを巻き戻して缶に戻し…』って台詞は、『仕舞い』って感じで格好良かった」
なんて話になり…。
この際なので、昔の映画館の間取りや観賞方法から配給システム、映写機の仕組み、映写技師や売子のお仕事などを、子供たちに軽くひと講義する羽目になりました。そうだよねー、知らないもんねー。古き良き時代よ。
そんな中で、最後まで気になっていた疑問を、子供たちにぶつけてみました。
疑問①:意味深な台詞の意味
美智子「お義兄さん、私…」
雅彦 「わかるよみっちゃん。わかる」
結論:美智子は「再婚はやめて晋平と二人で家を出る」と言うつもりだったが、雅彦はそれを「お義兄さんが好き」と言いたかったのだ、と妄想したんですね。それが後々のアノ場面につながるわけです。
疑問②:行方不明の雅彦。なぜ章子は生まれた?
結論:「美智子がいなくなった次の年に章子が生まれる」との台詞があるので、ここはもう、その時点で姉初子のお腹に章子がいた、ということでしょう。初子がその後再婚したという台詞はないし、もしそうだとしたら出生年的に間に合いませんしね。
そして最大の難関、疑問③。晋平を残して消えた、血だらけの美智子はどこへいったのか。この謎についてはもう時間切れもあって、その場では結論は出ませんでしたね。
初子が警察を呼んでくる間に、美智子が(おそらく周りに飛び散った血痕も含めて)綺麗さっぱり消えてしまったわけです。これはもう物理的な説明はつかないので、人知を超えた力が働いたとしか考えられません。
我が家のブレイン、息子くんが分析するには。
美智子が50年前に戻ると言った時に、現代の病室のドアと50年前が空間的にどうつながったのか?おそらく50年前側は、晋平ちゃんが眠る母屋の部屋のドアではないか。そしてドアのこちら側では、50年前の晋平ちゃんが眠っている部屋と、現代の病室が、空間的にオーバーラップした形だったのだろうと。
雅彦からは、晋平ちゃんが寝ている部屋の中に、現代の病室の美智子が重ね合わせで見えた。だから「ここにいたのかー」と言い部屋に入ろうとしてきた。おそらく美智子も、自分がいる病室に50年前の晋平ちゃんが重ね合わせで見えたのだろう。だから晋平ちゃんを守るために「入ってこないで!」と雅彦を部屋から押し出した。時空の狭間で二人はもみ合い、雅彦は時空の割れ目に落ちた。美智子は致命傷を受けながらも、晋平ちゃんが眠る部屋に戻り、しかし息絶えた。
でもそのままでは、晋平が「母親に捨てられた」と感じて50年を過ごすという未来は来ない。そこで何が起きたのか?そう、タイムパラドックスによる時空の揺り戻しが起きた。そして、美智子の死体だけがこの世界から消えた。
さすが我が家のブレイン(二度目w)。素晴らしい科学的考察ぶっとんだ仮説だなw。でもまぁ一応論理的に筋は通る。てか、タイムパラドックスが論理的なのかどうかは、さらに熟考が必要なのだろうけれども。
そんな振り返りの会。今回はソワレの後だったので、最後はお店の蛍の光♪に追われるように終了し、ちょっと不完全燃焼気味ではありました。そういえば、坂田のおばちゃんと孫娘のくだりも気になります。
坂田のおばちゃんが50年後に飛ばされた時、その世界では孫娘は見つからなかった。坂田のおばちゃんが元の世界に戻った次の日?孫娘は、自分が元気な50年後の世界で、今の年恰好のままのおばぁちゃんと会う夢を見たことを告げて、そのまま息を引き取る。
これが何を示唆しているのでしょうか。これってもう、パラレルワールド、並行宇宙、マルチバース、多元宇宙論ってことですかね?いやはや何かすごく壮大なお話になってきました。
そう言えば、時間軸がどんどん枝分かれしていくと、まるで巨大な樹、さらには広大な「時空の森」のようにも見えてきます。
『道化師の森』
なんと!そうでしたか。答えはタイトルにありました。
このタイトルに込められた本当の意味に、回り回って最後にたどり着くとは。
(諸説あります笑)
「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」
おぉ…ソングライター氏の言うことは誠であった、ううぅ…。
え?あー…そのぅ。
皆さんはいかがでしたか?
長々とこのような妄想記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。自分語りが過ぎる!と、お怒りの向きもあるでしょうが、こちらは「劇評」ではなく「感想文のようなもの」となっております。なにとぞひらにご容赦ください。
さて、お願いついでにもう一つ。下記アンケートにもご協力ください。回答数が増えますと、さらに妄想を炸裂させることができます。どうかよろしくお願いします。
2023/06/28 『アンケート復活 座キューピーマジック』
P.S.
実は今回、座キューピーマジック20周年記念Tシャツを着て行きました。
まぁ誰一人として、気づいてはくれませんでしたがね泣。
今回もダブルキャストなので両公演を観ることにしました。今までなら土日に分けて二公演を観るのが普通。しかし今回は日曜の朝には地域の共同作業があるため、それまでに帰ってこなくてはいけません。そのため、土曜日のマチネとソワレの同日連続観劇一択となりました。
いつものように家族4人そろって、のつもりでしたが、留守番をお願いしていた実姉が体調不良でキャンセル。最近認知症が激しいおばぁを一人置くわけにもいかないこともあり、カミサンが仕事も理由にして観劇を断念しました。
すまぬ。お主の恩義、一生忘れぬぞ。屍を踏んで進みる戯場かな(詠み人知らずw)
劇場に着いて思うのは、最近若い人が増えたなーってこと。一時期、役者さんの祖父母さまですか?って人が多かったのに。もしかして役者さんのお友達系の人たちなのでしょうかね?
あと、お子さんも。今回も下は小学校低学年くらいから中学生くらいのお子様を連れた親御さんを何組かお見かけしました。素晴らしい英才教育!ただ、お子様にはちょっと刺激的なシーンがあったりなかったり…。大丈夫ですか?と要らぬ老婆心w。
そういえばウチの娘も息子も、キューピーの初観劇は7歳でしたわ(爆)。今やどちらも無事成人しておりますが、ウチの子供たちの感性を見る限り「大丈夫!あなたの子育ては間違っていませんよ」と言ってあげたいです。←だから要らぬお世話だって
娘の初キューピー記事:
2007/05/22 『Vol.47 プリズマティック・オーシャン』
息子の初キューピー記事:
2010/12/02 『Vol.54 道化師の森』
確かカミサンの代理で娘を連れていく時に、座長の田窪さんに相談したんですよね。子供連れて行きたいんですけど。年齢制限ありますか?チケット料金は一人分払いますからって。そしたらなんとそれ以来、パンフレットにこんな一文が載るようになりました。
□おとなしく見てくれる小学生以上の良い子のご入場は歓迎します。
いやー何でも言ってみるものですねw。優しく受け入れていただけました。おかげさまで、こんなに良い子供たちに育ちました。我が家の子育ては、キューピーマジックに助けられてきたと言えるのかもしれません。
また前置きが長くなりました。
しかし本文はさらに長くなる気配がします。準備は良いですか?しっかりついて来てくださいねw。
以下、ネタバレあります。ご注意ください。
もうね。何でこの演目なの?と。
今回の公演の演目を知った時、ワタシのためにわざと選んでるでしょ? って思いましたわ。息子と母の、時を超えた物語。あのシーンとか、あの台詞とか。いやーまた泣かされるなーって思って、覚悟していました。
話は飛びますが、ワタシが日頃懇意にしていただいているシンガーソングライター氏がいらっしゃいます。もう歌える声ではないとのことで、ご本人はソングライターと自称されてはおりますが。
その方がワタシにいつもおっしゃる事があります。
「生きている限りはどんなことにもすべて意味がある」
「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」
ワタシにとってキューピーマジックはまさにそれです。
辛かったり悲しかったり苦しかったり、そんな時には必ずキューピーが気づきをくれる。答えをくれる。優しく包んで癒してくれる。
いつもそうなのです。
ウチのおばぁ(実母)は来月で満90歳を迎えます。
認知症が今までジワジワと進んではいましたが、今年になってから特に顕著になってきました。ずいぶん前から耳が遠くなってきていて、それが大きな要因ではないかと思っています。
聞いたことや言ったことを覚えていられない。今までやっていたことが出来なくなる。同居する実の息子からするとイラつくことばかりです。いや認知症は病気なんだと言われれば、それはそう。でも子供からすると、昔の親を知っているだけに、頭では理解していても、心がどうしても拒否反応を起こすのです。
さらには、耳が聞こえない→大声で怒鳴る→怒っていると思われる→反発あるいは卑屈になる→大声が出せない→聞こえない、という悪循環。
「お前はいつもそうやってイジメる」
「お前はいつもそうやって嘘をつく」
「お前はいつもそうやって…」
あることないこと言われて、非難されることが増えました。
認知症は病気。そう理解しなくちゃ。でも感情が…。
「俺が解ってないだけ?」
「俺?俺が悪いの?」
最近はもう、関わりたくないとさえ思うようになりました。
「俺のこと嫌いなのかな」
この物語の主人公、晋平の不安な気持ちは自分のことのようです。
だから観に行く前からわかっていました。グサグサ刺さって、めちゃくちゃ泣かされるんだろうなって思ってました。
でも終わってみるとそうでもなかったな、と。
いや、泣かされはしました。泣かされはしたけど。何だろうな。うまい言い回しができないのですが、強いて言うと。
「こりがほぐれた」
あるいは
「肩の荷が下りた」
みたいな感じw。
こうしなきゃ。ああしなきゃ。これじゃだめ。あれじゃだめ。そんなこと、どうでもよくなりました。認知症を理解する…のではなく、受け入れるってことなのかな?と思いました。
観劇後の振り返りの会で、息子がいみじくも言っていました。
「この物語が一番言いたいことは『子供のことを嫌いな母親なんていない』だと思う」
主人公の元妻の台詞ですが、ワタシもそこは刺さりましたね。
ほんとそれ。
娘も「最近は『毒親』なんて言葉が出てくる残念な時代だけど」と。
何だか、子供たちになだめられる父親(ワタシ)とは?
その時、ふと気づきました。
心を閉ざしているのは、おばぁではなく自分ではないかと。ワタシが非難されるのは、何か意思があるのではなく、ただただ病気だから。認知症という病気を受け入れられないのは、ワタシだけではなくおばぁもまた同じなのかもしれない。現実を受け入れられず、怒りをぶつける先としては、血の繋がりが最も濃いワタシしかいないからだけなのかもしれない、と。
うまく表現できませんが、フッと背中に背負った重い荷物がなくなった、胸につかえたモヤモヤがスーッと消えた、そんな感じを味わいました。
親子の縁、夫婦の縁。この世の中、いろんな縁があります。しかしそんな縁が重荷になったり、裏目に出たりすることもあります。そして中には縁を切るなんてことがあったりもします。
それでも、血の繋がりだけは、切っても切れないどうしようもないものです。この世に生を受け、生きている証。ここに存在する意義。それは「血縁」ではなく、過去から未来へ脈々と続く「血筋(ちすじ)」と言うべきものなのでしょうか。
「親」も「子」も、どうしようもなく繋がっている。
どうしようもなく大好きで、どうしようもなく大嫌い。そして、どうしようもなく大切に思う。
そんなことも、この物語は言いたいのかもしれません。
そういえば、晋平ちゃん(5さい)の母親、美智子。
何か他の登場人物と比べて、独特な感じを受けたんです。何だか特別に昭和っぽいと言うか。ずっと何だろう何だろうと考えてて。ハッと思いついたのが…。
「昭和初期の映画のヒロイン」だ…。
具体例を上げると『男はつらいよ』のヒロインのイメージ?いやもっと古い白黒映画のヒロインか?立ち居振る舞いやしゃべり方など。あーそうそう、こんな感じ、と腑に落ちて、一人ニヤニヤしていました。
こんなの今の時代の若者にはわからないだろうな。
実は公演の始まる前。会場入りして席に座ってると、パンフレットを眺めているふうの父娘と思しき会話が、後ろの席から聞こえてきました。
娘「ねぇニホンダチってなに?」
父「ニホンダ・テ・w、ね。二つの映画を観れるってこと」
娘「一日に映画を二本観るってこと?」
父「いや。二本の映画を連続で一回として観れるんだよ。一回分の料金で」
娘「へーお得じゃん」
…みたいな会話でした。
最近ネットでも「二本同時上映って、別の映画を左右に並べて観るのか?」なんて話題を、見たりしたところでした。
そうだよね。昔の映画館なんて、今の人は知らないよねー。
観劇後の振り返りの会でも…。
娘「『お客さんが扇風機の前に群がってる』って台詞が気になった」
ワタシ「昔の映画館は指定席じゃないから、どこに座っても、座らなくてもよかった」
「(今は無い)近所の映画館にはコタツがあって、寝ながら映画を観れた」
なんて話に驚かれたり…。
息子「パンフレットのまえがきにある、映写機の電極のハンドル調整云々というのは、晋平が思い浮かべる『汗水流す仕事』ってことかな」
「『最後のフィルムを巻き戻して缶に戻し…』って台詞は、『仕舞い』って感じで格好良かった」
なんて話になり…。
この際なので、昔の映画館の間取りや観賞方法から配給システム、映写機の仕組み、映写技師や売子のお仕事などを、子供たちに軽くひと講義する羽目になりました。そうだよねー、知らないもんねー。古き良き時代よ。
そんな中で、最後まで気になっていた疑問を、子供たちにぶつけてみました。
疑問①:意味深な台詞の意味
美智子「お義兄さん、私…」
雅彦 「わかるよみっちゃん。わかる」
結論:美智子は「再婚はやめて晋平と二人で家を出る」と言うつもりだったが、雅彦はそれを「お義兄さんが好き」と言いたかったのだ、と妄想したんですね。それが後々のアノ場面につながるわけです。
疑問②:行方不明の雅彦。なぜ章子は生まれた?
結論:「美智子がいなくなった次の年に章子が生まれる」との台詞があるので、ここはもう、その時点で姉初子のお腹に章子がいた、ということでしょう。初子がその後再婚したという台詞はないし、もしそうだとしたら出生年的に間に合いませんしね。
そして最大の難関、疑問③。晋平を残して消えた、血だらけの美智子はどこへいったのか。この謎についてはもう時間切れもあって、その場では結論は出ませんでしたね。
初子が警察を呼んでくる間に、美智子が(おそらく周りに飛び散った血痕も含めて)綺麗さっぱり消えてしまったわけです。これはもう物理的な説明はつかないので、人知を超えた力が働いたとしか考えられません。
我が家のブレイン、息子くんが分析するには。
美智子が50年前に戻ると言った時に、現代の病室のドアと50年前が空間的にどうつながったのか?おそらく50年前側は、晋平ちゃんが眠る母屋の部屋のドアではないか。そしてドアのこちら側では、50年前の晋平ちゃんが眠っている部屋と、現代の病室が、空間的にオーバーラップした形だったのだろうと。
雅彦からは、晋平ちゃんが寝ている部屋の中に、現代の病室の美智子が重ね合わせで見えた。だから「ここにいたのかー」と言い部屋に入ろうとしてきた。おそらく美智子も、自分がいる病室に50年前の晋平ちゃんが重ね合わせで見えたのだろう。だから晋平ちゃんを守るために「入ってこないで!」と雅彦を部屋から押し出した。時空の狭間で二人はもみ合い、雅彦は時空の割れ目に落ちた。美智子は致命傷を受けながらも、晋平ちゃんが眠る部屋に戻り、しかし息絶えた。
でもそのままでは、晋平が「母親に捨てられた」と感じて50年を過ごすという未来は来ない。そこで何が起きたのか?そう、タイムパラドックスによる時空の揺り戻しが起きた。そして、美智子の死体だけがこの世界から消えた。
さすが我が家のブレイン(二度目w)。素晴らしい
そんな振り返りの会。今回はソワレの後だったので、最後はお店の蛍の光♪に追われるように終了し、ちょっと不完全燃焼気味ではありました。そういえば、坂田のおばちゃんと孫娘のくだりも気になります。
坂田のおばちゃんが50年後に飛ばされた時、その世界では孫娘は見つからなかった。坂田のおばちゃんが元の世界に戻った次の日?孫娘は、自分が元気な50年後の世界で、今の年恰好のままのおばぁちゃんと会う夢を見たことを告げて、そのまま息を引き取る。
これが何を示唆しているのでしょうか。これってもう、パラレルワールド、並行宇宙、マルチバース、多元宇宙論ってことですかね?いやはや何かすごく壮大なお話になってきました。
そう言えば、時間軸がどんどん枝分かれしていくと、まるで巨大な樹、さらには広大な「時空の森」のようにも見えてきます。
『道化師の森』
なんと!そうでしたか。答えはタイトルにありました。
このタイトルに込められた本当の意味に、回り回って最後にたどり着くとは。
(諸説あります笑)
「あるべくしてあり、起こるべきして起こる」
おぉ…ソングライター氏の言うことは誠であった、ううぅ…。
え?あー…そのぅ。
皆さんはいかがでしたか?
長々とこのような妄想記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。自分語りが過ぎる!と、お怒りの向きもあるでしょうが、こちらは「劇評」ではなく「感想文のようなもの」となっております。なにとぞひらにご容赦ください。
さて、お願いついでにもう一つ。下記アンケートにもご協力ください。回答数が増えますと、さらに妄想を炸裂させることができます。どうかよろしくお願いします。
2023/06/28 『アンケート復活 座キューピーマジック』
P.S.
