土石流 [新潟県中越地震・災害]
昨日の夜、帰宅する時に通った数分後、土石流が発生しました。
あと何分か違っていたらどうなっていたのか。
帰りが遅くなったカミサンは、自宅に帰れずUターンし、実家にお泊まりしました。
昨日まではウチの田んぼがあった場所…。
今年のお米はあきらめるしかありません。来年はどうだろ?
こんな光景を生で見ることになるとは…。
人的被害がなかったことは奇跡だったのかもしれません。
30キロ以上離れて撮影しています [新潟県中越地震・災害]
「30キロ以上離れて撮影しています」
ふーん…。だから何?
何が言いたいのだろう?
この表示が無いと。
「こんな映像を撮ってカメラマンは大丈夫なのか?」
って、問合せが集中するんでしょうか。
それとも。
「立ち入り禁止地域の映像が撮れるわけない。捏造した画像だろう」
と苦情が来るんでしょうか。
いちいちこんなテロップが必要になる理由が知りたい。
もしかして、真実をきちんと伝える義務がある!とか考えてるのでしょうか?
そうだとしたら大笑いですよね。
本当にそんなふうに考えているんなら。
「レポーターは朝シャンプーをしてきました」
とか
「きちんと化粧をして取材にあたっています」
なんていうテロップも流して欲しいもんです。
それでもあなたは寒いと? [新潟県中越地震・災害]
そしてその次は…。
冬に逆戻りした日本列島。
氷点下5度の被災地。
停電で灯りもなく、灯油もなく暖房も出来ず、逃げるにもガソリンがない。
底冷えのする中、薄い毛布に包まって、耐えるしかない避難所。
赤ん坊も、お年寄りも、ケガ人も、病人も…、そんな環境で過ごしています。
お願いです。
念のため、とか、もしかして後で必要になるかも、とか考えないで下さい。
いま、ほんとうに、いますぐに、必要な人がいます。
助けてあげて下さい。
今この瞬間に必要な人のために、少しの間、我慢して下さい。
避難所から、餓死者や凍死者を出さないで下さい。
お願いします。
ワタシも、少しくらい雪が降っても我慢しますから。
大災害 [新潟県中越地震・災害]
地震、津波、火災と、トリプルパンチですから。
亡くなった方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
三陸沖が揺れた時、ワタシは休暇で買い物に行ってました。
店員の誘導で駐車場に出たら、クルマがゆさゆさと揺れてて、クルマ同士がぶつかりそうでヒヤヒヤしました。
なんとか自宅とは連絡が取れたので良かったのですが、その後は携帯がずっと、しばらくお待ちくださいになっていてしょうがないので、会社に様子を見に行ってきました。
こちらは被害はなく、ホッとしました。
が…夜が明けて震源がコッチに移ってきました。
なんか、いやな感じですね。
大丈夫なんだろうか、日本列島。
中越地震の経験を生かして、昨夜は娘がおにぎりを握り、さらにもうヒト釜ご飯を炊いておきました。
停電したらご飯も炊けないからね。
そしたら案の定、長野県北部での地震。
備えあれば憂いなしですよ、みなさん。
どうでもいい事ですが、Amazonに頼んでおいたホワイトデーの贈り物。
出荷出来ませんとメールが来ました。
休み中に買い出しに出なくては。
それどころでない方々には申し訳ありません。
これ以上、被害が拡大しませんように…。
みんなえがおに [新潟県中越地震・災害]
so-netニュース『中越地震5年…ロウソクで「みんなえがおに」』
http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20091023-570-OYT1T01149
昨日は10月23日。
午後から出張があり社用車で出かけていました。
中越地震で大きな被害を受けた川口町などでは、あちこちに黄色いハンカチがはためいていました。
一口で黄色と言ってもいろんな黄色があって、統一感の中にも個性が感じられます。
さらに、何千何百あるかわからないその黄色いハンカチには、それぞれ「みんなありがとう」「感謝します」「ご支援ありがとう」といった言葉が、一枚一枚、手書きで書き込まれています。
保育園の園庭に、運動会のように飾られた、膨大な数の黄色いハンカチを見ながら、なぜか涙が出そうでした。
