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拝啓 屋根の上から [思ひ出ぽろぽろ]

先輩、お元気ですか。
あれからもう15年がたちました。

私が会社を辞め、田舎に帰ることを告げた時、先輩は言いましたね。
「じゃあ何で東京に出てきたの?」
素朴な疑問、何気ない問いかけでしたが、実を言うとちょっとショックでした。
というか、その問いに答えが見いだせない、軽い冗談で返すこともできない自分、それがショックでした。
そして結局、その問いに答えられないまま、逃げるようにして東京を後にした私でした。

先輩。
あれからずっと心の奥に残っていたあの問いに、今なら答えが出せそうです。

私の田舎が有数の豪雪地帯だということはご存知でしたよね。
でも私が雪が嫌いなことは知らなかったでしょう。
冬は雪のために窓が塞がり、昼でも家の中は真っ暗。
一つ山を越せば、太陽が明るく照らしているという事実が、どんなに屈辱的に感じられたことか。
毎日が雪に振り回される冬。
雪を片付けながら、片付けた先からどんどん積もっていく雪を、どれほど絶望的な気持ちで眺めていたか。

先輩。
今ならはっきり答えられます。
私が東京に出たのは、雪から逃げるためだったんですよ。
私は雪から逃げるために、そのためだけに東京に出たんです。

東京での仕事は、天職とも言えるほど私にあった仕事で、とても面白く、やりがいがあり、毎日が有意義でした。
それでも、いえ、それだからこそ、心のどこかに、黒く冷たい何かを、いつも感じていました。
今思うとそれは、自分の人生から逃げた、という後ろめたさ、あるいは挫折感だったのかもしれません。
仕事が面白ければ面白いほど、その挫折感は強くなっていきました。

先輩もご存知ですね。
あの冬、親父が雪下ろしの最中、屋根から落ちて怪我をしたこと。
それがきっかけで、私は田舎に帰ることになりましたよね。
でも本当は、それはただの口実だったんです。
あのまま東京にいたら、私は、私の人生は、ダメになっていたかもしれません。
私の人生は挫折のままで終わっていたかもしれません。
そんな危機感が、私を田舎に引き戻したのです。

東京で過ごした数年間、もったいなかったと笑いますか?
私はそうでもありません。負け惜しみでもなんでもなく。
あの数年間とその後の15年間、それがあって今の私があるのですから。

大変遅くなってしまいましたが、15年経った今、ようやく自分でも納得できる答えを見つけることができました。
その答えを見つけさせてくれたのは、何を隠そう、雪でした。
私が大嫌いだった、この雪でしたよ、先輩。
そんなことを考えながら雪下ろしをしてたおかげでしくじっちゃいましたけどね(笑)。
不思議なものです。
なんだかんだ言っても、私は根っからの雪国人間なのかもしれません。

これからまだまだ寒い季節が続きます。
東京のビル風は冷たいでしょう。
体に気をつけて。お元気で。


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雲の絵にやられてみた [思ひ出ぽろぽろ]

蓮さんの『空で自由に遊ぶ雲』を拝見しました。

雲好きの皆さんにオススメがあります。
ぜひ「川嶋紀子 雲の絵美術館」に行ってみてください。

もう10年も前になりますが、カミサンとのデートで使わせていただきました(笑)。
ホンの軽い気持ちだったのですが、逆に自分がはまってしまいました。
心をぎゅっと掴まれる力強い雲、柔らかく包み込まれるような暖かい雲。
元々多種多様な表情を見せる雲に、作者の生きる力が加えられた(ように感じた)絵を、見て回っているうちに、涙が出そうでした。
でもカミサンが一緒だったから、恥ずかしくて一生懸命我慢しました。
一人だったら本当に泣いてたでしょう。
それくらい感動しました。