実は今回、座キューピーマジック20周年記念Tシャツを着て行きました。
まぁ誰一人として、気づいてはくれませんでしたがね泣。
Vol.76 黒いスーツのサンタクロース 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
先日いつもの座キューピーマジック公演『Vol.76 黒いスーツのサンタクロース』を観に行ってきました。
いつもの、とは書きましたが、地方に住むワタシとしては「出かけたついでにちょっと芝居を観てみる」なんて感じではないんですよね。芝居を観るために綿密なスケジュールを立て、あちこちに布石を打つことが必要になります。もう芝居を観ることを中心にすべてを考えて準備していくわけです。
そしてこの季節はいつも降雪の問題があります。
昔は大体11月の半ばを過ぎると、いつ雪が降り始めてもおかしくありませんでした。ひどい時は正月前に2回も屋根の雪下ろしをすることさえありました。最近は温暖化の影響もあってか、そこまで早く降り始めることはなくなりましたが、その代わりにか、降る時は一気にドカ雪になります。
とまあそんな感じですが、予報によると楽日となる日曜日には大雪の情報が。観劇の帰りはかなりの気構えが必要です。
さらに問題がもう一つ。
御年満89歳のうちのおばぁです。最近特に(痴呆的に)怪しくなってきたので、何日も一人で置いておくわけにはいきません。そこで前回も使った手ですが、関東在住の実姉に留守番というかおばぁの付き添いをお願いしました。
関連記事:
2023/06/08 『Vol.75 ハムレットのための特別席』
今回は台風も大雪もないので、実姉の移動もスムーズ。実姉が自宅に到着してから出発することができました。
そして、ここまでして折角の上京なので、来年から一人暮らしの息子くんのアパート探しも兼ねようということになりました。さすがに今から契約するのは早すぎるので、大体の場所(最寄駅)とか町並みとか周りの環境とかをざっくり観て歩くことにしました。実際のアパートは来年に入ってから絞り込んでいきます。
さてさて、そうこうしてようやく準備万端整ったキューピー観劇です。予定どおりにコトは進み、今回も前回に引き続き、2日間をかけてダブルキャストの両公演を観ることができました。
またまた長い前置きで恐縮です。
以下、ネタバレありますのでご注意ください。
さてこの『黒いスーツのサンタクロース』という演目は、キューピーマジックの旗揚げ公演だったこともあり、最も上演回数の多い演目となっています。実際ワタシの観劇回数も最多となる演目です。とは言え、同演目で直近の上演は今からもう5年前。いやー月日が経つのは早いもんです。
関連記事:
2018/12/12 『Vol.69 黒いスーツのサンタクロース』
ほんと5年なんてあっという間ですね。
まだあの頃は役職定年過ぎたのに役職を返上させてもらえなくてモヤモヤしていた頃でしたが、今や何とか定年を迎えることができて、長年夢だった大学生になっています。課題に追い詰められる毎日ではありますが。
ま、それは置いといて。
今までの『黒サンタ』の観劇回数を数えると、なんと9回も観てました。当然最多観劇演目であります。だから入場して椅子に座って舞台の配置を見ただけでそれぞれの役者の動線が見える(笑)くらいです。
それくらいもう観尽くした演目なわけですが、じゃあもういい加減飽きたかと言われると、いや違う違うそうじゃない。毎回毎回新しい発見があるのが、キューピーマジックのマジックたる所以なのです。これだからキューピーの分析はやめられない止まらないのです。
今回特に今までと違う印象を受けたのは、物語の流れにメリハリがあって明暗と言うか陰と陽がはっきりと感じたところでした。冒頭から稽古場のくだりまでは非常にコミカルでテンポの良い流れだったのが、由紀子の台詞にシンクロした真理子の「後悔したくないの」から一転して重く暗く不穏な流れに変わっていくところ。物語の流れにギューッと急ブレーキがかかったかのようなあの感じは、観ていてドキッとしましたね。
AキャストBキャストどちらでも感じられたので、多分意図的な演出だったんだろうなと思います。
好きなシーンは沢山あります。
稽古場で由紀子と雄二のぎこちない会話にチャチャを入れる死神に、由紀子が蹴りを入れるところは可愛くて笑いました。由起子と死神がお互いに気を許している感じが出ててとっても良かったですね。
あとワタシが大好きな友則のシーンには、いつも胸を熱くさせられますね。笑いと涙を交互に畳み掛けられる、キューピーマジックお得意の演出が気持ちいいです。AキャストBキャストそれぞれの友則を感じられてそれもとっても良かったです。観劇後に家族で行った振り返りの会(笑)でも友則が話題でした。
大好きなお姉ちゃんの出演作は87作じゃなく88作だったと怒る友則。良かったのは2作だけじゃなくてみんな良かったと、烈火の如く怒る友則。でも「お姉ちゃん死んじゃうの?」に答えた死神の「ええ…寿命なんです」にはまったく動じない。スッと受け入れています。この辺りの対比も素晴らしいです。一番状況を理解できているのは友則なんですよね。感情表現が乏しいと言うより、感情以外の表現が乏しいといった感じなんでしょうか。
死神が5年前に遡って由紀子に会いに行った病院前。そこではもう死神は喋れません。うまく言葉が出せない死神は癇癪を起こしたようになるのですが、由紀子はそこで優しく「そんなに怒らないで」って言うんですよね。
「何?」とか「どうしたの?」ではなく「怒らないで」って言うんです。死神が言いたいことを伝えられなくて怒っていることをきちんと認識できている。そして慌てず落ち着いて真正面から聞こうとする。それは昔から友則と一緒にいたからだと思うんですよね。そのシーンに、子供の時からずっと友則に向けられていた由紀子の優しさが感じられて、さらに胸が温かくなりました。これは一緒に観た娘も同様に感じたそうで、振り返りの会で二人で盛り上がりました。
あと同じ場で、由紀子が印籠をもらい、その中に勇気が入っているのだと気づく瞬間。その前後の由紀子の表情の変化がたまらなく素敵でした。まるで微かにスポットが入ったかのように見えました。いやもし実際にスポットを当てたのなら照明さんGJ!
この公演、そんなところがいくつもありました。台詞のない登場人物の表情であったり動きであったり、それぞれの個性がすごく緻密に演じられていてとってもリアルだったんですよね。だからメインでしゃべっている人だけでなく、周りの人たちや舞台全体に目を向けなくちゃいけなくて、観てる方はホント大変でした(笑)。
それからそれから。
夢の中やこの世でないシーンで、台詞にエコーがかかってましたね。最初、えっ?ピンマイク付けてる?って思って、目を凝らして見てみましたがどうもそうじゃないようで。おーっ音響卓から台詞を拾ってるんだ!凄い!リアルタイムでエコーかけてる!って一人で大興奮していました。振り返りの会で聞いたらみんなも気づいてたみたいです。
いや、キューピーマジックでそういうエフェクトを使うってことに新しさを感じたというのもそうですが、そのエコーが凄くシーンにマッチしていて、とても効果的だったということに感激したのです。音効さんもGJ!
そのほかにもピンポイントで書きたいことが山ほどあるのですが、今回は自分が自分自身に一番驚いたことがありました。以前から『黒サンタ』について何度も書いてきたこと。なぜ死神が由紀子にあれほどまでに尽くしたのか?という一点です。今までのワタシの解釈では、女優である由紀子に役者だった自分を重ねているから、ということでした。そんなふうにずっと言ってきました。
関連記事:
2000/12/24 『Vol.32 黒いスーツのサンタクロース』
過去記事を遡っていくと4回目の観劇でそう結論づけたようですね。
しかしところがばってん、今回の公演でその気持ちは180度変わりました。やはり死神は由起子が好きだったのだ、と思えるようになりました。具体的に何が、というと言葉にはできないのですが。何だか今回の公演を観ていたら、あぁ人間って理屈じゃないよな、思ってるよりももっと単純なのかもな、と思えてきたんです。
四半世紀もこの演目を見続けてきてようやくかよ!とか言われそうですね。まったくもって面目ありません。もしかするとこれが最後かもしれない『黒サンタ』。回り回って最後にたどり着いた結論に、自分自身が驚いたのと同時に納得した公演でした。
そういえば、パンフレットに今回の公演は昭和っぽさをそのまま残したって書いてありました。ということは、アレが復活するのかなーって開演前は期待してましたが、結局ありませんでしたね。
「コードレスぅ〜」
個人的には大好きなシーンだったので残念です。まぁ令和の昭和らしさとはちょっと違うエピソードだったんでしょうね。
皆さんはいかがでしたか?
明日はいよいよクリスマスイヴ。
もしもドアチャイムが鳴ったら、とっておきの笑顔で出迎えてあげてください。
それではまた。メリークリスマス!良いお年を!
いつもの、とは書きましたが、地方に住むワタシとしては「出かけたついでにちょっと芝居を観てみる」なんて感じではないんですよね。芝居を観るために綿密なスケジュールを立て、あちこちに布石を打つことが必要になります。もう芝居を観ることを中心にすべてを考えて準備していくわけです。
そしてこの季節はいつも降雪の問題があります。
昔は大体11月の半ばを過ぎると、いつ雪が降り始めてもおかしくありませんでした。ひどい時は正月前に2回も屋根の雪下ろしをすることさえありました。最近は温暖化の影響もあってか、そこまで早く降り始めることはなくなりましたが、その代わりにか、降る時は一気にドカ雪になります。
とまあそんな感じですが、予報によると楽日となる日曜日には大雪の情報が。観劇の帰りはかなりの気構えが必要です。
さらに問題がもう一つ。
御年満89歳のうちのおばぁです。最近特に(痴呆的に)怪しくなってきたので、何日も一人で置いておくわけにはいきません。そこで前回も使った手ですが、関東在住の実姉に留守番というかおばぁの付き添いをお願いしました。
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2023/06/08 『Vol.75 ハムレットのための特別席』
今回は台風も大雪もないので、実姉の移動もスムーズ。実姉が自宅に到着してから出発することができました。
そして、ここまでして折角の上京なので、来年から一人暮らしの息子くんのアパート探しも兼ねようということになりました。さすがに今から契約するのは早すぎるので、大体の場所(最寄駅)とか町並みとか周りの環境とかをざっくり観て歩くことにしました。実際のアパートは来年に入ってから絞り込んでいきます。
さてさて、そうこうしてようやく準備万端整ったキューピー観劇です。予定どおりにコトは進み、今回も前回に引き続き、2日間をかけてダブルキャストの両公演を観ることができました。
またまた長い前置きで恐縮です。
以下、ネタバレありますのでご注意ください。
さてこの『黒いスーツのサンタクロース』という演目は、キューピーマジックの旗揚げ公演だったこともあり、最も上演回数の多い演目となっています。実際ワタシの観劇回数も最多となる演目です。とは言え、同演目で直近の上演は今からもう5年前。いやー月日が経つのは早いもんです。
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2018/12/12 『Vol.69 黒いスーツのサンタクロース』
ほんと5年なんてあっという間ですね。
まだあの頃は役職定年過ぎたのに役職を返上させてもらえなくてモヤモヤしていた頃でしたが、今や何とか定年を迎えることができて、長年夢だった大学生になっています。課題に追い詰められる毎日ではありますが。
ま、それは置いといて。
今までの『黒サンタ』の観劇回数を数えると、なんと9回も観てました。当然最多観劇演目であります。だから入場して椅子に座って舞台の配置を見ただけでそれぞれの役者の動線が見える(笑)くらいです。
それくらいもう観尽くした演目なわけですが、じゃあもういい加減飽きたかと言われると、いや違う違うそうじゃない。毎回毎回新しい発見があるのが、キューピーマジックのマジックたる所以なのです。これだからキューピーの分析はやめられない止まらないのです。
今回特に今までと違う印象を受けたのは、物語の流れにメリハリがあって明暗と言うか陰と陽がはっきりと感じたところでした。冒頭から稽古場のくだりまでは非常にコミカルでテンポの良い流れだったのが、由紀子の台詞にシンクロした真理子の「後悔したくないの」から一転して重く暗く不穏な流れに変わっていくところ。物語の流れにギューッと急ブレーキがかかったかのようなあの感じは、観ていてドキッとしましたね。
AキャストBキャストどちらでも感じられたので、多分意図的な演出だったんだろうなと思います。
好きなシーンは沢山あります。
稽古場で由紀子と雄二のぎこちない会話にチャチャを入れる死神に、由紀子が蹴りを入れるところは可愛くて笑いました。由起子と死神がお互いに気を許している感じが出ててとっても良かったですね。
あとワタシが大好きな友則のシーンには、いつも胸を熱くさせられますね。笑いと涙を交互に畳み掛けられる、キューピーマジックお得意の演出が気持ちいいです。AキャストBキャストそれぞれの友則を感じられてそれもとっても良かったです。観劇後に家族で行った振り返りの会(笑)でも友則が話題でした。
大好きなお姉ちゃんの出演作は87作じゃなく88作だったと怒る友則。良かったのは2作だけじゃなくてみんな良かったと、烈火の如く怒る友則。でも「お姉ちゃん死んじゃうの?」に答えた死神の「ええ…寿命なんです」にはまったく動じない。スッと受け入れています。この辺りの対比も素晴らしいです。一番状況を理解できているのは友則なんですよね。感情表現が乏しいと言うより、感情以外の表現が乏しいといった感じなんでしょうか。
死神が5年前に遡って由紀子に会いに行った病院前。そこではもう死神は喋れません。うまく言葉が出せない死神は癇癪を起こしたようになるのですが、由紀子はそこで優しく「そんなに怒らないで」って言うんですよね。
「何?」とか「どうしたの?」ではなく「怒らないで」って言うんです。死神が言いたいことを伝えられなくて怒っていることをきちんと認識できている。そして慌てず落ち着いて真正面から聞こうとする。それは昔から友則と一緒にいたからだと思うんですよね。そのシーンに、子供の時からずっと友則に向けられていた由紀子の優しさが感じられて、さらに胸が温かくなりました。これは一緒に観た娘も同様に感じたそうで、振り返りの会で二人で盛り上がりました。
あと同じ場で、由紀子が印籠をもらい、その中に勇気が入っているのだと気づく瞬間。その前後の由紀子の表情の変化がたまらなく素敵でした。まるで微かにスポットが入ったかのように見えました。いやもし実際にスポットを当てたのなら照明さんGJ!
この公演、そんなところがいくつもありました。台詞のない登場人物の表情であったり動きであったり、それぞれの個性がすごく緻密に演じられていてとってもリアルだったんですよね。だからメインでしゃべっている人だけでなく、周りの人たちや舞台全体に目を向けなくちゃいけなくて、観てる方はホント大変でした(笑)。
それからそれから。
夢の中やこの世でないシーンで、台詞にエコーがかかってましたね。最初、えっ?ピンマイク付けてる?って思って、目を凝らして見てみましたがどうもそうじゃないようで。おーっ音響卓から台詞を拾ってるんだ!凄い!リアルタイムでエコーかけてる!って一人で大興奮していました。振り返りの会で聞いたらみんなも気づいてたみたいです。
いや、キューピーマジックでそういうエフェクトを使うってことに新しさを感じたというのもそうですが、そのエコーが凄くシーンにマッチしていて、とても効果的だったということに感激したのです。音効さんもGJ!
そのほかにもピンポイントで書きたいことが山ほどあるのですが、今回は自分が自分自身に一番驚いたことがありました。以前から『黒サンタ』について何度も書いてきたこと。なぜ死神が由紀子にあれほどまでに尽くしたのか?という一点です。今までのワタシの解釈では、女優である由紀子に役者だった自分を重ねているから、ということでした。そんなふうにずっと言ってきました。
関連記事:
2000/12/24 『Vol.32 黒いスーツのサンタクロース』
過去記事を遡っていくと4回目の観劇でそう結論づけたようですね。
しかしところがばってん、今回の公演でその気持ちは180度変わりました。やはり死神は由起子が好きだったのだ、と思えるようになりました。具体的に何が、というと言葉にはできないのですが。何だか今回の公演を観ていたら、あぁ人間って理屈じゃないよな、思ってるよりももっと単純なのかもな、と思えてきたんです。
四半世紀もこの演目を見続けてきてようやくかよ!とか言われそうですね。まったくもって面目ありません。もしかするとこれが最後かもしれない『黒サンタ』。回り回って最後にたどり着いた結論に、自分自身が驚いたのと同時に納得した公演でした。
そういえば、パンフレットに今回の公演は昭和っぽさをそのまま残したって書いてありました。ということは、アレが復活するのかなーって開演前は期待してましたが、結局ありませんでしたね。
「コードレスぅ〜」
個人的には大好きなシーンだったので残念です。まぁ令和の昭和らしさとはちょっと違うエピソードだったんでしょうね。
皆さんはいかがでしたか?
明日はいよいよクリスマスイヴ。
もしもドアチャイムが鳴ったら、とっておきの笑顔で出迎えてあげてください。
それではまた。メリークリスマス!良いお年を!
アンケート復活 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
はるか昔の大昔。1998年の年明けでしたから、今から25年前になりますか。
座キューピーマジック旗揚げ10周年になるかならないかの頃。まだ劇団公式サイトもなく、劇団の情報は元より、劇評ですら二つと見つからなかった頃。Googleの全文検索もまだ存在していなくて、Yahoo!のディレクトリ型検索だった頃のことですので、見つからなくても当たり前です。そこで知名度アップのために一肌脱ごうと、個人的にファンサイト的なものを開設したワタシでした。
2004年からは「あなたが観たい演目は?」なんてアンケートもやっていました。当時のバックアップデータを見てみると、2006年末にはプロバイダのサービスが終了するのに合わせて、サイトもアンケートも閉じたんですよね。それが今から17年も前の話となります。
せっかくなので、ついでにバックアップデータから当時のアンケートページを復元してみました。
(クリックで拡大)
懐かしい〜。こんな感じでしたね。低解像度のジャギーな画像が、古き良き時代を感じさせます。
改めて見ると200名を超えるかたから投票いただいていました。ありがたいことです。当時ご協力いただいた皆さんは、今どうしているでしょうか。今もまだ、座キューピーマジックを応援してくれていると嬉しいのですが。
さてさてそんな、観たい演目アンケートを、現代に復活させようと思いました。
あの頃より戯曲数も増えた今、現代のファンの皆さんにはどんな演目が好まれているのか知りたい、ということと、ネタを提供することでファンの推し熱を活性化できれば、少しでも今後の集客に貢献できるかなーと考えたからです。ジュールの法則万歳w!
今の時代は、オリジナルのサイトを作るのには、いささかお金がかかることもあり、何か良い方法はないかと考えまして、最終的にGoogleフォームを使うことにしました。
少し…かなり味気ない見た目で微妙な感じですが、前回と同様、多くの人に協力していただき、楽しんでもらえるといいな、と思っています。
このアンケートで次回演目が左右されるとは思いませんし、そうであってはならないとも思いますが、公演の案内があった時に、あーやっぱりそうだよねーとか、おーそうきたかとか、なんでやねんとか、そんな話題の足しの一つにでもなれば幸いです。
そして順調に観客動員数が増え、劇団解散説が(今までにも何度もあったように)笑い話で終わってしまうような、そんな未来を期待しています。
ご協力、よろしくお願いします。
座キューピーマジック旗揚げ10周年になるかならないかの頃。まだ劇団公式サイトもなく、劇団の情報は元より、劇評ですら二つと見つからなかった頃。Googleの全文検索もまだ存在していなくて、Yahoo!のディレクトリ型検索だった頃のことですので、見つからなくても当たり前です。そこで知名度アップのために一肌脱ごうと、個人的にファンサイト的なものを開設したワタシでした。
2004年からは「あなたが観たい演目は?」なんてアンケートもやっていました。当時のバックアップデータを見てみると、2006年末にはプロバイダのサービスが終了するのに合わせて、サイトもアンケートも閉じたんですよね。それが今から17年も前の話となります。
せっかくなので、ついでにバックアップデータから当時のアンケートページを復元してみました。
(クリックで拡大)
懐かしい〜。こんな感じでしたね。低解像度のジャギーな画像が、古き良き時代を感じさせます。
改めて見ると200名を超えるかたから投票いただいていました。ありがたいことです。当時ご協力いただいた皆さんは、今どうしているでしょうか。今もまだ、座キューピーマジックを応援してくれていると嬉しいのですが。
さてさてそんな、観たい演目アンケートを、現代に復活させようと思いました。
あの頃より戯曲数も増えた今、現代のファンの皆さんにはどんな演目が好まれているのか知りたい、ということと、ネタを提供することでファンの推し熱を活性化できれば、少しでも今後の集客に貢献できるかなーと考えたからです。ジュールの法則万歳w!
