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Vol.37 大きな銀杏の樹の下の小さな泉 座キューピーマジック [座キューピーマジック]

今回はなんと、7年ぶりの再演。
そして今年は年末恒例の『黒サンタ』は無し。
ということは、今年最後のキューピーマジック。今年はこれで見納めです。
カミサンはつわりのためドタキャン。
チケットが勿体ないので、カミサンの友人を代理に引きずり込み、いつもの友人とで、三人の観劇ツアーと相成りました。

この『大きな銀杏の樹の下の小さな泉』は、前回都合で観られなかったので、今回が始めてです。
いつもの見慣れた演目と違った、新しいキューピーが観られるかと思うと、ウキウキワクワクドキドキです。
場所の移動もなく、セットも変わらず、あるのは時間の経過だけ。
日常を切り取ったような、誇張も何もない淡々とした進行ではありますが、飽きさせもせず観客を放さないところは、さすがキューピーです。
かかわり合いを持ちたくない人たち、かかわり方がわからずかかわれない人、後先考えずかかわってしまう人。
何か人間社会の縮図を見ているような気がしたのは私だけでしょうか。
あえて難点をつけるとすると、季節感がもう少し欲しかったかな、と思いました。
夏なんか「暑い暑い」と言っている割には、あまり暑そうな感じがしませんでした。
涼しい店内に入っても、しばらくは汗が止まらないくらいに、やってほしかったな。
#最近のキューピーに何か言ってやろうと思っても、もうこんな重箱の隅しかありませ〜ん(笑)。

今回の舞台も求心力(すみません理数系なもので)が強く、観終わってから「暗転あったっけ?」って思うくらい引き込まれてしまいました。
実際、キューピーの舞台の暗転って、場面転換というよりも一つの演出というか物語に溶け込んでいるというか、全然気になりませんね。
近くで観ていると、物音も気配もさせずに、よくあんな暗闇で動けるなぁと感心します。
今回は舞台装置の移動もないので暗転の時間も短く、特にそう感じるのかもしれません。

以前感想で書いた「生きた緊張感」についてもう少し。
私はいつも思うのですが、普通芝居を観に行くと、どことなく舞台の空気や会場の空気に、役者やスタッフの緊張が漂っているんです。
それを何となく感じて、あぁ芝居を観に来たな〜とまた思ったりする訳ですけど。
そういうピーンと張り詰めた空気が好きな人もいることでしょう。
でもそういう緊張感って、芝居の内容には関係のないものだと思います。
言ってみれば不純物ですね。これを前回「負の緊張感」と表した訳です。
「負の緊張感」を、芝居をスポイルするものと見るか、あるいは芝居に膨らみをもたせるものと見るか、難しいところです。
おそらく劇団や演目や演出などで(もしかすると観客の好みや体調などでも)変わってくるものなのかもしれません。
でも(特にここ数年の)キューピーはその緊張感を感じません。
役者個人の緊張が伝わってこない分、役柄の味というか匂いというかが、混ざり物なく純粋に感じられます。
役者の、ではなく、「役柄の存在感」があるんです。

目立たなく地味ではあるけれど質の高いキューピーの舞台を観ていると、ただの芝居ということを越えて、誰も知らないけどお薦めできるお店とか、人にはわからないけど持っているだけで嬉しいアンティーク品とか、心の奥にしまっておきたい思い出とか、そんな感じを受けるのですが、皆さんはいかがですか。


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