今も開いているとは思いますが、専門の美術館ではなくて、絵のオーナーの方が個人的に開いていらっしゃるところです。
休館日なども決まっていますが、オーナーの方の都合によっては閉館していることも多々あります。
私はその後、開館日に3回ほど行きましたが、その内2回はお休み、あと1回は「すぐ戻ります」と張り紙がしてあり、夕方まで待ちましたがついぞお帰りにならず、入館できませんでした(泣)。
行く前には一度連絡を取ってみるといいかもしれません。

正式なWebサイトはありません(と思います)。
紹介しているサイトはありますので、場所はこちら等でご確認下さい。
http://www.spy.or.jp/SINPOU/MUSEUM/art.htm
古いサイトには鎌倉にも開館しているという情報もありますが、電話で聞いた話では今はもうないそうですのでご注意ください。

ところで。
川嶋紀子(かわしまいとこ)さんというお名前に見覚えはありませんか。
実はこの方、あの秋篠宮妃殿下、紀子(きこ)様の、お父様の母上、つまりおばあ様でもあります。
紀子様の旧姓は川嶋紀子。
おばあ様と同じ字を書くんですよね。

そんな高貴な方の絵とは知らずに入った私たち夫婦。
思わず顔を見合わせたことが、つい昨日のような、微笑ましい思い出です。
また行きたいな。

一つ、おもしろネタをばらしちゃいます。
書かなきゃいいんだけど、とても書かずにはいられません(爆)。

警告:
ここまで読んで、すでに行ってみようと決めた人は、この先を読まないで下さい。



展示品には、絵だけでなく、写真もありました。
その中に、作者のお父上の写真がありました。
(今も展示中かどうかは知りません)
床の間を背に写された写真でしたが、その床の間には何と驚くなかれ。
可愛いキューピー人形が一体、両手を上げたあの形で飾られているのです。
素晴らしいこの感性。
この親にしてこの子あり。
カミサンと二人、大いに納得したのでした。

どうですか、さらに行きたくなったでしょう(笑)。


雪下ろしの音 [思ひ出ぽろぽろ]

ググッ、グツグツ、ゴゴゴゴ、ズンッ、パラパラパラ。
子供の頃、毎日曜日の朝になると、この音で目が覚めました。
雪下ろしの音。私はこれが大嫌いでした。

せっかくの日曜日、ゆっくり寝ていたいのに。
何でこんなところにすんでいるんだろう。
掘っても掘っても積もる雪。
雪なんかなければ、もっとゆとりのある生活が出来るのに。
大きくなったら絶対に都会に行ってやる。
そう思っていました。

学校卒業後すぐ、私は東京で一人暮らしをしながら、働き出しました。
今となっては当たり前のことですが、当時長男を都会に出すことは、周りからもいろいろ言われたと思います。
そんなことは一言も言わずにいてくれた両親(いまだに聞いたことがない)。
そんな両親に、今は感謝しています。

ググッ、グツグツ、ゴゴゴゴ、ズンッ、パラパラパラ。
大嫌いだったこの音を今は足下で聞きながら。


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悲しかったこと [思ひ出ぽろぽろ]

参明学士さんのblogで悲しい話を拝見し、思わず書かずにはいられません。
http://blog.so-net.ne.jp/presence/2005-01-09-1

私がまだハタチで一人暮らしをしていた頃。
近くの川の土手で、まだ目の開かない猫が、ミーミーいっているのを見つけました。
秋の肌寒い季節で、毛も生えていない裸の猫は、ブルブル震えていました。
私はかわいそうに思い、何気に手を差し伸べました。
多分おなかも空いていたのでしょう、おっぱいを探すように、私の手を嗅ぎまわります。

でも私はアパート暮らしで、連れて帰ることは出来ませんでした。
手を離すと、猫はさっきよりももっと必死に、悲痛な鳴き声を上げます。
私は心を鬼にして、その場を立ち去りました。
耳にいつまでもその鳴き声が残っていました。