今の時代は、オリジナルのサイトを作るのには、いささかお金がかかることもあり、何か良い方法はないかと考えまして、最終的にGoogleフォームを使うことにしました。
少し…かなり味気ない見た目で微妙な感じですが、前回と同様、多くの人に協力していただき、楽しんでもらえるといいな、と思っています。
このアンケートで次回演目が左右されるとは思いませんし、そうであってはならないとも思いますが、公演の案内があった時に、あーやっぱりそうだよねーとか、おーそうきたかとか、なんでやねんとか、そんな話題の足しの一つにでもなれば幸いです。
そして順調に観客動員数が増え、劇団解散説が(今までにも何度もあったように)笑い話で終わってしまうような、そんな未来を期待しています。
ご協力、よろしくお願いします。
タグ:座キューピーマジック アンケート
Vol.75 ハムレットのための特別席 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
座キューピーマジック公演『Vol.75 ハムレットのための特別席』を観に行ってきました。
ここ数年はキューピーマジックプロデュースでしたが、今回からはまた劇団に戻りました。それも一般社団法人となり黒字化を目指すとのこと。さらには継続して黒字化できなければ3年後には劇団を解散する、という崖っぷちさ。
今までにも、お金がなくて幕が開かない、なんてヒヤヒヤしたことがありましたけど、座長さんのお歳もあるので、今回はかなりシビアで思いきった決定なんだな、と思います。
年2回の公演として、あと6回しかキューピーマジックの公演を観ることができないかも?ということで、今回はダブルキャストの両方を観るべく予定を組みました。少しはチケットの売り上げに貢献できるでしょうか?
泊りがけの観劇となるため、御年90歳のおばぁが家で一人きりになることが心配でしたが、ワタシの実姉が関東から留守番に来てくれるということになり、やれやれ一安心。
しかーし、とかくこの世はままならぬ。
まだ本格的な梅雨入り前だというのに、大型で強い勢力を持った台風が日本列島に急接近。梅雨前線を刺激して線状降水帯が発生。各地に甚大な被害をもたらしました。
本来なら実姉が到着してから出発する手はずだったのが、当日関東圏は在来線の運休が出て大混乱。実姉の出発は翌朝に延期となりました。
ワタシたちは車での移動になります。高速道路の通行止めが心配だったので予定どおりに出発。不本意ながら、年寄りを一晩置き去りにするということになりました。まことにもって申し訳ない。
それでも、ちょうど風雨が弱まる時間を狙ったのが功を奏して、道中は思いのほか順調でした。途中一か所冠水した道路を通る状況があったりしましたが、何とか無事に娘のアパート(キューピー観劇用前線基地)に到着できました。
その後、ネットで高速道路の状況を確認すると、かなり通行止め区間が増えてましたね。何とかセーフ。いやーかなりヤバかった。
明けて翌日。実姉からの実家到着連絡がありホッと一安心。これでようやく気兼ねなく観劇に出かけられます。
この「ハムレットのための特別席」は、再演の回数はわかりませんが、ワタシ個人の観劇としては回数の多い演目です。観劇回数が一番多いのは断然「黒いスーツのサンタクロース」で、数えてみたら合計9回でした。そしてそれに次ぐのがこの「ハムレットのための特別席」で、今回で5回目の観劇となります。
一般社団法人となり、今回を含めて今後6回の公演を予定している訳ですが、その第一発目として、劇団旗揚げ公演だった「黒いスーツのサンタクロース」ではなく、「ハムレットのための特別席」を選択したのは、それだけ思い入れの強い脚本なのでしょうね。
さてさて、いつにも増して無駄に長い前置きで恐縮です。
以下ネタバレあります。ご注意ください。
ダブルキャストの両キャスト観劇というのは、考えはしてもなかなか実行しにくいものです。経済的にもそうですが、地方に住むワタシとしては地理的なこともあって難しい。以前連休にかこつけて同じ演目を2回見たことはあったものの、ダブルキャストを両方観たことは、長いキューピー観劇人生の中でも1回もありません。
そういう意味でも今回は、エポックメイキングと言うか、画期的と言うか、前代未聞と言うか、空前絶後と言うか…なんせとてつもなく大変な試みなのです。
1回目は土曜日のマチネでキャストはBチーム。2回目は日曜日のこれまたマチネでAチームでした。
今まで別キャストを連続で観ることはなかったので、とても新鮮でしたね。それも予想よりずっと役作りの方向が違ってて、続けて観て飽きることはありませんでした。
比べてどうこう言うつもりはありませんが、全体的な印象として、Bチームは落ち着いた重厚感のある感じ、Aチームは少し若々しくて明るく観えました。上手く伝わるかわかりませんけど、昭和なBチームと令和なAチーム?そんな風に、不思議と時代が違ったような印象を受けました。他の日、他の回がどうだったのかはわかりません。おそらくそれぞれ少しずつ違うはず。よく、演劇は生き物だ、と言いますが、本当にそう感じますね。
どちらの回も大変楽しませていただきました。泣いて笑って…いや泣きながら笑って、笑いながら泣いての2時間。また明日から頑張ろう、そんな気持ちになりました。
以前の記事にも良く書きましたが、キューピーマジックの公演って泣きと笑いが唐突に入れかわるんですよね。感情をすごく揺さぶられるというか。だから観終わった後、とてもすっきりした気持ちになります。ただ単に、あー面白かった、で終わらない何かがあります。
いろんな感情を吐き出して吐き出して、吐き出しつくして、最後の最後に、ふんわりと暖かい、優しい気持ちが残る…みたいな。
いまふうに言うと、キューピーマジックはデトックスなんですかね。座長の田窪さんがよく「台詞はうんこだ」と言ってますが、観客のデトックスとも相まって、公演終了後の劇場には、大量のうんこや老廃物が積み上がっていますねきっと笑。さぞかしお掃除が大変だったことでしょう(合掌)。
前回4年前に観た『Vol.70 ハムレットのための特別席』では、どちらかと言うと父親から子供たちを見る視点で観ていたこの演目。今回は何というか、自分から自分を見る感じで観てました。
話は飛びますが、実は最近の記事にも書いたように、ワタシは定年退職を機に大学生になりました。高卒だったワタシは昔からずっと大学で勉強したいと思い続けてきました。それがある時、中学校時代の恩師に触発されたことや、コロナ禍のためほとんどの授業がオンラインで行われるので、通学のハードルが下がったこともあります。
関連記事:
2015/07/08 『40年ぶりの家庭訪問』
2023/01/28 『はいっ、そうします先生っ!』
2023/04/08 『春は出会いと別れの季節』
そんなこんなで希望に燃えて入学してからわずか2か月。最近何か違和感を感じていました。自分は理数系だと思ってきたのに。数学大好きだったのに。
オモッテタノトナニカチガウ…。
最近かなりモチベーションが下がり気味な毎日を送っていました。
関連記事:
2023/05/11 『現実逃避』
「こんなワクワクする気持ち、おとうさんにはあるっ?」
「そんなのはな、若い時には誰だって!」
「お父さんにもあったのっ?」
「そりゃもちろん」
「いつ失くしたのっ?なぜ失くしたのっ?」
うろおぼえのため、おおざっぱな意訳(汗)ですが。
くるみが圭介にたたみかけるこの場面は、この演目一番のクライマックスです。もう胸ぐらをつかまれてグワングワン揺さぶられる感じです。息を止めて我慢しないと目から涙が飛び散ってしまいそうなんです。
でもどっぷりと物語に浸かっていながらも、ワタシの頭のどこかで、若かったワタシが叫ぶ声も聞こえていました。
「数式を解く時のあのワクワク感は…」
「解き終えた後の充実感は…」
「…いつ失くしたのっ?」
いつのまにか、くるみがワタシに向かって叫んでいるような気がしました。そして、くるみが放つ言葉の一つ一つが、ワタシの心に突き刺さりました。
ほんとにね。
いつもこれだ。
もうね、なんなの?って。
キューピーマジックの公演を観に来るといつもそう。
その時その時で悩んでいること、困っていること、そんなところをピンポイントで突いてくる。舞台を観ながら、グサグサ刺されて血だらけな気持ちになることがよくある。
でも不思議と、公演が終わると、何だろう…ぽかぽかと暖かい気持ちしか残らない。なぜだ?
これがキューピーマジックのデトックス効果なのか?
帰り道に喫茶店で行う恒例の「振り返りの会」で、家族みんなからどう思った?と聞かれ、こう答えました。
「勉強しよ…」
このところ、課題から逃げてばかりのワタシ。
同じ学生仲間の息子パイセンには、偉そうなことは言えません。
「ほんと親にはカッコ良くいて欲しいよね」
娘にはダメ押しでバッサリ斬られ。
ああもう何なん?やりゃあいいんでしょやりゃあ。などと不貞腐れつつ、それでも少しは前向きになれたような気がします。
やっぱりデトックスなのか?
息子によると…。
「どの年齢層にも刺さる普遍的な内容」だそうな。諦めたり妥協したことがある人間すべてに刺さる演目だ、と。
あーグサグサ刺されて血だらけなのはワタシだけじゃなかったのね。
みなさんはいかがでしたか。
ここ数年はキューピーマジックプロデュースでしたが、今回からはまた劇団に戻りました。それも一般社団法人となり黒字化を目指すとのこと。さらには継続して黒字化できなければ3年後には劇団を解散する、という崖っぷちさ。
今までにも、お金がなくて幕が開かない、なんてヒヤヒヤしたことがありましたけど、座長さんのお歳もあるので、今回はかなりシビアで思いきった決定なんだな、と思います。
年2回の公演として、あと6回しかキューピーマジックの公演を観ることができないかも?ということで、今回はダブルキャストの両方を観るべく予定を組みました。少しはチケットの売り上げに貢献できるでしょうか?
泊りがけの観劇となるため、御年90歳のおばぁが家で一人きりになることが心配でしたが、ワタシの実姉が関東から留守番に来てくれるということになり、やれやれ一安心。
しかーし、とかくこの世はままならぬ。
まだ本格的な梅雨入り前だというのに、大型で強い勢力を持った台風が日本列島に急接近。梅雨前線を刺激して線状降水帯が発生。各地に甚大な被害をもたらしました。
本来なら実姉が到着してから出発する手はずだったのが、当日関東圏は在来線の運休が出て大混乱。実姉の出発は翌朝に延期となりました。
ワタシたちは車での移動になります。高速道路の通行止めが心配だったので予定どおりに出発。不本意ながら、年寄りを一晩置き去りにするということになりました。まことにもって申し訳ない。
それでも、ちょうど風雨が弱まる時間を狙ったのが功を奏して、道中は思いのほか順調でした。途中一か所冠水した道路を通る状況があったりしましたが、何とか無事に娘のアパート(キューピー観劇用前線基地)に到着できました。
その後、ネットで高速道路の状況を確認すると、かなり通行止め区間が増えてましたね。何とかセーフ。いやーかなりヤバかった。
明けて翌日。実姉からの実家到着連絡がありホッと一安心。これでようやく気兼ねなく観劇に出かけられます。
この「ハムレットのための特別席」は、再演の回数はわかりませんが、ワタシ個人の観劇としては回数の多い演目です。観劇回数が一番多いのは断然「黒いスーツのサンタクロース」で、数えてみたら合計9回でした。そしてそれに次ぐのがこの「ハムレットのための特別席」で、今回で5回目の観劇となります。
一般社団法人となり、今回を含めて今後6回の公演を予定している訳ですが、その第一発目として、劇団旗揚げ公演だった「黒いスーツのサンタクロース」ではなく、「ハムレットのための特別席」を選択したのは、それだけ思い入れの強い脚本なのでしょうね。
さてさて、いつにも増して無駄に長い前置きで恐縮です。
以下ネタバレあります。ご注意ください。
ダブルキャストの両キャスト観劇というのは、考えはしてもなかなか実行しにくいものです。経済的にもそうですが、地方に住むワタシとしては地理的なこともあって難しい。以前連休にかこつけて同じ演目を2回見たことはあったものの、ダブルキャストを両方観たことは、長いキューピー観劇人生の中でも1回もありません。
そういう意味でも今回は、エポックメイキングと言うか、画期的と言うか、前代未聞と言うか、空前絶後と言うか…なんせとてつもなく大変な試みなのです。
1回目は土曜日のマチネでキャストはBチーム。2回目は日曜日のこれまたマチネでAチームでした。
今まで別キャストを連続で観ることはなかったので、とても新鮮でしたね。それも予想よりずっと役作りの方向が違ってて、続けて観て飽きることはありませんでした。
比べてどうこう言うつもりはありませんが、全体的な印象として、Bチームは落ち着いた重厚感のある感じ、Aチームは少し若々しくて明るく観えました。上手く伝わるかわかりませんけど、昭和なBチームと令和なAチーム?そんな風に、不思議と時代が違ったような印象を受けました。他の日、他の回がどうだったのかはわかりません。おそらくそれぞれ少しずつ違うはず。よく、演劇は生き物だ、と言いますが、本当にそう感じますね。
どちらの回も大変楽しませていただきました。泣いて笑って…いや泣きながら笑って、笑いながら泣いての2時間。また明日から頑張ろう、そんな気持ちになりました。
以前の記事にも良く書きましたが、キューピーマジックの公演って泣きと笑いが唐突に入れかわるんですよね。感情をすごく揺さぶられるというか。だから観終わった後、とてもすっきりした気持ちになります。ただ単に、あー面白かった、で終わらない何かがあります。
いろんな感情を吐き出して吐き出して、吐き出しつくして、最後の最後に、ふんわりと暖かい、優しい気持ちが残る…みたいな。
いまふうに言うと、キューピーマジックはデトックスなんですかね。座長の田窪さんがよく「台詞はうんこだ」と言ってますが、観客のデトックスとも相まって、公演終了後の劇場には、大量のうんこや老廃物が積み上がっていますねきっと笑。さぞかしお掃除が大変だったことでしょう(合掌)。
前回4年前に観た『Vol.70 ハムレットのための特別席』では、どちらかと言うと父親から子供たちを見る視点で観ていたこの演目。今回は何というか、自分から自分を見る感じで観てました。
話は飛びますが、実は最近の記事にも書いたように、ワタシは定年退職を機に大学生になりました。高卒だったワタシは昔からずっと大学で勉強したいと思い続けてきました。それがある時、中学校時代の恩師に触発されたことや、コロナ禍のためほとんどの授業がオンラインで行われるので、通学のハードルが下がったこともあります。
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2015/07/08 『40年ぶりの家庭訪問』
2023/01/28 『はいっ、そうします先生っ!』
2023/04/08 『春は出会いと別れの季節』
そんなこんなで希望に燃えて入学してからわずか2か月。最近何か違和感を感じていました。自分は理数系だと思ってきたのに。数学大好きだったのに。
オモッテタノトナニカチガウ…。
最近かなりモチベーションが下がり気味な毎日を送っていました。
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2023/05/11 『現実逃避』
「こんなワクワクする気持ち、おとうさんにはあるっ?」
「そんなのはな、若い時には誰だって!」
「お父さんにもあったのっ?」
「そりゃもちろん」
「いつ失くしたのっ?なぜ失くしたのっ?」
うろおぼえのため、おおざっぱな意訳(汗)ですが。
くるみが圭介にたたみかけるこの場面は、この演目一番のクライマックスです。もう胸ぐらをつかまれてグワングワン揺さぶられる感じです。息を止めて我慢しないと目から涙が飛び散ってしまいそうなんです。
でもどっぷりと物語に浸かっていながらも、ワタシの頭のどこかで、若かったワタシが叫ぶ声も聞こえていました。
「数式を解く時のあのワクワク感は…」
「解き終えた後の充実感は…」
「…いつ失くしたのっ?」
いつのまにか、くるみがワタシに向かって叫んでいるような気がしました。そして、くるみが放つ言葉の一つ一つが、ワタシの心に突き刺さりました。
ほんとにね。
いつもこれだ。
もうね、なんなの?って。
キューピーマジックの公演を観に来るといつもそう。
その時その時で悩んでいること、困っていること、そんなところをピンポイントで突いてくる。舞台を観ながら、グサグサ刺されて血だらけな気持ちになることがよくある。
でも不思議と、公演が終わると、何だろう…ぽかぽかと暖かい気持ちしか残らない。なぜだ?
これがキューピーマジックのデトックス効果なのか?
帰り道に喫茶店で行う恒例の「振り返りの会」で、家族みんなからどう思った?と聞かれ、こう答えました。
「勉強しよ…」
このところ、課題から逃げてばかりのワタシ。
同じ学生仲間の息子パイセンには、偉そうなことは言えません。
「ほんと親にはカッコ良くいて欲しいよね」
娘にはダメ押しでバッサリ斬られ。
ああもう何なん?やりゃあいいんでしょやりゃあ。などと不貞腐れつつ、それでも少しは前向きになれたような気がします。
やっぱりデトックスなのか?
