SSブログ

きいちゃんと浴衣 [ちょっといい話]

養護学校の先生である山本加津子さんの体験談

職員室にいると、きいちゃんがとってもうれしそうな顔をして、とびこんできました。きいちゃんは、いつもどちらかといえば元気のない印象をあたえる子だったので、驚いてたずねると、「お姉ちゃんが結婚するの。私、結婚式に出るのよ」と言いました。

どんな洋服を着て出ようか、結婚式ってどんなかしらとそれは楽しみにしていたのでよかったなあと思っていた矢先、ある日、教室で泣いているきいちゃんを見つけました。聞けば、お母さんがきいちゃんにお姉ちゃんのために結婚式に出ないで欲しい、と言ったとのことでした。

「私のことが恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いいのよ。私なんか産まれなければよかったのに」と言って泣くのです。これがきいちゃんの本心ではないと思うのですが、きいちゃんも、そう、きいちゃんに言われたお母さんも、とても傷ついているのだろうなあと思いました。

お母さんは、決してきいちゃんよりお姉さんを可愛がっているのではなく、かえってきいちゃんのことばかり考えているような方でした。でも、結婚式に出ることで、お姉ちゃんが肩身の狭い思いをするのではないか、お姉ちゃんの子供に障害をもった子が生まれるのでは、と他の人に思われるのではないかと、お母さんは考えられたのだと思います。

そんなきいちゃんに私は何も言ってあげられなくて、一緒にきいちゃんのお姉ちゃんにプレゼントを作ろうと言いました。お金がないので、さらしの布を買い、金沢の山のほうにある二股町というところで染めをならって、白い布を夕日の色に染め、きいちゃんは、お姉さんに浴衣を縫い上げました。
きいちゃんは小さいときに、高い熱が出て、思った場所に手を持っていくのが大変になりました。アテト-ゼといって、手を持っていこうとする所の前へいったり、後ろへいったり・・・なかなかその場所にいかないのです。だからきいちゃん自身は、縫い物ができるとは思っていなかったと思います。
そして、私自身もきいちゃんが一人で縫い上げるのはむずかしいと思っていました。でもミシンもあることだし「とにかく作ってみようよ」と最初、提案したのでした。

でも、きいちゃんはとてもがんばりやさんでした。毎日毎日縫っていくうちに、縫い目はだんだんと揃ってきました。私はとても驚きました。そして、きいちゃんは学園へ持って帰ってからも学校で丁寧に縫いつづけ、それは結婚式の十日前に仕上がりました。

きいちゃんがプレゼントした二日ぐらい後だったと思います。きいちゃんのお姉さんから私のところに電話がありました。びっくりしたことに、お姉さんは、きいちゃんと、そして私にまで、自分たちの結婚式にぜひ出てほしいとおっしゃるんです。最初はお母さんのお気持ちを思い、ためらっていたのですが、きいちゃんと相談して、式に出席することにしました。

きいちゃんのお姉さんはそれはそれはきれいで、幸せそうでした。でもきいちゃんを見て、なにかひそひそ話をしている人が何人かいるのが私には気になり、きいちゃんはどう思っているかしら、出席しないほうがよかったのではないかしらと思ったりしていました。

そんなことを思っていたころ、お色直しで扉から現われたお姉さんはなんと、あのきいちゃんが縫った浴衣を着ていたのです。お姉さんはとても清楚で可愛らしく、浴衣がとても映えてみえました。感激していたらお姉さんは、旦那さまになる人とマイクの前に立ち、話しだしました。

「この浴衣は、私の妹が自分の力で縫って、私にプレゼントしてくれました。
妹は小さい頃、高い熱が出て、体が不自由になりました。その不自由な手で、こんなにすてきな浴衣を縫ってくれました。妹は小さいころから家から離れて生活しなくてはなりませんでした。私は妹が両親といっしょに生活している私を恨んでないかしらと思ったこともありました。でも妹はそんなことは決してなく、私のために浴衣を縫ってくれました。今、高校生で浴衣を縫える人は何人いるでしょう。私の妹は、手が不自由にもかかわらず、浴衣を縫いました。妹は私の誇りです」

そしてきいちゃんと私を呼んで、私たちを紹介してくれました。
「これが私の誇りの大事な妹です」と・・・。

今になって私は、なぜきいちゃんのお姉さんが結婚式で浴衣を着られたのかしらと考えることがあります。きいちゃんは家では、何もできない不憫な子と考えられていたそうです。でも、こんなにもすてきな浴衣が縫えたのをご覧になった時、お姉さんは、おそらくきいちゃんに対する気持ちを変えられたのではないかと思います。たとえ障害があっても、いいえ障害を持っているからこそなお、きいちゃんはきいちゃんだということを、ご自分や家族やこれから家族になる人たちに示したいと考えられたのだと思います。

私はこの話を思い出すといつも涙が出そうになります。
そのときとても感激したので、あまりにも感激したので、いつまでもそのことがよみがえってくるのです。すばらしいお姉さん、そしてお姉さんの心を動かしたすばらしいきいちゃんのがんばりと、お姉さん思いの心、きいちゃんはきいちゃんとして生まれて生きてきた、これからもきいちゃんとして生きていく、もし人から隠れたり、名前を隠したりして生きていったら、きいちゃんの人生はどんなに淋しいものになったでしょう。

私はきいちゃんから多くのことを教えてもらいました。
考えたら私、きいちゃんだけじゃなくていっしょに勉強している子どもたちみんなからいつも教えてもらってばかりでした。私はこの日から、自分は先生なんだという思いをやめることにしました。子どもたちと私、歳が違うということは、背の高さが違うとか、髪の長さが違うとかと同じで、それ以上の違いはないように思うからです。

ところで、きいちゃんは、あのあとお母さんに「産んでくれてありがとう。この世に生まれて本当によかった」と言ったそうです。お母さんは涙ぐんでそう話されました。お母さんは私に何度もありがとうと言われたけど、私はなにもしていないし、かえってこんなにすばらしい場面に居合わせてもらって、いっぱいありがとうと思いました。

きいちゃんはすごく明るくなって、自信にあふれ、和裁を習うと言いました。
そしてそれを一生の仕事に選んだのです。


nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 3

浅井笙子

私は、小学六年です。国語の教科書に、きいちゃんが出てきました。私は、きいちゃんを読んで、お姉さんの浴衣を一生懸命に作るきいちゃんに憧れたので、何か一生懸命になれることを探したいと思いました。
by 浅井笙子 (2005-03-02 19:44) 

GEN11

浅井笙子さん
コメントありがとうございます。
この話、結構有名みたいですよね。
一生懸命になれること、見つかるといいですね。
大事なのは、「人のために」一生懸命になる、ってことだと思います。
今の世の中、そういう人は少ないかもしれません。
それでも、ぜひ、浅井さんは、そんな大人になってください。
by GEN11 (2005-03-02 20:20) 

GEN11

m-kurataさん
そっとnice!をありがとうございます。
by GEN11 (2011-11-05 13:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

人気ブログランキングへ