しばらく行くと何だか胸騒ぎがしました。
急いで走って戻ってみると、あの猫の鳴き声はしません。
あたりを探してみると、その猫は土手に入ってきた車に轢かれて、死んでいました。
おそらく、土手上の道までよじ登ってきたのでしょう。
私のにおいを、ぬくもりを、追・い・か・け・て。

私はショックでした。
私が手を差し伸べなければ、車に轢かれることはなかったでしょう。
アパートに帰り、一人泣きました。
大人のくせに、ただ泣きました。

車に轢かれなくても、餓死していただろうと、自分で自分を慰めたこともあります。
でもあの猫の鳴き声と、手に感じた猫の震えは、忘れられませんでした。
二十年以上たった今でも、まだ。


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あなたのかかりたいと思う病院、かかりたくないと思う病院 [思ひ出ぽろぽろ]

ひなさんがアンケートを行なってました。
http://blog.so-net.ne.jp/happy-clover/2005-01-06-1
そういえば去年私が胆のう炎になった時、こんなことがあったなぁって、思い出しました。

私が住んでいる町では、他の複数の病院とで、夜間救急の当番を持ち回りで行なっています。今日の夜間救急はどこの病院、今日はどこの病院と。

去年の5月、ある日曜日の朝、あばら骨の裏側あたりがチクチクして目がさめました。
実はこの痛み、もう十何年も前からある症状で、一晩くらい我慢していれば、そのうちに直ってしまうものでした。
この日は朝からなので、珍しいなとは思っていましたが、その内直るだろうと、いつものように我慢して過ごしていました。
しかし、夕方になるにつれ、痛みはどんどん激しくなっていき、もう、息が出来なくて、のた打ち回るような状態です。
「だから早く病院に行けばいいのに」と、カミサンに怒られながら、その日の夜間救急の当番を調べると、いつも行きつけの病院とは違う病院です。

カミサンの運転で病院に急行し、受け付け。
まず最初に対応した看護士さんに「かかりつけの病院はありますか?」と聞かれ、隣町のY病院ですと答えました。
すると看護士さんは言いました。
「その病院には電話してみましたか?」
「いいえ」
「なぜそこにいかないんですか?」
「へっ?」
…だって今日の夜間救急当番はおたくでしょ?

取りあえず診察しますからということで、診察室へ。
ここでも当直医から「なぜここへ来たのか」といきなり同じ質問。
まるで来てはいけなかったかのような言われように、自分でもここに来たことを後悔しました。
もうそれどころか「お手間を取らせて申し訳ありません」という自虐的気分。

CTを撮り「胆のう炎です。Y病院に紹介状を書きますので、そちらの担当医と相談して、治療なり手術なりしてもらって下さい」とのこと。
とりあえず明日の朝まで我慢できるように、炎症を抑える点滴をしてもらい、紹介状とCT写真、そして痛み止めをもらって、泣く泣く自宅に帰りました。

じりじりとして待つ朝の長いこと。
朝一番でY病院に行ってみるとそこには「本日休診日」の看板が…(泣)。
本来なら電話するかして救急で見てもらえばいいのでしょうが、昨夜のこともあり躊躇してしまいました。今思うと馬鹿なことしたと思いますが、結局もう一日我慢することに。
私がどれだけ苦しんだか。胆のう炎経験者の方ならお分かりでしょう。
人生のうちで最も辛い24時間でした。

その翌日、ようやくY病院で見てもらった時、看護士さんに最初に行った病院の話をしたら「それは大変でしたでしょう。次からは遠慮せずに直接ウチに電話して下さい」と言ってもらいました。
心配にはおよびません。言われなくてもそうします。

でも、そうすると。
あの夜間救急当番って、いったい何?
私の苦しみはいったい何だったのぉ~?

結局、胆のうは炎症が激しくて、摘出手術となりましたとさ。
めでたしめでたし。<ぉぃぉぃ


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