息子によると…。
「どの年齢層にも刺さる普遍的な内容」だそうな。諦めたり妥協したことがある人間すべてに刺さる演目だ、と。
あーグサグサ刺されて血だらけなのはワタシだけじゃなかったのね。
みなさんはいかがでしたか。
Vol.74 ルームメイト 座キューピーマジック(追記あり) [座キューピーマジック]
座キューピーマジック公演『Vol.74 ルームメイト』を観てきました。
今回も前回に続いてみんなの予定がついたため、カミサンと子供たちと、フルメンバーでの観劇となりました。
今回は、東京で一人暮らしの娘のアパートまでは車。
そこで娘と合流し、都内は電車移動ということにしました。
そのほうが時間が読めて早いのでね。
久しぶりの都内の電車。
コロナ以前はたまに本社出張などで電車を使うことはありましたが、あれからもう何年経ったんだろう。
思い出せないほど昔のことのようです。
田舎暮らしでのドアtoドアの生活に慣れた人間には、都会の電車移動は苦痛ですね。
駅での乗り換えに歩く距離ですら、田舎なら車を使いますもん(笑)。
そんなこんなで、事前に予定したスケジュールに従って、何事もなく予定通りに下北沢の地に立つことができました。
この「ルームメイト」という演目。
前回は6年前。『豆Vol.10 ルームメイト』でした。
豆キューピッド(以後豆公演)っていうのは、本公演とは違い、若手を主体にした公演で、団員の脚本だったり演出だったり、はたまたその昔は歌や踊りまで繰り出す、実験的公演のことを言います。
とはいえ、ここ20年ほど前からの豆公演は、ほとんど本公演と言っても良いほどの高い完成度を観せてくれるようになっています。
前回のルームメイトも御多分に洩れず、かなり楽しめた公演だったことを憶えています。
が、当時主役を演じていた女優さんお二人としては不完全燃焼だったようで、今回改めてリベンジしたいという希望があり、本公演として「ルームメイト」を演目とした、ということだそうです。
6年も前の公演のリベンジ。
すごいこだわりですね。
例によって土曜日のマチネ。
今回も主役がダブルキャストでしたが、たまたま前回の主演女優と同じ配役のBパターン回。
楽しみ倍増です。
前置きはこれくらいにして。
以下ネタバレあります。
ご注意ください。
もともとこの「ルームメイト」という演目は、個人的にも非常に好きな演目で(いや別にキューピーマジックに嫌いな演目などないのですが)。
それだけでワクワクが止まらない、な気持ちで客席に座りました。
勝手知ったる物語。
と思っていたところ、かなりリライトが入ったことと、演出が大きく変わった?のか、冒頭から「あれ?別物?」という印象を受けました。
以前の「平成なルームメイト」から「令和のルームメイト」に模様替えしたような感じ。
でも、嫌な感じも違和感もなく、これはこれで「新しいルームメイト」としてすごく自然に入り込み、楽しむことができました。
印象が違った理由の一つとして。
まず前半のコメディ色が強くなった気がしました。
以前はもっと息詰まった感じ、鬱々とした感じが、冒頭から漂ってたように思います。
それに対して、明るく、軽くなった印象を受けました。
そしてもう一つ。
主役のウエイト配分が大きく違く観えたんですよね。
前のルームメイトでは、亜由美と葉子(役名は違ったかもしんない)の二人が、二人とも同レベルで主役、といった感覚を憶えていたのですが、今回は亜由美の方が7〜8割がた主役配分が高いように観えました。
亜由美の方が主役で、葉子は強いて言えば準主役、といった感じでしょうか。
もう冒頭しょっぱなから「これ前と違うぞ?」と思えて、思わずちょっと座り直しました。
そんな感じで、新しい演目、新解釈ルームメイト。
言ってみれば「シン・ルームメイト」。
今回の観劇は、そんな新鮮な気持ちで楽しめました。
とは言え、物語としては大きくは変わっていません。
亜由美の苦しみ、絶望感、そして無力感。
それに対する、葉子のどこまでも優しい笑顔。
この対比が、もう、ぐいぐい来ます。
崖っぷち?土俵際?まで、ぐいぐい押されてしまう感じ。
同じ毎日がこれでもかこれでもか、と繰り返され、亜由美と一緒に自分の胸が押しつぶされるようでした。
前半のライトな感じが、打って変わってこの後半に大きく効いてきます。
すごく練られた演出だったんですね。
この「ルームメイト」という演目。
今回改めて違う方向から観た気がして、今までと違う切り口が見えました。
それはいみじくもワタシの心の師匠、御所河原さゆり先生がおっしゃった言葉。
「元には戻れないが先に進むことはできる」
「もう一度、覚悟を決めて飛び降りるのじゃ」
この台詞を聴いてハッとしました。
今まで60年間生きてきて、失敗したこと、上手くいかなかったことが、数限りなくありました。
何度やっても、何度やっても、上手くいかない。
「なぜ上手くいかないのか」
それはその都度、人のせいにしたり、時代のせいにしたり、周りのせいにしてきたような気がします。
そんな甘えた記憶に、御所河原さゆり先生にビシッと言われた気がしました。
「覚悟」
その「なぜ」の答えは、今考えると「覚悟」だったように思います。
覚悟のない努力、覚悟のない挑戦には、結果はついてこない。
確かに、今までの数多くの失敗、そこに「本当の覚悟」はあったのか?
思いがけず、人生の極意?を突きつけられたような気がしました。
…いや、60年も生きてきて、今更言われても(汗)。
そんな言い訳は、御所河原さゆり先生には通用しません。
はい、わかりました。
今後何年生きられるかわかりませんが、残りの人生、「覚悟」を持って生きていきます。
おそらく物語とは全く違った、的外れの感想だとは思います。
とは言え、今までの「ルームメイト」からは絶対になかったであろう、この気づき。
ここにあえて書き残して、これからもずっと大切にしていこうと思います。
さて観劇終わってからの家族そろっての振り返りの会。
帰りに喫茶店に寄って、家族それぞれ感じたことを語り、疑問点をみんなで解消する会です。
「語彙力ないけれども」
今年19歳になった準成人w。
息子の言うには。
登場人物、みんなの気持ちが、それぞれ一方通行なことに、凄いなと思ったそうです。
自分が一番思いを持つ相手。亜由美は当然、葉子です。
葉子は亜由美か?というとそうでもない。自身のセリフにもあったし、自分の悩みを亜由美に打ち明けないこと、などから、本当に思いの強い相手とは、不倫相手なのだろうと。
では不倫相手はどうか?というと。サリナの病気を知って葉子と別れる件があり、サリナかと思わせますが、もしかすると「愛娘を大事にする自分スゲー」的なナルシストなのかも知れず。と考えると大事にしている相手というのは、案外自分なのではないか。
サリナもその母親も当然、不倫をしてた父親。
妹真由美は当然、姉亜由美を思っているし。
タマコは最後に、葉子のことを実妹に重ねていることがわかり。
どこにも思う相手への矢印が相対していない。すべてが片想いで形作られている物語。
それがすごい、と息子は言います。
息子的には、亜由美の葉子への感情について、愛情(LGBTのL)があると言っていましたが、ワタシも含め、他の家族はその件については少し懐疑的。
一か月も毎日毎日目の前で飛び降りるのを見せつけられて、精神的に追い詰められていることも、かなりな部分あるのではないか、他の家族はそういう感想でした。
厨二を自称する本人、そこはある程度偏った見方だとは意識しているようですが。
さて、圧巻はそこから。
息子曰く。
「幽霊たちも含めて、みんながルームメイトだという、そこも凄いね」
ワタシもみんなも「おーっ!」思わず感嘆の声を上げました。
そこまでは気づかなかったわー。
オマエ、ナニモノ?
お前も充分凄いよ!
もしかして、ウチの子供たちの感性を育て育んでいるのは、親でも何でもなく、キューピーマジックの観劇なのではないか?
うーん、確かに、学校の勉強よりも、キューピーマジックの公演の方が、人生のためになる、のかもしれません。
座キューピーマジック、宗教法人化したほうがいいかもね。
皆さんはいかがでしたか?
2022年3月10日追記:
いまさらですが書き忘れてたことがありました。
ま、わかっている方はわかっていたとは思いますが。
今回2022年10月公演の『Vol.74 ルームメイト』のチラシ絵と、直近の同じ演目2016年11月『豆Vol.10 ルームメイト』のハガキ絵の構図が同じなんです。
『豆Vol.10 ルームメイト』
観劇後の振り返りの会で話題になったのに、記事に書くのをすっかり忘れていました。
前回のリベンジ、という意気込みが、ここにも表れているんですね。
すごいなー。
今回も前回に続いてみんなの予定がついたため、カミサンと子供たちと、フルメンバーでの観劇となりました。
今回は、東京で一人暮らしの娘のアパートまでは車。
そこで娘と合流し、都内は電車移動ということにしました。
そのほうが時間が読めて早いのでね。
久しぶりの都内の電車。
コロナ以前はたまに本社出張などで電車を使うことはありましたが、あれからもう何年経ったんだろう。
思い出せないほど昔のことのようです。
田舎暮らしでのドアtoドアの生活に慣れた人間には、都会の電車移動は苦痛ですね。
駅での乗り換えに歩く距離ですら、田舎なら車を使いますもん(笑)。
そんなこんなで、事前に予定したスケジュールに従って、何事もなく予定通りに下北沢の地に立つことができました。
この「ルームメイト」という演目。
前回は6年前。『豆Vol.10 ルームメイト』でした。
豆キューピッド(以後豆公演)っていうのは、本公演とは違い、若手を主体にした公演で、団員の脚本だったり演出だったり、はたまたその昔は歌や踊りまで繰り出す、実験的公演のことを言います。
とはいえ、ここ20年ほど前からの豆公演は、ほとんど本公演と言っても良いほどの高い完成度を観せてくれるようになっています。
前回のルームメイトも御多分に洩れず、かなり楽しめた公演だったことを憶えています。
が、当時主役を演じていた女優さんお二人としては不完全燃焼だったようで、今回改めてリベンジしたいという希望があり、本公演として「ルームメイト」を演目とした、ということだそうです。
6年も前の公演のリベンジ。
すごいこだわりですね。
例によって土曜日のマチネ。
今回も主役がダブルキャストでしたが、たまたま前回の主演女優と同じ配役のBパターン回。
楽しみ倍増です。
前置きはこれくらいにして。
以下ネタバレあります。
ご注意ください。
もともとこの「ルームメイト」という演目は、個人的にも非常に好きな演目で(いや別にキューピーマジックに嫌いな演目などないのですが)。
それだけでワクワクが止まらない、な気持ちで客席に座りました。
勝手知ったる物語。
と思っていたところ、かなりリライトが入ったことと、演出が大きく変わった?のか、冒頭から「あれ?別物?」という印象を受けました。
以前の「平成なルームメイト」から「令和のルームメイト」に模様替えしたような感じ。
でも、嫌な感じも違和感もなく、これはこれで「新しいルームメイト」としてすごく自然に入り込み、楽しむことができました。
印象が違った理由の一つとして。
まず前半のコメディ色が強くなった気がしました。
以前はもっと息詰まった感じ、鬱々とした感じが、冒頭から漂ってたように思います。
それに対して、明るく、軽くなった印象を受けました。
そしてもう一つ。
主役のウエイト配分が大きく違く観えたんですよね。
前のルームメイトでは、亜由美と葉子(役名は違ったかもしんない)の二人が、二人とも同レベルで主役、といった感覚を憶えていたのですが、今回は亜由美の方が7〜8割がた主役配分が高いように観えました。
亜由美の方が主役で、葉子は強いて言えば準主役、といった感じでしょうか。
もう冒頭しょっぱなから「これ前と違うぞ?」と思えて、思わずちょっと座り直しました。
そんな感じで、新しい演目、新解釈ルームメイト。
言ってみれば「シン・ルームメイト」。
今回の観劇は、そんな新鮮な気持ちで楽しめました。
とは言え、物語としては大きくは変わっていません。
亜由美の苦しみ、絶望感、そして無力感。
それに対する、葉子のどこまでも優しい笑顔。
この対比が、もう、ぐいぐい来ます。
崖っぷち?土俵際?まで、ぐいぐい押されてしまう感じ。
同じ毎日がこれでもかこれでもか、と繰り返され、亜由美と一緒に自分の胸が押しつぶされるようでした。
前半のライトな感じが、打って変わってこの後半に大きく効いてきます。
すごく練られた演出だったんですね。
この「ルームメイト」という演目。
今回改めて違う方向から観た気がして、今までと違う切り口が見えました。
それはいみじくもワタシの心の師匠、御所河原さゆり先生がおっしゃった言葉。
「元には戻れないが先に進むことはできる」
「もう一度、覚悟を決めて飛び降りるのじゃ」
この台詞を聴いてハッとしました。
今まで60年間生きてきて、失敗したこと、上手くいかなかったことが、数限りなくありました。
何度やっても、何度やっても、上手くいかない。
「なぜ上手くいかないのか」
それはその都度、人のせいにしたり、時代のせいにしたり、周りのせいにしてきたような気がします。
そんな甘えた記憶に、御所河原さゆり先生にビシッと言われた気がしました。
「覚悟」
その「なぜ」の答えは、今考えると「覚悟」だったように思います。
覚悟のない努力、覚悟のない挑戦には、結果はついてこない。
確かに、今までの数多くの失敗、そこに「本当の覚悟」はあったのか?
思いがけず、人生の極意?を突きつけられたような気がしました。
…いや、60年も生きてきて、今更言われても(汗)。
そんな言い訳は、御所河原さゆり先生には通用しません。
はい、わかりました。
今後何年生きられるかわかりませんが、残りの人生、「覚悟」を持って生きていきます。
おそらく物語とは全く違った、的外れの感想だとは思います。
とは言え、今までの「ルームメイト」からは絶対になかったであろう、この気づき。
ここにあえて書き残して、これからもずっと大切にしていこうと思います。
さて観劇終わってからの家族そろっての振り返りの会。
帰りに喫茶店に寄って、家族それぞれ感じたことを語り、疑問点をみんなで解消する会です。
「語彙力ないけれども」
今年19歳になった準成人w。
息子の言うには。
登場人物、みんなの気持ちが、それぞれ一方通行なことに、凄いなと思ったそうです。
自分が一番思いを持つ相手。亜由美は当然、葉子です。
葉子は亜由美か?というとそうでもない。自身のセリフにもあったし、自分の悩みを亜由美に打ち明けないこと、などから、本当に思いの強い相手とは、不倫相手なのだろうと。
では不倫相手はどうか?というと。サリナの病気を知って葉子と別れる件があり、サリナかと思わせますが、もしかすると「愛娘を大事にする自分スゲー」的なナルシストなのかも知れず。と考えると大事にしている相手というのは、案外自分なのではないか。
サリナもその母親も当然、不倫をしてた父親。
妹真由美は当然、姉亜由美を思っているし。
タマコは最後に、葉子のことを実妹に重ねていることがわかり。
どこにも思う相手への矢印が相対していない。すべてが片想いで形作られている物語。
それがすごい、と息子は言います。
息子的には、亜由美の葉子への感情について、愛情(LGBTのL)があると言っていましたが、ワタシも含め、他の家族はその件については少し懐疑的。
一か月も毎日毎日目の前で飛び降りるのを見せつけられて、精神的に追い詰められていることも、かなりな部分あるのではないか、他の家族はそういう感想でした。
厨二を自称する本人、そこはある程度偏った見方だとは意識しているようですが。
さて、圧巻はそこから。
息子曰く。
「幽霊たちも含めて、みんながルームメイトだという、そこも凄いね」
ワタシもみんなも「おーっ!」思わず感嘆の声を上げました。
そこまでは気づかなかったわー。
オマエ、ナニモノ?
お前も充分凄いよ!
もしかして、ウチの子供たちの感性を育て育んでいるのは、親でも何でもなく、キューピーマジックの観劇なのではないか?
うーん、確かに、学校の勉強よりも、キューピーマジックの公演の方が、人生のためになる、のかもしれません。
座キューピーマジック、宗教法人化したほうがいいかもね。
皆さんはいかがでしたか?
2022年3月10日追記:
いまさらですが書き忘れてたことがありました。
ま、わかっている方はわかっていたとは思いますが。
今回2022年10月公演の『Vol.74 ルームメイト』のチラシ絵と、直近の同じ演目2016年11月『豆Vol.10 ルームメイト』のハガキ絵の構図が同じなんです。
『豆Vol.10 ルームメイト』
観劇後の振り返りの会で話題になったのに、記事に書くのをすっかり忘れていました。
前回のリベンジ、という意気込みが、ここにも表れているんですね。
すごいなー。
Vol.73 僕と真夜中の僕 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
座キューピーマジックの公演『Vol.73 僕と真夜中の僕』を観てきました。
新型コロナ後、初めての観劇となります。
さかのぼれば、コロナ直前の2019年12月に観たのが『Vol.71 最後のブラッディマリー』でした。そこから1年半の暗黒時代を経て、2021年5月に『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』でコロナ後復活公演がありましたが、ちょうど緊急事態宣言延長があったこともあり、その時は直前で泣く泣くチケットをキャンセルしたのでした。
関連記事:
2019/12/03 『Vol.71 最後のブラッディマリー』
2021/06/04 『べきからの生還』
それからまたさらに1年の歳月が流れました。ワタシ的にはもう2年半のブランクとなります。宣言もマンボウも出ていない今がチャンス。ワタシだけでなくカミサンも子供たちも、今回は何が何でも観に行く決意を固めていました。
今春から社会人となった娘は、まだ研修中でもあり最後の最後まで微妙でしたが、直前で何とか都合がつき、待ちに待った久しぶりのキューピー観劇はフルメンバーとなりました。
今回は、楽日、楽ステ。ダブルキャストのBパターンでした。
いつものとおり人数が多いので、今回も車での移動です。当日は、劇団の皆さんに差し入れを購入したり、一人暮らしの娘を迎えに行ったりで、少しギリギリのスケジュールでした。
劇場から離れた駐車場に着いた時は、すでに客入れが始まっている時間。慌てながらの会場入りでしたが、最奥席にバラけながらも、何とかみんな着席できました。いやーちょっとヤバかったかも(汗)。
今回の演目『僕と真夜中の僕』は、今までも何回か観ていたような気がしてましたが、blog記事をさかのぼってみると、どうも1回しか観てませんでしたね。それも17年前です。ひーっ!
関連記事:
2005/04/30 『Vol.43 僕と真夜中の僕』
え~そうだっけ?息子のキューピーマジック初観劇って、この演目だとばかり思ってましたが、そうじゃなかったんだ…。
改めて記事を探ると、息子の初観劇は『Vol.54 道化師の森』でした。
人の記憶ってこんなにも曖昧なんですね。いや、ワタシの記憶が、ですか。
さてまたまた長い前置きはこれくらいにして。
以下、ネタバレあります。
ご注意ください。
久しぶりに観るキューピーマジックは、カラカラに乾いた身体に、しみわたるようでした。でも1回くらいじゃ全然足りない。あと5回くらい続けて観たかった。
パンフレットには、リライトで台本が6ページも減ったと書かれてました。あっという間に感じたのは、メリハリがあってテンポが良かっただけでなく、実際に上演時間が短かめだったのかな?それほど、観ていて全然疲れませんでした。
キューピーマジックと言えば、リアルな演技が真骨頂で、つぶやくような台詞が多かったりするのですが、今回は違いました。絶叫芝居か?と思うほど、声を荒げるシーンが多かったです。でもそれが鼻についたり違和感を感じたりということもなく、リアルな感情の爆発を感じましたね。
また、客席に向かって独り言を言うシーンも多かったのですが、なんだろう、いわゆる演劇っぽい独白場面ではなくて、透明なアパートの壁をとおして観ているような感じを受けました。顔や身体は客席に向いていたとしても、台詞は観客に向いているのではなく、目に見えない壁か、あるいは役者自身に向かっていることがわかるんです。それも驚いたことに複数の役者さんで感じました。あまりにリアル。あまりに自然。だから観てるほうは、透明な壁をとおして、部屋をのぞき見しているような気分になるんですね。
舞台は、主人公伸也のアパートの部屋から、一歩も動きません。それなのに、いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきては、様々なトラブルを巻き起こすので、場面転換がないことがまったく気になりません。
今になって考えると、登場人物それぞれの個性が際立っていた、ということもあると思います。脇役なんて誰もいない。みんながみんなそれぞれの人生で主人公を演じ、必死で生きている、魅力的で愛すべき人たちでした。
キャラが立つ、とはこういうことを言うんだなー、と思いました。
久しぶりと言えば、ソワレもまた久しぶり。
本当は、幕が閉じたら速攻で帰らなくてはならないところ。
しかし、そうはキューピーマジックが卸さない(笑)。
息子は劇場を出てから、もうすぐにでも語りたい様子。いや、息子だけでなく、みんな語りたくて語りたくてウズウズ。とても駐車場まで待てません。結局、いつもの茶店で、いつもの反省会(娘いわく、振り返りの会)となりました。
それもソワレだったため長居もできず、ラストオーダーの声で、続きは車の中。何だかんだ言って、みんないつまでもキューピーの余韻に浸りたいのです。
息子は開口一番。
「今回の舞台は、他の誰でもない、オレのための舞台だった!」
確かに、舞台が始まってすぐに、これは子供たち、とりわけ息子に一番刺さるな、って予感がしました。まさしく思ったとおりです。
5年間、役者という夢を追い続けてきたものの、なかなか思うようにいかず、疲れや焦りが積もり積もって、精神的に追い詰められた主人公、伸也。
中学生までは具体的に持っていた夢が、進学と同時に見えなくなってしまい、日々の課題と考査と進路選択に追い詰められている、ウチの息子。
シチュエーションは違えど、崖っぷちさ加減は近いものがあるのかもしれません。
息子「それでも伸也は、追いかける夢があるから羨ましい」
切実な思いが溢れます。
しかし、どうなんだろう?とワタシは考えます。
父親のことが嫌いで、高校卒業から8年間ほど東京で暮らしていたワタシ。その後何だかんだと紆余曲折があって、最終的に実家に戻ることにしたワタシ。伸也と同じように、実家に帰る帰らないで悩んでいた時のことが、今でもはっきりと思い出せます。
そしてそんなワタシは、もっとひねくれた見方をします。
伸也は本当に役者になることが夢なんだろうか。
もしかしたら本当は、実家のしがらみから逃れたいから、口うるさい父親から逃げ出したいから、単に役者になるという夢を口実にしているだけなのではないか。
父親が「今度はどうなんだ?」と詰め寄るシーンでも、煮え切らない態度の伸也。そんなところも、役者を目指すのは口実、と思わせるのです。
「父親は『今度は大丈夫!』『僕は本気なんだ!』という言葉が聞きたかっただけ、伸也の覚悟を確認したかっただけで、本当に連れ戻しに来たわけじゃないと思う」
息子がきっぱりと言いました。
それはワタシもまったく同意見。
だよね。たぶん、嘘でも何でも、覚悟を示せば、父親はそれで納得して帰っていった、と思うのですよ。父親としては、伸也が役者を目指すということが、単なる東京に住むための口実じゃない、と信じたかっただけなんです。
まあそこを上手く言えないところが、伸也の性格なのかもしれません。
「それにしても…」と、息子は続けます。
「何だかんだ言ったって、モテモテじゃん?伸也」
それなっ!
あんなウジウジとした劣等感の塊みたいな男に、周りの女性たちはなんで魅力を感じるのだ?
そこをウチの女性陣(カミサンと娘)に聞いてみました。
娘「うーん、優しそうだし…イケメンだしね(笑)」
でしょうよ。
くそう、イケメン最強かよ!
娘「でも、あんなにみんなが集まってくるほど、居心地が良いってことが魅力なんじゃないかな。本人は気付いていないけど」
カミサン「何だかんだ言って、みんなに好かれているうえに、そもそも大学4年間+5年間の仕送りとか、かなり恵まれてると思うよ」
そうなんです。本人は気付いていないことが多すぎます。
あれだけのみんなに愛されていることに、これっぽっちも気付いていない。周りが全然見えていない。自分のことでいっぱいいっぱいなんで、しょうがないか。おぼっちゃま、だってことですよ。
とか言うワタシも、人のことは言えないのかもしれません。
「周りを良く見ろ。自分がどれほど恵まれているか自覚しろ」
この公演では、ワタシにも、そんなふうにガツンと言われたような気がします。
何か伸也のことだけで、めっちゃ長くなってしまいました。
今回は、登場人物みんながそれぞれに良くて、個々に掘り下げたらきりがありません。
例えば、ワタシとカミサンが疑問だったのが、謎の男(テツヤ)が消えていく際に何故あれほど苦しむのか、ということです。母親に自分が見えることがわかって成仏する、という解釈ではわからない、あの断末魔の苦しみかたには違和感を感じます。
これは17年前に観た公演でも同じ感想でしたね。
ところが。
「あれは成仏じゃない」と息子は言います。
母親が最初にテツヤを見て「あなた誰ですか?」と聞きますね。
自分が息子であることに気づかなかった母親。あるいは、母親の中で自分は既に過去の存在になっている。それに絶望して消えていくのだ、というのが息子の解釈。
そして、娘はそれを推し進め、さらなる新解釈。
自分が伸也になりかわったところで、周りの人は結局それを伸也としか見ない。誰も自分を自分として見てくれる人はいない。それに気づいて絶望するのよ、と。
息子「成仏じゃない。ただ消えていくんだ」
なるほど。さもありなん。
もしかしたら絶望とかでもなく、子供たちの言うようなそれに気づいたことで、この世に存在できなくなってしまった。でもテツヤとしては、まだ母親の側にいたい。もっと話をしたい。いやだ消えたくない。待ってくれ。もう少しだけ待ってくれ!そんな感じだったのかも。最後は母親に手を伸ばしてたしね。苦しいのではなく、悲しかったんだ。
子供たちの解釈を聞いていて、そんなふうにも思えてきました。
実際、何度も何度も再演を続けてきてもなお、テツヤがああいう形で消えていくままなのは、脚本としてそこに何らかのこだわり、大切な何かがあるのでしょう。テツヤの身体から、本当に煙が噴き出すように見えたスモークの演出も、めちゃくちゃカッコ良かったし、やはりあと5回は観たいところです。
それにしても、我が子たちながら素晴らしい感性。さすがだ。(親馬鹿)
やばい。書くことが多すぎて終われない(汗)。
クローゼットから飛び出す、伸也の妄想に、度肝を抜かれたこと、とか。
階段に腰を下ろしたテツヤが、前で喋っている伸也の台詞にシンクロして、クチパクしてるのがお茶目だったこと、とか。
生命がつながる確率の低さと絶対数の多さについての、女教授の台詞に泣かされたこと、とか。
フェロモンについて家族内で話が盛り上がり、男性と女性の汗臭さの違いについて話題が暴走したこと、とか。
最終的に伸也が選ぶパートナーは誰か。誰なら彼と合うのか、とかとか。
話は尽きず。
茶店で一時間。娘をアパートまで送る道すがら、車の中で一時間半。晩ご飯に入った回転寿司屋でまた小一時間。延々とキューピーの話題で盛り上がるワタシたち家族でした。
その後自宅に着いたのは真夜中1時過ぎです。まあそこは最初から覚悟の上でしたけどね。
次回の公演は9月末。演目は未定。
その頃コロナがどうなっているかわかりませんが、また何とかしてみんなで観に行きたいと思っています。
皆さんはいかがでしたか。
新型コロナ後、初めての観劇となります。
さかのぼれば、コロナ直前の2019年12月に観たのが『Vol.71 最後のブラッディマリー』でした。そこから1年半の暗黒時代を経て、2021年5月に『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』でコロナ後復活公演がありましたが、ちょうど緊急事態宣言延長があったこともあり、その時は直前で泣く泣くチケットをキャンセルしたのでした。
関連記事:
2019/12/03 『Vol.71 最後のブラッディマリー』
2021/06/04 『べきからの生還』
それからまたさらに1年の歳月が流れました。ワタシ的にはもう2年半のブランクとなります。宣言もマンボウも出ていない今がチャンス。ワタシだけでなくカミサンも子供たちも、今回は何が何でも観に行く決意を固めていました。
今春から社会人となった娘は、まだ研修中でもあり最後の最後まで微妙でしたが、直前で何とか都合がつき、待ちに待った久しぶりのキューピー観劇はフルメンバーとなりました。
今回は、楽日、楽ステ。ダブルキャストのBパターンでした。
いつものとおり人数が多いので、今回も車での移動です。当日は、劇団の皆さんに差し入れを購入したり、一人暮らしの娘を迎えに行ったりで、少しギリギリのスケジュールでした。
劇場から離れた駐車場に着いた時は、すでに客入れが始まっている時間。慌てながらの会場入りでしたが、最奥席にバラけながらも、何とかみんな着席できました。いやーちょっとヤバかったかも(汗)。
今回の演目『僕と真夜中の僕』は、今までも何回か観ていたような気がしてましたが、blog記事をさかのぼってみると、どうも1回しか観てませんでしたね。それも17年前です。ひーっ!
関連記事:
2005/04/30 『Vol.43 僕と真夜中の僕』
え~そうだっけ?息子のキューピーマジック初観劇って、この演目だとばかり思ってましたが、そうじゃなかったんだ…。
改めて記事を探ると、息子の初観劇は『Vol.54 道化師の森』でした。
人の記憶ってこんなにも曖昧なんですね。いや、ワタシの記憶が、ですか。
さてまたまた長い前置きはこれくらいにして。
以下、ネタバレあります。
ご注意ください。
久しぶりに観るキューピーマジックは、カラカラに乾いた身体に、しみわたるようでした。でも1回くらいじゃ全然足りない。あと5回くらい続けて観たかった。
パンフレットには、リライトで台本が6ページも減ったと書かれてました。あっという間に感じたのは、メリハリがあってテンポが良かっただけでなく、実際に上演時間が短かめだったのかな?それほど、観ていて全然疲れませんでした。
キューピーマジックと言えば、リアルな演技が真骨頂で、つぶやくような台詞が多かったりするのですが、今回は違いました。絶叫芝居か?と思うほど、声を荒げるシーンが多かったです。でもそれが鼻についたり違和感を感じたりということもなく、リアルな感情の爆発を感じましたね。
また、客席に向かって独り言を言うシーンも多かったのですが、なんだろう、いわゆる演劇っぽい独白場面ではなくて、透明なアパートの壁をとおして観ているような感じを受けました。顔や身体は客席に向いていたとしても、台詞は観客に向いているのではなく、目に見えない壁か、あるいは役者自身に向かっていることがわかるんです。それも驚いたことに複数の役者さんで感じました。あまりにリアル。あまりに自然。だから観てるほうは、透明な壁をとおして、部屋をのぞき見しているような気分になるんですね。
舞台は、主人公伸也のアパートの部屋から、一歩も動きません。それなのに、いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきては、様々なトラブルを巻き起こすので、場面転換がないことがまったく気になりません。
今になって考えると、登場人物それぞれの個性が際立っていた、ということもあると思います。脇役なんて誰もいない。みんながみんなそれぞれの人生で主人公を演じ、必死で生きている、魅力的で愛すべき人たちでした。
キャラが立つ、とはこういうことを言うんだなー、と思いました。
久しぶりと言えば、ソワレもまた久しぶり。
本当は、幕が閉じたら速攻で帰らなくてはならないところ。
しかし、そうはキューピーマジックが卸さない(笑)。
息子は劇場を出てから、もうすぐにでも語りたい様子。いや、息子だけでなく、みんな語りたくて語りたくてウズウズ。とても駐車場まで待てません。結局、いつもの茶店で、いつもの反省会(娘いわく、振り返りの会)となりました。
それもソワレだったため長居もできず、ラストオーダーの声で、続きは車の中。何だかんだ言って、みんないつまでもキューピーの余韻に浸りたいのです。
息子は開口一番。
「今回の舞台は、他の誰でもない、オレのための舞台だった!」
確かに、舞台が始まってすぐに、これは子供たち、とりわけ息子に一番刺さるな、って予感がしました。まさしく思ったとおりです。
5年間、役者という夢を追い続けてきたものの、なかなか思うようにいかず、疲れや焦りが積もり積もって、精神的に追い詰められた主人公、伸也。
中学生までは具体的に持っていた夢が、進学と同時に見えなくなってしまい、日々の課題と考査と進路選択に追い詰められている、ウチの息子。
シチュエーションは違えど、崖っぷちさ加減は近いものがあるのかもしれません。
息子「それでも伸也は、追いかける夢があるから羨ましい」
切実な思いが溢れます。
しかし、どうなんだろう?とワタシは考えます。
父親のことが嫌いで、高校卒業から8年間ほど東京で暮らしていたワタシ。その後何だかんだと紆余曲折があって、最終的に実家に戻ることにしたワタシ。伸也と同じように、実家に帰る帰らないで悩んでいた時のことが、今でもはっきりと思い出せます。
そしてそんなワタシは、もっとひねくれた見方をします。
伸也は本当に役者になることが夢なんだろうか。
もしかしたら本当は、実家のしがらみから逃れたいから、口うるさい父親から逃げ出したいから、単に役者になるという夢を口実にしているだけなのではないか。
父親が「今度はどうなんだ?」と詰め寄るシーンでも、煮え切らない態度の伸也。そんなところも、役者を目指すのは口実、と思わせるのです。
「父親は『今度は大丈夫!』『僕は本気なんだ!』という言葉が聞きたかっただけ、伸也の覚悟を確認したかっただけで、本当に連れ戻しに来たわけじゃないと思う」
息子がきっぱりと言いました。
それはワタシもまったく同意見。
だよね。たぶん、嘘でも何でも、覚悟を示せば、父親はそれで納得して帰っていった、と思うのですよ。父親としては、伸也が役者を目指すということが、単なる東京に住むための口実じゃない、と信じたかっただけなんです。
まあそこを上手く言えないところが、伸也の性格なのかもしれません。
「それにしても…」と、息子は続けます。
「何だかんだ言ったって、モテモテじゃん?伸也」
それなっ!
あんなウジウジとした劣等感の塊みたいな男に、周りの女性たちはなんで魅力を感じるのだ?
そこをウチの女性陣(カミサンと娘)に聞いてみました。
娘「うーん、優しそうだし…イケメンだしね(笑)」
でしょうよ。
くそう、イケメン最強かよ!
娘「でも、あんなにみんなが集まってくるほど、居心地が良いってことが魅力なんじゃないかな。本人は気付いていないけど」
カミサン「何だかんだ言って、みんなに好かれているうえに、そもそも大学4年間+5年間の仕送りとか、かなり恵まれてると思うよ」
そうなんです。本人は気付いていないことが多すぎます。
あれだけのみんなに愛されていることに、これっぽっちも気付いていない。周りが全然見えていない。自分のことでいっぱいいっぱいなんで、しょうがないか。おぼっちゃま、だってことですよ。
とか言うワタシも、人のことは言えないのかもしれません。
「周りを良く見ろ。自分がどれほど恵まれているか自覚しろ」
この公演では、ワタシにも、そんなふうにガツンと言われたような気がします。
何か伸也のことだけで、めっちゃ長くなってしまいました。
今回は、登場人物みんながそれぞれに良くて、個々に掘り下げたらきりがありません。
例えば、ワタシとカミサンが疑問だったのが、謎の男(テツヤ)が消えていく際に何故あれほど苦しむのか、ということです。母親に自分が見えることがわかって成仏する、という解釈ではわからない、あの断末魔の苦しみかたには違和感を感じます。
これは17年前に観た公演でも同じ感想でしたね。
ところが。
「あれは成仏じゃない」と息子は言います。
母親が最初にテツヤを見て「あなた誰ですか?」と聞きますね。
自分が息子であることに気づかなかった母親。あるいは、母親の中で自分は既に過去の存在になっている。それに絶望して消えていくのだ、というのが息子の解釈。
そして、娘はそれを推し進め、さらなる新解釈。
自分が伸也になりかわったところで、周りの人は結局それを伸也としか見ない。誰も自分を自分として見てくれる人はいない。それに気づいて絶望するのよ、と。
息子「成仏じゃない。ただ消えていくんだ」
なるほど。さもありなん。
もしかしたら絶望とかでもなく、子供たちの言うようなそれに気づいたことで、この世に存在できなくなってしまった。でもテツヤとしては、まだ母親の側にいたい。もっと話をしたい。いやだ消えたくない。待ってくれ。もう少しだけ待ってくれ!そんな感じだったのかも。最後は母親に手を伸ばしてたしね。苦しいのではなく、悲しかったんだ。
子供たちの解釈を聞いていて、そんなふうにも思えてきました。
実際、何度も何度も再演を続けてきてもなお、テツヤがああいう形で消えていくままなのは、脚本としてそこに何らかのこだわり、大切な何かがあるのでしょう。テツヤの身体から、本当に煙が噴き出すように見えたスモークの演出も、めちゃくちゃカッコ良かったし、やはりあと5回は観たいところです。
それにしても、我が子たちながら素晴らしい感性。さすがだ。(親馬鹿)
やばい。書くことが多すぎて終われない(汗)。
クローゼットから飛び出す、伸也の妄想に、度肝を抜かれたこと、とか。
階段に腰を下ろしたテツヤが、前で喋っている伸也の台詞にシンクロして、クチパクしてるのがお茶目だったこと、とか。
生命がつながる確率の低さと絶対数の多さについての、女教授の台詞に泣かされたこと、とか。
フェロモンについて家族内で話が盛り上がり、男性と女性の汗臭さの違いについて話題が暴走したこと、とか。
最終的に伸也が選ぶパートナーは誰か。誰なら彼と合うのか、とかとか。
話は尽きず。
茶店で一時間。娘をアパートまで送る道すがら、車の中で一時間半。晩ご飯に入った回転寿司屋でまた小一時間。延々とキューピーの話題で盛り上がるワタシたち家族でした。
その後自宅に着いたのは真夜中1時過ぎです。まあそこは最初から覚悟の上でしたけどね。
次回の公演は9月末。演目は未定。
その頃コロナがどうなっているかわかりませんが、また何とかしてみんなで観に行きたいと思っています。
皆さんはいかがでしたか。
べきからの生還 [座キューピーマジック]
ワタシは若い頃からずっと「~すべき」という考え方にとらわれていました。
クルマの運転はこうするべき、とか。仕事をする上ではこうするべき、とか。対人関係はこうあるべき、とか…。何より「長男はこうあるべき」「男はこうあるべき」というのは特に強かったような気がします。
今から思うと、本当にガチガチの考えでした。だからいつも無理していたし、必要以上に肩肘張っていたし、人の言うことなんか聞かなかったし、で、余裕のない日々を送っていました。
そして、自分に押しつけた「べき」に至らない自分が、世界で一番嫌いでした。どうしてこんなことができないんだろう、なぜこんな自分なんだろう、と、いつも情けなく悔しい思いでいっぱいでした。
一時期はそれで軽い鬱になりました。
それまで会社ではずっと技術職で設計開発に携わっていましたが、ワタシの体調的な理由と会社の組織的な理由により事務職に移動しました。それから1年ほど経ったころ、精神的なダメージは体調に影響するようになっていました。
会社では頼れる人もなく、家で愚痴もこぼせず。息をするのも苦しかったその頃は、家に帰って家族の笑顔を見るのが辛くて辛くてしかたありませんでした。家族そろって賑やかに夕食を取る時、みんなの笑顔を見ていると家族のことがみんな嫌いになりそうで、そんな自分が醜くて悔しくて、さらに自分を嫌いになっていきました。
夜はとても一緒に寝るなんてこともできず、遅くまで仕事やテレビを観るふりをしては、みんなが寝るまで待ち、車庫の二階で一人で寝てた時もありました。
なんでこんなにダメな人間なのかと、一人で悶々とする日々。それでも、家族に心配をかける「べきではない」と思っていたワタシは、気力を振り絞って普通に見えるように取り繕っていました。だからみんなは気付いていたかどうか、いや憶えていないだろうな。
でも、そのどん底の状態からワタシを救い上げてくれたのが、昔から都合がつけば必ず観に行っていた、キューピーマジックの公演でした。
実はその公演は行きたくないと思っていました。観劇なんてそんな気分じゃない…ってのが本音でした。でもちょうど20周年記念公演だったし、カミサンは楽しみにしているしで、どうしても行かないとは言い出せず、重い身体と、重い気持ちを引きずって、観に行ったのでした。
関連記事:
2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
詳しい顛末は上記の記事に譲りますが、その公演にワタシは救ってもらえました。あの脚本に、あの俳優の皆さんに、あの劇場の空気に、あの舞台に。もしあの公演を観に行かなかったら…と思うと、今は本当にゾッとします。
この記事には、娘役で出演されてた役者さんからもコメントをいただきまして、ワタシはそのお返事にこう書きました。
> 今回は(今回も)とても癒されました。
> 癒されたという言葉では足りない何か…。
> 「助けていただいた」と言った方が近いかもしれません。
> 最近ワタシにとってキューピーマジックはほとんど宗教になりつつあります。(合掌)
本当にそうでした。
何だ「べき」なんて自分自身の作り出した足枷でしかなかったんだ。嫌だったり無理だったりしたら、そんな足枷に従わなくてもいいんだ。必要以上に「べき」に囚われることはないんだ。
『もう「べき」なんかに従わない』
そう自分で決めさえすればよかったんだ、と。
7月の下北沢。蒸したアスファルトの匂いですら、やたら心地よく感じた劇場前の道路。ずっと長く抱えていた重い荷物が、ふと突然消えてなくなったような感覚。劇場から一歩出た時の「まだ生きてる。あぁ助かったんだ…」といった感情を、今でもはっきりと憶えています。
たった1回の公演が、いとも簡単に人の一生を左右する。
それは演劇だけではありません。1枚の絵画かもしれないし、1曲の音楽かもしれない。その人にとっては、一生に1度あるかないかの貴重なワンチャンスなのです。
今「自粛」という二文字で、その機会が奪われてしまっていることに、悲しみと無念さ、そして怒りを感じています。スポーツは許されて芸能はなぜ許されないのか。
確かにスポーツで元気をもらう人もいるでしょう。でもそれと同じように、芸能に救われる人もいるということを、もっと多くの人にもわかってもらいたいと、ワタシは強く思うのです。
座キューピーマジック公演
『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』
この演目も、その昔、ワタシの結婚観に大きな影響を与えた演目でした。
Vol.72も観に行きたかったな…(泣)。
ご覧になった皆さんはいかがでしたか。
関連記事:
1995/07/30 『Vol.20 愛をあたえることに疲れた天使と愛を奪うことに疲れた魔女の物語』
2000/05/10 『Vol.30 ムーンライト・セレナーデ』
2007/11/29 『Vol.48 ムーンライト・セレナーデ』
2012/12/19 『Vol.58 ムーンライト・セレナーデ』
クルマの運転はこうするべき、とか。仕事をする上ではこうするべき、とか。対人関係はこうあるべき、とか…。何より「長男はこうあるべき」「男はこうあるべき」というのは特に強かったような気がします。
今から思うと、本当にガチガチの考えでした。だからいつも無理していたし、必要以上に肩肘張っていたし、人の言うことなんか聞かなかったし、で、余裕のない日々を送っていました。
そして、自分に押しつけた「べき」に至らない自分が、世界で一番嫌いでした。どうしてこんなことができないんだろう、なぜこんな自分なんだろう、と、いつも情けなく悔しい思いでいっぱいでした。
一時期はそれで軽い鬱になりました。
それまで会社ではずっと技術職で設計開発に携わっていましたが、ワタシの体調的な理由と会社の組織的な理由により事務職に移動しました。それから1年ほど経ったころ、精神的なダメージは体調に影響するようになっていました。
会社では頼れる人もなく、家で愚痴もこぼせず。息をするのも苦しかったその頃は、家に帰って家族の笑顔を見るのが辛くて辛くてしかたありませんでした。家族そろって賑やかに夕食を取る時、みんなの笑顔を見ていると家族のことがみんな嫌いになりそうで、そんな自分が醜くて悔しくて、さらに自分を嫌いになっていきました。
夜はとても一緒に寝るなんてこともできず、遅くまで仕事やテレビを観るふりをしては、みんなが寝るまで待ち、車庫の二階で一人で寝てた時もありました。
なんでこんなにダメな人間なのかと、一人で悶々とする日々。それでも、家族に心配をかける「べきではない」と思っていたワタシは、気力を振り絞って普通に見えるように取り繕っていました。だからみんなは気付いていたかどうか、いや憶えていないだろうな。
でも、そのどん底の状態からワタシを救い上げてくれたのが、昔から都合がつけば必ず観に行っていた、キューピーマジックの公演でした。
実はその公演は行きたくないと思っていました。観劇なんてそんな気分じゃない…ってのが本音でした。でもちょうど20周年記念公演だったし、カミサンは楽しみにしているしで、どうしても行かないとは言い出せず、重い身体と、重い気持ちを引きずって、観に行ったのでした。
関連記事:
2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
詳しい顛末は上記の記事に譲りますが、その公演にワタシは救ってもらえました。あの脚本に、あの俳優の皆さんに、あの劇場の空気に、あの舞台に。もしあの公演を観に行かなかったら…と思うと、今は本当にゾッとします。
この記事には、娘役で出演されてた役者さんからもコメントをいただきまして、ワタシはそのお返事にこう書きました。
> 今回は(今回も)とても癒されました。
> 癒されたという言葉では足りない何か…。
> 「助けていただいた」と言った方が近いかもしれません。
> 最近ワタシにとってキューピーマジックはほとんど宗教になりつつあります。(合掌)
本当にそうでした。
何だ「べき」なんて自分自身の作り出した足枷でしかなかったんだ。嫌だったり無理だったりしたら、そんな足枷に従わなくてもいいんだ。必要以上に「べき」に囚われることはないんだ。
『もう「べき」なんかに従わない』
そう自分で決めさえすればよかったんだ、と。
7月の下北沢。蒸したアスファルトの匂いですら、やたら心地よく感じた劇場前の道路。ずっと長く抱えていた重い荷物が、ふと突然消えてなくなったような感覚。劇場から一歩出た時の「まだ生きてる。あぁ助かったんだ…」といった感情を、今でもはっきりと憶えています。
たった1回の公演が、いとも簡単に人の一生を左右する。
それは演劇だけではありません。1枚の絵画かもしれないし、1曲の音楽かもしれない。その人にとっては、一生に1度あるかないかの貴重なワンチャンスなのです。
今「自粛」という二文字で、その機会が奪われてしまっていることに、悲しみと無念さ、そして怒りを感じています。スポーツは許されて芸能はなぜ許されないのか。
確かにスポーツで元気をもらう人もいるでしょう。でもそれと同じように、芸能に救われる人もいるということを、もっと多くの人にもわかってもらいたいと、ワタシは強く思うのです。
座キューピーマジック公演
『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』
この演目も、その昔、ワタシの結婚観に大きな影響を与えた演目でした。
Vol.72も観に行きたかったな…(泣)。
ご覧になった皆さんはいかがでしたか。
関連記事:
1995/07/30 『Vol.20 愛をあたえることに疲れた天使と愛を奪うことに疲れた魔女の物語』
2000/05/10 『Vol.30 ムーンライト・セレナーデ』
2007/11/29 『Vol.48 ムーンライト・セレナーデ』
2012/12/19 『Vol.58 ムーンライト・セレナーデ』
Vol.71 最後のブラッディマリー 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
座キューピーマジック公演『Vol.71 最後のブラッディマリー』を観に行ってきました。
今回は日曜日に娘の定期演奏会があったため、前日土曜日のマチネということにしました。
娘は残念ながら今回はパス。本人今まで観ていない演目なので観たがっていたのですが、本番直前なのでしょうがないね。
カミサンと息子とで三人の観劇となりました。
一方、息子のほうはと言うと、後期中間試験中。
しかし彼は前回公演を観に行けてなくて、どうにも我慢できないと。
一応勉強道具も持って出たはずでしたが…道中はずっと寝てましたね(笑)。
赤点取ったらキューピーのせ…(以下自粛)。
さてこの演目。
以前観たのはいつだったかな~とblogをさかのぼってみると…。
ナント2000年!もう19年も前ですか?いやはやビックリです。
確かにかなり昔だった記憶があったので、てっきり初演を観たんだと思い込んでいましたが、当時の記事を見ると「8年ぶりの再演」と書いてあるので初演ではないですね。完全に記憶違いでした。
それにしても。
当時生まれたばかりの娘が今やもう成人ですから…。
月日の経つのは本当に早いですね。
関連記事:
2000/10/07 『Vol.31 最後のブラッディ・マリー』
19年も前に観たこの演目。
イマイチすっきりしなかったのは良く覚えているんです。
観終わった後???が頭の中を駆け巡っていました。
話の辻褄が合わないというか、何と言うか。
それでもキューピーにしては珍しいハードボイルドさは感じられて、良い印象ではありました。
さてさて前置きが長くなりそうなのでこのへんで。
以下ネタバレあります。
ご注意ください。
話は前後するのですが、客出しの時に座長の田窪さんと少しお話しました。
キャストの年代が上がってきて、主人公たちの年代に幅が出せた、と。
確かに19年前に観た公演ではほとんど同じ年代の配役だったような。
今回の配役はとても違和感なくすんなり物語に入り込めました。
若い人は情熱的だし、歳いった人はいぶし銀だし、物語に多様性(笑)と言うか広がりがありましたね。
年齢的な幅もそうですが、各キャラクターの個性にも幅があって、観ていて飽きませんでした。
特に、バーのママ(笑)!
元々ぶっ飛んだ役どころではありますが、役の作り込みがすごい。
でも、なんか、いそう、いやいる〜!(爆)。
この役者さんってば実は二役で、最初と最後に出てくるバカップルの女の子と同じ人なのね。…スゴイわ、このふり幅。
あんまり普段のママが強烈過ぎて、あ~最後のほうの「置いてかないで」とすがる場面で無理が出ないかな〜?って心配しながら観てましたが、全然心配ご無用でした。
感情をわしづかみにされてグイグイ持っていかれました。
そして、盲目のお婆さん。
深層の令嬢がそのまま歳を取った感じで。可愛い〜!
とっても素敵なお婆さんでした。
旦那さんとのダンスの場面は泣けましたね。
なぜか「美女と野獣」のダンスシーンが脳裏に浮かび、どっちが野獣だ?と自分に突っ込みを入れつつ、泣きながら苦笑いしてたのは内緒です(笑)。
いつもは自分の生活や悩みにシンクロしてくるキューピーの公演ですが、今回は何か日常を忘れて舞台にのめりこんでいるワタシがいました。
こんな感覚は久しぶりでしたね。
客出しの時に田窪さんには「ホントに大人のおとぎ話でしたね」ってお伝えしました。
ただのおとぎ話ではなく「大人の」ってところがポイントです。
さすがに16歳の息子にはピンとこなかったようです。
残念ですが彼にはまだ少し早いのかもね。
これからいろんな失敗や苦労をたくさんして、良い意味で「くたびれて」ください。
二十歳の娘を持つ主人公の一人はワタシと最も近い役柄。
親娘の年代的にも…体型的にも?(汗)
結婚はするけど父親と離れたいわけではない、父親大好きな娘な感じが伝わってきて、なんか胸が痛くも嬉しかったです。
女性から見た、結婚相手と父親の違いってどんな感じなんでしょう?
家族と肉親の違い…的な何か?
ウチの娘もいつか「結婚したい人がいるの!」って言い出すんでしょうか。
おいまだ学生だぞ?
いやいや高校生の時だって受験間近なのに「好きな人に告ったら付き合うことになりました!」って爆弾報告した娘だし。
この先だって何があるやらわからんぞ、なんて自分を戒めたりして。
ワタシのいろんな思い出と役者さんの思いが交錯?し、あっという間の2時間でした。
関連記事:
2017/08/14 『桜咲く前に告り子の花咲け』
主人公の三人の吸血鬼。
大切な人と別れなければいけない。
それぞれいろんな思惑があって心は揺れ動きますが、最終的には腹をくくります。
選んだ道はそれぞれだけど想いは同じなんだな〜と感じました。
戒律かぁ…。
結局、戒律に縛られてるんじゃなくて、戒律に従う自分に縛られてるんだと思うんですよ。
昔少し鬱ってた頃の記事に書いた「最終決定者は自分」を思い出しました。
関連記事:
2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
戒律に従うのも自分の意志、従わないのも自分の意志。
すべて自分が決めることなんですよ。
人のせいじゃなく、社会や制度のせいでもなく。
自分のせいでいいんです。
どうしても嫌なら辞めればいいし、逃げてもいい。
それでいいんです。
人生長く生きていると(死なないのでなおさらです)どこかで必ず抜き差しならない状況になり決断を迫られることがあります。
そこで何を選んで何を捨てるのか。
自分にとって何が一番大事なのか。
それが自分のアイデンティティーになっていくのかな~って思いました。彼らの選んだ道、彼らの進む道、生きざまに乾杯!です。
とか言いながらも…。
これって実は吸血鬼の「家族の」ほうが主役なんじゃね?
最後までそう思えてしかたありませんでした。
吸血鬼くん達には悪いとも思いましたが、きっと彼らなら笑って同意してくれるでしょう。
さてさて。
恒例、観劇の後の反省会…ならぬ、咀嚼会?
近くの喫茶店で、気付いた点、疑問点、問題点(笑)などを各自持ち寄って行う家族会議です。
気になっていた素朴な疑問をぶつけてみました。
吸血鬼は死なないし歳も取らない。
でも今の歳かっこうになるまでは歳を取ってたということだよね。
昔は吸血鬼じゃなかった頃があった、ということなのかな?
それに対しては息子が速攻で答えました。
「吸血鬼は母体から産まれるんじゃなくて、何もないところから発生するんですよ」
なぜか吸血鬼に詳しい我が息子。そしてうんちくを述べる時は丁寧語(笑)。
実際には、血を欲しがったり、日光に弱くなったりする、何とか言う病気があるらしく、そういう人が昔は吸血鬼とされたのだとか、子供や乳幼児の吸血鬼がいない話とか、ひとしきり解説。…おっオマエナニモノ?
何とか言う物質があって、どんな作用がどうとか…。
が、専門用語てんこ盛りでさっぱり頭に残りませんでした(汗)。
吸血鬼に血を吸われた人は吸血鬼になるんだっけ?
いや、それはゾンビか?
ワタシの知識はその程度です。あしからず(笑)。
大人のためのおとぎ話。
ということで、ワタシはいつもと違う、日常と乖離した時間を過ごすことができ、リフレッシュできました。
みなさんはいかがでしたか?
今回は日曜日に娘の定期演奏会があったため、前日土曜日のマチネということにしました。
娘は残念ながら今回はパス。本人今まで観ていない演目なので観たがっていたのですが、本番直前なのでしょうがないね。
カミサンと息子とで三人の観劇となりました。
一方、息子のほうはと言うと、後期中間試験中。
しかし彼は前回公演を観に行けてなくて、どうにも我慢できないと。
一応勉強道具も持って出たはずでしたが…道中はずっと寝てましたね(笑)。
赤点取ったらキューピーのせ…(以下自粛)。
さてこの演目。
以前観たのはいつだったかな~とblogをさかのぼってみると…。
ナント2000年!もう19年も前ですか?いやはやビックリです。
確かにかなり昔だった記憶があったので、てっきり初演を観たんだと思い込んでいましたが、当時の記事を見ると「8年ぶりの再演」と書いてあるので初演ではないですね。完全に記憶違いでした。
それにしても。
当時生まれたばかりの娘が今やもう成人ですから…。
月日の経つのは本当に早いですね。
関連記事:
2000/10/07 『Vol.31 最後のブラッディ・マリー』
19年も前に観たこの演目。
イマイチすっきりしなかったのは良く覚えているんです。
観終わった後???が頭の中を駆け巡っていました。
話の辻褄が合わないというか、何と言うか。
それでもキューピーにしては珍しいハードボイルドさは感じられて、良い印象ではありました。
さてさて前置きが長くなりそうなのでこのへんで。
以下ネタバレあります。
ご注意ください。
話は前後するのですが、客出しの時に座長の田窪さんと少しお話しました。
キャストの年代が上がってきて、主人公たちの年代に幅が出せた、と。
確かに19年前に観た公演ではほとんど同じ年代の配役だったような。
今回の配役はとても違和感なくすんなり物語に入り込めました。
若い人は情熱的だし、歳いった人はいぶし銀だし、物語に多様性(笑)と言うか広がりがありましたね。
年齢的な幅もそうですが、各キャラクターの個性にも幅があって、観ていて飽きませんでした。
特に、バーのママ(笑)!
元々ぶっ飛んだ役どころではありますが、役の作り込みがすごい。
でも、なんか、いそう、いやいる〜!(爆)。
この役者さんってば実は二役で、最初と最後に出てくるバカップルの女の子と同じ人なのね。…スゴイわ、このふり幅。
あんまり普段のママが強烈過ぎて、あ~最後のほうの「置いてかないで」とすがる場面で無理が出ないかな〜?って心配しながら観てましたが、全然心配ご無用でした。
感情をわしづかみにされてグイグイ持っていかれました。
そして、盲目のお婆さん。
深層の令嬢がそのまま歳を取った感じで。可愛い〜!
とっても素敵なお婆さんでした。
旦那さんとのダンスの場面は泣けましたね。
なぜか「美女と野獣」のダンスシーンが脳裏に浮かび、どっちが野獣だ?と自分に突っ込みを入れつつ、泣きながら苦笑いしてたのは内緒です(笑)。
いつもは自分の生活や悩みにシンクロしてくるキューピーの公演ですが、今回は何か日常を忘れて舞台にのめりこんでいるワタシがいました。
こんな感覚は久しぶりでしたね。
客出しの時に田窪さんには「ホントに大人のおとぎ話でしたね」ってお伝えしました。
ただのおとぎ話ではなく「大人の」ってところがポイントです。
さすがに16歳の息子にはピンとこなかったようです。
残念ですが彼にはまだ少し早いのかもね。
これからいろんな失敗や苦労をたくさんして、良い意味で「くたびれて」ください。
二十歳の娘を持つ主人公の一人はワタシと最も近い役柄。
親娘の年代的にも…体型的にも?(汗)
結婚はするけど父親と離れたいわけではない、父親大好きな娘な感じが伝わってきて、なんか胸が痛くも嬉しかったです。
女性から見た、結婚相手と父親の違いってどんな感じなんでしょう?
家族と肉親の違い…的な何か?
ウチの娘もいつか「結婚したい人がいるの!」って言い出すんでしょうか。
おいまだ学生だぞ?
いやいや高校生の時だって受験間近なのに「好きな人に告ったら付き合うことになりました!」って爆弾報告した娘だし。
この先だって何があるやらわからんぞ、なんて自分を戒めたりして。
ワタシのいろんな思い出と役者さんの思いが交錯?し、あっという間の2時間でした。
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2017/08/14 『桜咲く前に告り子の花咲け』
主人公の三人の吸血鬼。
大切な人と別れなければいけない。
それぞれいろんな思惑があって心は揺れ動きますが、最終的には腹をくくります。
選んだ道はそれぞれだけど想いは同じなんだな〜と感じました。
戒律かぁ…。
結局、戒律に縛られてるんじゃなくて、戒律に従う自分に縛られてるんだと思うんですよ。
昔少し鬱ってた頃の記事に書いた「最終決定者は自分」を思い出しました。
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2008/07/08 『Vol.49 ライフ』
戒律に従うのも自分の意志、従わないのも自分の意志。
すべて自分が決めることなんですよ。
人のせいじゃなく、社会や制度のせいでもなく。
自分のせいでいいんです。
どうしても嫌なら辞めればいいし、逃げてもいい。
それでいいんです。
人生長く生きていると(死なないのでなおさらです)どこかで必ず抜き差しならない状況になり決断を迫られることがあります。
そこで何を選んで何を捨てるのか。
自分にとって何が一番大事なのか。
それが自分のアイデンティティーになっていくのかな~って思いました。彼らの選んだ道、彼らの進む道、生きざまに乾杯!です。
とか言いながらも…。
これって実は吸血鬼の「家族の」ほうが主役なんじゃね?
最後までそう思えてしかたありませんでした。
吸血鬼くん達には悪いとも思いましたが、きっと彼らなら笑って同意してくれるでしょう。
さてさて。
恒例、観劇の後の反省会…ならぬ、咀嚼会?
近くの喫茶店で、気付いた点、疑問点、問題点(笑)などを各自持ち寄って行う家族会議です。
気になっていた素朴な疑問をぶつけてみました。
吸血鬼は死なないし歳も取らない。
でも今の歳かっこうになるまでは歳を取ってたということだよね。
昔は吸血鬼じゃなかった頃があった、ということなのかな?
それに対しては息子が速攻で答えました。
「吸血鬼は母体から産まれるんじゃなくて、何もないところから発生するんですよ」
なぜか吸血鬼に詳しい我が息子。そしてうんちくを述べる時は丁寧語(笑)。
実際には、血を欲しがったり、日光に弱くなったりする、何とか言う病気があるらしく、そういう人が昔は吸血鬼とされたのだとか、子供や乳幼児の吸血鬼がいない話とか、ひとしきり解説。…おっオマエナニモノ?
何とか言う物質があって、どんな作用がどうとか…。
が、専門用語てんこ盛りでさっぱり頭に残りませんでした(汗)。
吸血鬼に血を吸われた人は吸血鬼になるんだっけ?
いや、それはゾンビか?
ワタシの知識はその程度です。あしからず(笑)。
大人のためのおとぎ話。
ということで、ワタシはいつもと違う、日常と乖離した時間を過ごすことができ、リフレッシュできました。
みなさんはいかがでしたか?
Vol.70 ハムレットのための特別席 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
座キューピーマジック公演『Vol.70 ハムレットのための特別席』を観に行ってきました。
今回は70回目となる記念すべき公演。
この演目で昔の記事を探ってみると…。
Vol.17ではビデオ観賞(昔はビデオを販売してたんです)。Vol.28は娘が生まれた直後でぼっち観劇。直近で最後のVol.41は何と15年前でしたね。
なんか見事に5年毎の公演です。何か意味があるのでしょうか。
それにしても15年ぶり。実際にはその後も公演はあったのかもしれませんが、たまたまワタシのタイミングが合わなかったんでしょう。
関連記事:
1994/09/14 『Vol.17 ハムレットのための特別席』
1999/09/15 『Vol.28 ハムレットのための特別席』
2004/09/04 『Vol.41 ハムレットのための特別席』
さて今回の観劇旅行はワタシとカミサンと娘の3人でした。
息子は翌日から定期考査を控えていたため残念ながらリタイアしております。本人とっても行きたがっていたのですが、しようがないですね。学生の本分は学業なので。
土曜日は通院があったり吹奏楽のサマーコンサートがあったりしたため、観劇は日曜日。例によって楽日のマチネです。
会場は満員御礼でいっぱいいっぱいでした。
相変わらず人気だな。と思って耳をすましていると結構初めての人も多かったような?
座キューピーマジックプロデュースということで新しいキャストからの引きで新規のお客さんも多いのかもしれません。
これでさらにキューピーの良さが広く伝わると良いなぁと思いました。
前置きはこれくらいにして。
以後ネタバレあります。
ご注意ください。
今回もまた素晴らしい舞台でしたね。
ブランクは長かったですが記憶によるとシナリオ的には大きく変わっていなかったように思いました。
くるみの心情が少していねいに描かれていてより感情移入しやすかったです。
驚いたことに、大きな変更がなかったにしてはまったく古さを感じませんでしたね。
つまりはそれだけ普遍的な題材なのかもしれません。
それにしても今回はすごかった。
なんか圧倒された、と言うか、圧巻だったと言うか。
その昔、劇団だった頃のキューピーってすごく完成度が高くて、テレビや映画を生で間近で観てるような公演を観せてくれてたんですが、今回の公演は何というか、それを力で押しのけたと言うか、パワーで上回ったと言うか。
脚本にもよるのでしょうけど、役者がどハマりしてましたね。
ベテラン、中堅、若手。どの役柄を取っても素晴らしかったです。
特に瑠璃男は脚本的に元々美味しい役なんですが、恐らく多くの観客はそれ以上のものを感じたハズ。
きっと役者さんがキューピーマジックの演技法をきちんと理解して自分のものにしてるんでしょう。
客出しの際に座長の田窪さんがおっしゃるには。
なかなかキャストの都合がつかず、公演は中止にしようとしたんだそうです。
それが、岡野さんの純子姉、モウジーンさんの瑠璃男をはじめ、キャストがすごく良かったので幕を開けることができたと。
まったくその通りで、今回はどのキャストもみんなキューピーマジックしてて、観ていてすごく気持ちよかったです。
ほとんどの演目のストーリーはわかっていますので、いつもは笑いのツボでもニヤリとするくらいなのですが、今回はもう思わず声をあげて笑っている自分がいました。
周りの人も笑ってたので迷惑にはなっていなかったですよね。
これ、弟くんがいなかったのは良かった可哀想だったけど、彼がいたなら絶対会場中に彼の笑い声が響き渡っていただろうと、冷静に考えると背筋に冷たいものが。ヒヤッ。
いや、居なくて良かったなんて、絶対言いませんよ(汗)。
帰りがけに娘が言ってました。
「いつどこで泣きがくるか、いつ笑いがくるか、気が抜けなかった」
ホントそれ。
昔の記事でも書いたことがありますが、キューピーマジックの公演って、泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたりすることが多いんです。
お腹の筋肉がよじれながら泣く、という、普通ではありえない状況が生まれるところが、キューピーマジックのまさにマジックたる所以なんだと思います。
今回はまさにキューピーマジックの本領発揮、真骨頂、面目躍如といったところでしたね。
いつもその時々でワタシの人生に先回りをして、それとなく気付きを与えてくれるキューピーマジックの公演。
ご覧になった方には申し訳ありませんが、今回もまた「ワタシのための公演」でしたね。そもそも登場人物の年齢がワタシと娘(あるいは息子)とほとんど同じですし。
もうキューピーマジック独り占めな気分。キューピーマジックはワタシのものよ~です。※諸説あります(笑)。
ワタシだって40年近くも働いていると、さすがに疲れてきますよ。
「定年」なんてもんが現実味を持ってだんだん近づいてきますしね。
そうなるとね、人間てやっぱり、守りに入っちゃうんですよ。
いまさら理想を追いかけてもねってな感じで。とりあえずこんなもんでいいか、しょうがないよねワタシの人生だもの、とかね。
それは人生を見切った、と言うか、半分諦めの境地なのかもしれません。
そんなワタシには主人公の気持ちが痛いほどわかります。
こんなに努力しても、こんなに頑張っても、誰も理解してくれない。正当に評価してはもらえない。
それなのに、世の中にはアピール上手な人もいて。自分の努力を上手いこと周りに認めさせて生きていく人もいる。
何をやっても上手くいかない自分に苛立ち、人のせいにしたり、逃げたり。
そんなことが多々ありますよ。
でも娘くるみの気持ちだってわかります。
そんなグジグジくよくよした父親を間近で見ていたら「いいかげんにしろ」と言いたくもなります。馬鹿にしたくもなります。
実際自分だって親父のことをそんな目で見ていたこともあったと思います。
と、そこまできてドキッとしました。
ウチの子供たちはワタシのことをどんなふうに見ているんだろう、と。
ワタシは子供たちに胸を張れる生き方をしているんだろうか、と。
舞台を見ながら、笑いながら、泣きながら、パシーンと頭をひっぱたかれた気がしました。
こういうところがキューピーマジックは絶妙なんですよね。
人生の中で必要な時期に必要なことを、それはもう絶妙なタイミングで気付かせてくれる。
「おまえはどうなんだ?本当にそれでいいのか?」
キューピーマジックの公演を見るたびに、毎回そんな問いを突き付けられている気がします。
以前、子供たちから聞かれたことがありました。
「仕事ってどういうもの?楽しい?」
その時は「辛くて苦しいけど食っていくには仕方ない」みたいなことを言ったような気がします。それは確かにそう。
でもね。この公演を観た後の今なら、こう付け足します。
「任されることや責任を持つことでやりがいを感じる」
「自分が他人のためになる喜びがある」
「人から抜きん出ると頼られるし誇りを感じる」
これって多分、ワタシが働き始めて仕事が楽しくなってきた頃、バリバリ働いてた頃の気持ちですね。
今回の公演を観るまですっかり忘れていました。
綺麗事かもしれませんが、子供たちはこんな答えを期待していたんだろうな。
ただ単に辛くて苦しいだけが仕事や人生じゃないですもんね。
歳とると夢も希望もなくなるとは言え、未来ある若者には伝えるべきことは伝えないと。
子供たちには自分を打ち込める仕事に巡り合えることを願うばかりです。
親としても。社会人の一先輩としても。
歳をとったがゆえにプライドが高く過去の栄光にすがりたくなる気持ちに対して、若さゆえのまっすぐで純粋な気持ち。そんな対比がとても象徴的で心が揺さぶられました。
老いと若さ、過去と未来、栄光と挫折、強さと弱さ、笑いと泣き。
今回は(も?)いろんなことを考えさせられました。
主人公の圭介には、ある意味、羨ましさを感じました。
何だかんだ言って、あれだけ親身になって心配してくれる家族(自称含め)が沢山いるんですもんね。
いや、ワタシだって誰にも負けない自慢の家族がいますから。
なんて密かに圭介に対抗意識を燃やすワタシでした。
リーフレットの裏には「大人のためのダーク・ヒューマン・コメディ」と書かれていましたが、ワタシはちっともダークだとは思いません。
逆に、こんなに熱い脚本はキューピーには珍しい、と思いました。
中年おじさんの背中を強く押す熱い応援歌のように感じましたよ。
今までの『ハムレットのための特別席』では気づかなかったこの演目に込められた熱い思い。ワタシも少しは成長したってことでしょうか。
歳をとるのも案外悪くないよね。そんな気持ちにさせてくれる、素敵な公演でした。
それにしてもホント圧倒された公演でしたね。
皆さんはいかがでしたか?
今回は70回目となる記念すべき公演。
この演目で昔の記事を探ってみると…。
Vol.17ではビデオ観賞(昔はビデオを販売してたんです)。Vol.28は娘が生まれた直後でぼっち観劇。直近で最後のVol.41は何と15年前でしたね。
なんか見事に5年毎の公演です。何か意味があるのでしょうか。
それにしても15年ぶり。実際にはその後も公演はあったのかもしれませんが、たまたまワタシのタイミングが合わなかったんでしょう。
関連記事:
1994/09/14 『Vol.17 ハムレットのための特別席』
1999/09/15 『Vol.28 ハムレットのための特別席』
2004/09/04 『Vol.41 ハムレットのための特別席』
さて今回の観劇旅行はワタシとカミサンと娘の3人でした。
息子は翌日から定期考査を控えていたため残念ながらリタイアしております。本人とっても行きたがっていたのですが、しようがないですね。学生の本分は学業なので。
土曜日は通院があったり吹奏楽のサマーコンサートがあったりしたため、観劇は日曜日。例によって楽日のマチネです。
会場は満員御礼でいっぱいいっぱいでした。
相変わらず人気だな。と思って耳をすましていると結構初めての人も多かったような?
座キューピーマジックプロデュースということで新しいキャストからの引きで新規のお客さんも多いのかもしれません。
これでさらにキューピーの良さが広く伝わると良いなぁと思いました。
前置きはこれくらいにして。
以後ネタバレあります。
ご注意ください。
今回もまた素晴らしい舞台でしたね。
ブランクは長かったですが記憶によるとシナリオ的には大きく変わっていなかったように思いました。
くるみの心情が少していねいに描かれていてより感情移入しやすかったです。
驚いたことに、大きな変更がなかったにしてはまったく古さを感じませんでしたね。
つまりはそれだけ普遍的な題材なのかもしれません。
それにしても今回はすごかった。
なんか圧倒された、と言うか、圧巻だったと言うか。
その昔、劇団だった頃のキューピーってすごく完成度が高くて、テレビや映画を生で間近で観てるような公演を観せてくれてたんですが、今回の公演は何というか、それを力で押しのけたと言うか、パワーで上回ったと言うか。
脚本にもよるのでしょうけど、役者がどハマりしてましたね。
ベテラン、中堅、若手。どの役柄を取っても素晴らしかったです。
特に瑠璃男は脚本的に元々美味しい役なんですが、恐らく多くの観客はそれ以上のものを感じたハズ。
きっと役者さんがキューピーマジックの演技法をきちんと理解して自分のものにしてるんでしょう。
客出しの際に座長の田窪さんがおっしゃるには。
なかなかキャストの都合がつかず、公演は中止にしようとしたんだそうです。
それが、岡野さんの純子姉、モウジーンさんの瑠璃男をはじめ、キャストがすごく良かったので幕を開けることができたと。
まったくその通りで、今回はどのキャストもみんなキューピーマジックしてて、観ていてすごく気持ちよかったです。
ほとんどの演目のストーリーはわかっていますので、いつもは笑いのツボでもニヤリとするくらいなのですが、今回はもう思わず声をあげて笑っている自分がいました。
周りの人も笑ってたので迷惑にはなっていなかったですよね。
これ、弟くんがいなかったのは
いや、居なくて良かったなんて、絶対言いませんよ(汗)。
帰りがけに娘が言ってました。
「いつどこで泣きがくるか、いつ笑いがくるか、気が抜けなかった」
ホントそれ。
昔の記事でも書いたことがありますが、キューピーマジックの公演って、泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたりすることが多いんです。
お腹の筋肉がよじれながら泣く、という、普通ではありえない状況が生まれるところが、キューピーマジックのまさにマジックたる所以なんだと思います。
今回はまさにキューピーマジックの本領発揮、真骨頂、面目躍如といったところでしたね。
いつもその時々でワタシの人生に先回りをして、それとなく気付きを与えてくれるキューピーマジックの公演。
ご覧になった方には申し訳ありませんが、今回もまた「ワタシのための公演」でしたね。そもそも登場人物の年齢がワタシと娘(あるいは息子)とほとんど同じですし。
もうキューピーマジック独り占めな気分。キューピーマジックはワタシのものよ~です。※諸説あります(笑)。
ワタシだって40年近くも働いていると、さすがに疲れてきますよ。
「定年」なんてもんが現実味を持ってだんだん近づいてきますしね。
そうなるとね、人間てやっぱり、守りに入っちゃうんですよ。
いまさら理想を追いかけてもねってな感じで。とりあえずこんなもんでいいか、しょうがないよねワタシの人生だもの、とかね。
それは人生を見切った、と言うか、半分諦めの境地なのかもしれません。
そんなワタシには主人公の気持ちが痛いほどわかります。
こんなに努力しても、こんなに頑張っても、誰も理解してくれない。正当に評価してはもらえない。
それなのに、世の中にはアピール上手な人もいて。自分の努力を上手いこと周りに認めさせて生きていく人もいる。
何をやっても上手くいかない自分に苛立ち、人のせいにしたり、逃げたり。
そんなことが多々ありますよ。
でも娘くるみの気持ちだってわかります。
そんなグジグジくよくよした父親を間近で見ていたら「いいかげんにしろ」と言いたくもなります。馬鹿にしたくもなります。
実際自分だって親父のことをそんな目で見ていたこともあったと思います。
と、そこまできてドキッとしました。
ウチの子供たちはワタシのことをどんなふうに見ているんだろう、と。
ワタシは子供たちに胸を張れる生き方をしているんだろうか、と。
舞台を見ながら、笑いながら、泣きながら、パシーンと頭をひっぱたかれた気がしました。
こういうところがキューピーマジックは絶妙なんですよね。
人生の中で必要な時期に必要なことを、それはもう絶妙なタイミングで気付かせてくれる。
「おまえはどうなんだ?本当にそれでいいのか?」
キューピーマジックの公演を見るたびに、毎回そんな問いを突き付けられている気がします。
以前、子供たちから聞かれたことがありました。
「仕事ってどういうもの?楽しい?」
その時は「辛くて苦しいけど食っていくには仕方ない」みたいなことを言ったような気がします。それは確かにそう。
でもね。この公演を観た後の今なら、こう付け足します。
「任されることや責任を持つことでやりがいを感じる」
「自分が他人のためになる喜びがある」
「人から抜きん出ると頼られるし誇りを感じる」
これって多分、ワタシが働き始めて仕事が楽しくなってきた頃、バリバリ働いてた頃の気持ちですね。
今回の公演を観るまですっかり忘れていました。
綺麗事かもしれませんが、子供たちはこんな答えを期待していたんだろうな。
ただ単に辛くて苦しいだけが仕事や人生じゃないですもんね。
歳とると夢も希望もなくなるとは言え、未来ある若者には伝えるべきことは伝えないと。
子供たちには自分を打ち込める仕事に巡り合えることを願うばかりです。
親としても。社会人の一先輩としても。
歳をとったがゆえにプライドが高く過去の栄光にすがりたくなる気持ちに対して、若さゆえのまっすぐで純粋な気持ち。そんな対比がとても象徴的で心が揺さぶられました。
老いと若さ、過去と未来、栄光と挫折、強さと弱さ、笑いと泣き。
今回は(も?)いろんなことを考えさせられました。
主人公の圭介には、ある意味、羨ましさを感じました。
何だかんだ言って、あれだけ親身になって心配してくれる家族(自称含め)が沢山いるんですもんね。
いや、ワタシだって誰にも負けない自慢の家族がいますから。
なんて密かに圭介に対抗意識を燃やすワタシでした。
リーフレットの裏には「大人のためのダーク・ヒューマン・コメディ」と書かれていましたが、ワタシはちっともダークだとは思いません。
逆に、こんなに熱い脚本はキューピーには珍しい、と思いました。
中年おじさんの背中を強く押す熱い応援歌のように感じましたよ。
今までの『ハムレットのための特別席』では気づかなかったこの演目に込められた熱い思い。ワタシも少しは成長したってことでしょうか。
歳をとるのも案外悪くないよね。そんな気持ちにさせてくれる、素敵な公演でした。
それにしてもホント圧倒された公演でしたね。
皆さんはいかがでしたか?
Vol.69 黒いスーツのサンタクロース 座キューピーマジック [座キューピーマジック]
先日、座キューピーマジック公演『Vol.69 黒いスーツのサンタクロース』を観に行ってきました。
何と今年は劇団創立30周年だそうで。
今はキューピーマジックプロデュースに変わってはいるものの、劇団『座☆キューピー・マジック』(おーっ、久しぶりに書く劇団正式名称!)の旗揚げから30年なんです。
ワタシは途中参入組なのであまり大きな顔はできませんが、それでも振り返ると1992年の『Vol.12 四人姉妹』からなので、かれこれ26年のお付き合いとなります。
ワタシをキューピーマジックに引き合わせた張本人であるカミサンは、当然ながらさらに古く、初観劇は劇団旗揚げ直後の1989年『Vol.4 最後のブラッディマリー』だったようです。すごいな。
だからカミサンは田窪一世の緑のタイツ姿や鶴屋紅子のヒラヒラなミニスカート姿を見たことがあって、今でも語り草になっております(笑)。
継続は力なり。
何事も続けることが一番大変なんですよね。
一言で30年と言いますが、1年1年、1公演1公演が血と汗と涙の結晶なわけです。
すごいことです。頭が下がります。
思えば、1998年。
ちょうどGoogleが検索サービスを開始した頃です。
それまではディレクトリ型サーチと言って、人的にサイトを登録した中から検索するという方式の、今となってはまとめサイト的レベルのサイト検索でした。
そんな中から、当時キューピーマジックの情報を探してみると、なかなか見当たらない。
確か、とある演劇サイトに劇評が1ヶ所見つかっただけでした。
なんで?
こんな素晴らしい劇団なんだから、もっと多くの人に教えてあげたい!
ないのなら作ればいい!
ということで、キューピーマジック応援サイトを立ち上げました。
厚かましくも劇団に直接電話をかけて画像の使用許可をもらったりして。
その頃のネット上はまだ著作権やら個人情報も緩かったので、かけた電話でその場で「どうぞ」と言われるという、今の時代では考えられない対応でした。
今のblog記事で1998年以前の記事はその時のサイトから転記したものです。
その後のキューピーには、何度か劇団解散の危機があったり、資金不足で幕があかない等々、紆余曲折を目の当たりにしてきたので、ワタシも他人ごとではありません。
プロバイダのサービス終了のため、サイトは2006年に閉じてしまいましたが、当時のサイト上で演目人気投票にご協力いただいた方々は、今はどうされているのでしょうね。
まだまだキューピー観劇を続けているのでしょうか。
引き続きこのblogをご覧になっててくれるとうれしいのですが。
そういや10年前、劇団創立20周年の時の演目『Vol.49 ライフ』の前置きでも同じようなことを書いてましたね。
いやはや。
歳を取ると同じ話を何度もするようになって困りますね。
昔話はこのへんにしときます。
以下、ネタバレあります。
ご注意ください。
くどいようですが、今回は30周年記念公演。
何としてでも行かなければと思い、春から大学生で一人暮らしの娘を誘って、家族そろっての観劇ツアーとなりました。
例によって楽日のマチネです。
実は最近になって身体の調子が悪く、もしかしてキューピーの禁断症状?とか思いながら、この日を楽しみにしてきました。
そのくせ、劇場に着いたときに「お祝い」を何も用意していなかったことに気づくという、如何に体調が悪かったとはいえ、ひどい失態をおかしてしまいました。後悔先に立たず…。
40周年の時は忘れずに何か(米俵とか酒樽とか?いや無理だから!)お祝いに持っていこうと思います。たぶん…。
『黒サンタ』…何回観たことでしょう。
一時期は年末には必ず『黒サンタ』をやってましたしね。
今回の客出しの時に紅子さんから「セリフ覚えてるでしょ」と言われたくらいです。
確かに、観てて「あっあのセリフなくなったんだ」と気付いたりはしました(笑)。
とは言え、どれだけ何度も観てて話の流れはわかっていたとしても、やはり泣かされますね、この演目。
今回は笑いのネタが少し減ったことで全体的にはシリアスさが増した感じだったのでなおさら泣けました。
「現代のお伽話」
今回観てて改めて感じました。
死神が出て来たり、時間を遡ったり。
物語的には新しいものはないのかもしれません。
それなのに何回も観るたびに思う、今の、現代の、お伽話、という感覚。
リライトを重ねているから、とも言えるのかもしれません。
でも、どうもそれだけではないような気がするのです。
やはり、キューピーマジックの目指しているリアルさ。
相手の台詞があって、自分の感情が動いて、それから自分の台詞がある。
この一連の「台詞のキャッチボール」が、知らず知らずのうちにリアルさを生み出し、まるで今そこで実際に起こっている出来事のような錯覚を受ける。
それが根底にあって「今の(現代の)お伽話」という感覚を与えるような気がします。
例えばですよ。
この演目を劇団Four seasonsや、Treasure mound歌劇団とかがやったとしたら、ネズミの国、あるいは魔法学校の国みたいな、単なるファンタジーで終わってしまうと思うんです。それが悪いとは言いませんし良い悪いでもないとも思いますが。
※個人の感想です(笑)。特定の個人または団体を誹謗中傷するものではありません。
ただその『黒サンタ』をキューピーマジックが演じると、本当に自分の横であった出来事に感じられる。それぞれの登場人物の感情が、凄くリアルに伝わってくるんですよね。登場人物が自分の身近にいるような?すぐそばにいる人の人生を覗き見ているような?
まぁ分析はそのくらいにしておいて…。
どうも理数系は理屈っぽくて困りますね。
今回特に思ったのは。
かなり台詞が整理されたせいか、主人公の由起子が最初に本番を前に失踪した時の心の内が、よりシンプルに強く伝わってきたということです。
具体的には、劇団員が楽屋で噂話をしていて「何があったんだろうね〜」と呟くシーンがとても印象的でした。
この演目を観た多くの人は、なぜ死神はそこまでして由起子に尽くすのか?と考えると思います。
実際ワタシも最初の頃はそこがわからず『黒サンタ』に良い印象を持てずにいました。
最初の頃の感想に「感動より可哀想で涙が出た」と書いたこともありました。
しかし何度も何度もこの演目を観るうちに、感じ方が少しずつ変わってきました。
前にも書きましたが、この死神は主人公が由起子でなくても、さらには男だったとしても同じことをしたような気がするんです。
由起子に情が移ったとか、愛してしまったから…そんな単純な話ではないのだと思います。
おそらく死神は、由起子と同じ「役者」として感情移入していたのではないでしょうか。
同じ志を持った者の先輩として由起子を見る目。
その目には、異性への恋愛感情というよりは、父親が娘を見るような、親の愛を感じてしまいます。
それは、ワタシが娘を持つ父親だからなのかもしれませんが。
当の娘は「シナリオが欲しい〜!」と言い。
息子は「噛めば噛むほど味が出る、スルメのような劇団だ〜!」と、みんなそれぞれ感動と興奮が収まらない帰り道となりました。
個々の登場人物についても、もっと深く掘り下げて書きたいです。
時間を遡った後の物語はどう進むのか、というところも考察したいのです。
が、長くなりました。今回はこのくらいにしておきます。
続きはまた次回の『黒サンタ』を観た時の感想文にしたいと思います。
そう言えば、その昔キューピーマジックは公演後に台本を販売してたんですよね。
台本だけでなくビデオなんかも販売してました。
家を探せば昔のシナリオとビデオがあるはず。
ちょっと探してみようかな?と思いつつ帰路についたワタシでした。
体調はまだまだイマイチですが、心の洗濯はできた気がします。
皆さんはいかがでしたか。
何と今年は劇団創立30周年だそうで。
今はキューピーマジックプロデュースに変わってはいるものの、劇団『座☆キューピー・マジック』(おーっ、久しぶりに書く劇団正式名称!)の旗揚げから30年なんです。
ワタシは途中参入組なのであまり大きな顔はできませんが、それでも振り返ると1992年の『Vol.12 四人姉妹』からなので、かれこれ26年のお付き合いとなります。
ワタシをキューピーマジックに引き合わせた張本人であるカミサンは、当然ながらさらに古く、初観劇は劇団旗揚げ直後の1989年『Vol.4 最後のブラッディマリー』だったようです。すごいな。
だからカミサンは田窪一世の緑のタイツ姿や鶴屋紅子のヒラヒラなミニスカート姿を見たことがあって、今でも語り草になっております(笑)。
継続は力なり。
何事も続けることが一番大変なんですよね。
一言で30年と言いますが、1年1年、1公演1公演が血と汗と涙の結晶なわけです。
すごいことです。頭が下がります。
思えば、1998年。
ちょうどGoogleが検索サービスを開始した頃です。
それまではディレクトリ型サーチと言って、人的にサイトを登録した中から検索するという方式の、今となってはまとめサイト的レベルのサイト検索でした。
そんな中から、当時キューピーマジックの情報を探してみると、なかなか見当たらない。
確か、とある演劇サイトに劇評が1ヶ所見つかっただけでした。
なんで?
こんな素晴らしい劇団なんだから、もっと多くの人に教えてあげたい!
ないのなら作ればいい!
ということで、キューピーマジック応援サイトを立ち上げました。
厚かましくも劇団に直接電話をかけて画像の使用許可をもらったりして。
その頃のネット上はまだ著作権やら個人情報も緩かったので、かけた電話でその場で「どうぞ」と言われるという、今の時代では考えられない対応でした。
今のblog記事で1998年以前の記事はその時のサイトから転記したものです。
その後のキューピーには、何度か劇団解散の危機があったり、資金不足で幕があかない等々、紆余曲折を目の当たりにしてきたので、ワタシも他人ごとではありません。
プロバイダのサービス終了のため、サイトは2006年に閉じてしまいましたが、当時のサイト上で演目人気投票にご協力いただいた方々は、今はどうされているのでしょうね。
まだまだキューピー観劇を続けているのでしょうか。
引き続きこのblogをご覧になっててくれるとうれしいのですが。
そういや10年前、劇団創立20周年の時の演目『Vol.49 ライフ』の前置きでも同じようなことを書いてましたね。
いやはや。
歳を取ると同じ話を何度もするようになって困りますね。
昔話はこのへんにしときます。
以下、ネタバレあります。
ご注意ください。
くどいようですが、今回は30周年記念公演。
何としてでも行かなければと思い、春から大学生で一人暮らしの娘を誘って、家族そろっての観劇ツアーとなりました。
例によって楽日のマチネです。
実は最近になって身体の調子が悪く、もしかしてキューピーの禁断症状?とか思いながら、この日を楽しみにしてきました。
そのくせ、劇場に着いたときに「お祝い」を何も用意していなかったことに気づくという、如何に体調が悪かったとはいえ、ひどい失態をおかしてしまいました。後悔先に立たず…。
40周年の時は忘れずに何か(米俵とか酒樽とか?いや無理だから!)お祝いに持っていこうと思います。たぶん…。
『黒サンタ』…何回観たことでしょう。
一時期は年末には必ず『黒サンタ』をやってましたしね。
今回の客出しの時に紅子さんから「セリフ覚えてるでしょ」と言われたくらいです。
確かに、観てて「あっあのセリフなくなったんだ」と気付いたりはしました(笑)。
とは言え、どれだけ何度も観てて話の流れはわかっていたとしても、やはり泣かされますね、この演目。
今回は笑いのネタが少し減ったことで全体的にはシリアスさが増した感じだったのでなおさら泣けました。
「現代のお伽話」
今回観てて改めて感じました。
死神が出て来たり、時間を遡ったり。
物語的には新しいものはないのかもしれません。
それなのに何回も観るたびに思う、今の、現代の、お伽話、という感覚。
リライトを重ねているから、とも言えるのかもしれません。
でも、どうもそれだけではないような気がするのです。
やはり、キューピーマジックの目指しているリアルさ。
相手の台詞があって、自分の感情が動いて、それから自分の台詞がある。
この一連の「台詞のキャッチボール」が、知らず知らずのうちにリアルさを生み出し、まるで今そこで実際に起こっている出来事のような錯覚を受ける。
それが根底にあって「今の(現代の)お伽話」という感覚を与えるような気がします。
例えばですよ。
この演目を劇団Four seasonsや、Treasure mound歌劇団とかがやったとしたら、ネズミの国、あるいは魔法学校の国みたいな、単なるファンタジーで終わってしまうと思うんです。それが悪いとは言いませんし良い悪いでもないとも思いますが。
※個人の感想です(笑)。特定の個人または団体を誹謗中傷するものではありません。
ただその『黒サンタ』をキューピーマジックが演じると、本当に自分の横であった出来事に感じられる。それぞれの登場人物の感情が、凄くリアルに伝わってくるんですよね。登場人物が自分の身近にいるような?すぐそばにいる人の人生を覗き見ているような?
まぁ分析はそのくらいにしておいて…。
どうも理数系は理屈っぽくて困りますね。
今回特に思ったのは。
かなり台詞が整理されたせいか、主人公の由起子が最初に本番を前に失踪した時の心の内が、よりシンプルに強く伝わってきたということです。
具体的には、劇団員が楽屋で噂話をしていて「何があったんだろうね〜」と呟くシーンがとても印象的でした。
この演目を観た多くの人は、なぜ死神はそこまでして由起子に尽くすのか?と考えると思います。
実際ワタシも最初の頃はそこがわからず『黒サンタ』に良い印象を持てずにいました。
最初の頃の感想に「感動より可哀想で涙が出た」と書いたこともありました。
しかし何度も何度もこの演目を観るうちに、感じ方が少しずつ変わってきました。
前にも書きましたが、この死神は主人公が由起子でなくても、さらには男だったとしても同じことをしたような気がするんです。
由起子に情が移ったとか、愛してしまったから…そんな単純な話ではないのだと思います。
おそらく死神は、由起子と同じ「役者」として感情移入していたのではないでしょうか。
同じ志を持った者の先輩として由起子を見る目。
その目には、異性への恋愛感情というよりは、父親が娘を見るような、親の愛を感じてしまいます。
それは、ワタシが娘を持つ父親だからなのかもしれませんが。
当の娘は「シナリオが欲しい〜!」と言い。
息子は「噛めば噛むほど味が出る、スルメのような劇団だ〜!」と、みんなそれぞれ感動と興奮が収まらない帰り道となりました。
個々の登場人物についても、もっと深く掘り下げて書きたいです。
時間を遡った後の物語はどう進むのか、というところも考察したいのです。
が、長くなりました。今回はこのくらいにしておきます。
続きはまた次回の『黒サンタ』を観た時の感想文にしたいと思います。
そう言えば、その昔キューピーマジックは公演後に台本を販売してたんですよね。
台本だけでなくビデオなんかも販売してました。
家を探せば昔のシナリオとビデオがあるはず。
ちょっと探してみようかな?と思いつつ帰路についたワタシでした。
体調はまだまだイマイチですが、心の洗濯はできた気がします。
皆さんはいかがでしたか。