キレイ…とか感動…とかじゃないんです。
もっと、胸の奥をぐっとつかまれるような、何か。
頑張っている人の笑顔は、人を強くするね。
あれから5年。
blogを始めてもう5年だ。
このblogの原点はここにある。
いつまでも忘れずにいよう。
関連記事:
『新潟県中越地震体験記1』
『新潟県中越地震体験記2』
『新潟県中越地震体験記3』
『新潟県中越地震体験記4』
『新潟県中越地震体験記5』
『新潟県中越地震体験記6』
『新潟県中越地震体験記7』
『新潟県中越地震体験記8』
『新潟県中越地震体験記9』
『新潟県中越地震体験記10』
『新潟県中越地震体験記11』
『新潟県中越地震体験記12』
緊迫感 [新潟県中越地震・災害]
田んぼに肥料を撒くために4時起床。
いろいろ準備して5時過ぎ。
さて出発と、クルマのエンジンをかける。
「緊急地震速報が…」
突然クルマのTVからNHKのアナウンサーの声が飛び出しました。
「ただ今緊急地震速報が発表されました」
「間もなく強い揺れが来ます」
「テーブルなどの下に入って強い揺れに備えて下さい」
「震源は東海沖のようです」
「津波が発生する可能性があります」
「海岸の近くにいる人はすぐに高い所に避難して下さい」
「今、スタジオも揺れています」
「慌てて建物から飛び出さないようにして下さい」
抑揚の無い声で伝え続けるアナウンサーの声。
落ち着いた声だからこそ逆に伝わってくる緊迫感。
中越地震のことが思い起こされてドキドキしました。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。
夕日 [新潟県中越地震・災害]
先日車で出張に行きました。
途中、中越沖地震の震源地だった、柏崎や刈羽を通りました。
高台から見おろす風景に違和感を感じ、何でだろうとよくよく考えてみると…。
みんな屋根だけは新しいんです。
古い民家も、どこもかしこも、瓦だけが光ってる。
そんな風景に心が痛みながらの出張でした。
震災から2ヶ月。
復興は急ピッチで進んではいますが、被災された方の生活はまだまだ救済されていません。
皆さんが心配なく眠れる日が早く来る事を祈っています。
そんな出張の帰り。
ちょうど、日本海に夕日が沈むところでした。
残念ながら携帯しか持ち合わせていなかったので画質はイマイチ。
この時ばかりはデジタル一眼欲しかった。
自然って怖い。残酷で無情で容赦がない。
それでも…。
だから、か…。
美しいんだなぁ。
信じる [新潟県中越地震・災害]
・川西町(平成16年10月23日 新潟県中越地震)
・柏崎市 (平成19年 7月16日 新潟県中越沖地震)
いずれも大規模地震の予測地域ではありませんでした。
結局のところ人間の英知など、この大自然の前にはまったく用をなさない、無意味なものなのでしょうか。
もしこれが東海沖地震のように、来るぞ来るぞと言われ続けている場所だったとしたら、死者の数は少しでも減っていたのでしょうか。
台風の進路でさえ、まだまだ完全に予測することなど出来ていません。
これが、地震。それもあまり差し迫っってない、さらには人口密度の低い地域の地震予測など…。
いや。
きっと人間はやります。
いつの日か必ずやり遂げるでしょう。
ワタシはそう信じています。
さて次はどこでしょうか?
ちなみにワタシの住む地域にも活断層があります。
前回・前々回の地震でも、この断層はまだ揺れていません。
地雷原の上を毎日歩いているようなもんですね。
先日思いのほか冷静に行動できたのはコレのせいかも。
ちょうど何日か前に見たんです。
震災のシーンでは、消防のヘルメットをかぶって走り回ったあの日がよみがえります。
一生懸命走っているのにちっとも前にすすまない悪夢のような感じ。
散々走り回って汗だくで、でもぜんぜん暑くなくて、ひんやりとした首筋。
のどが渇いて、唾も出なくて、ヒューヒューと音がする呼吸。
ついさっきのことのようで、胸をえぐられる思いがします。
万が一のその時。
何を感じ、何を考え、どう行動するのか。
それは自分の一生を左右する、と言うより、自分の存在を左右する、とても重大でとても大切なことだと思います。
人間を信じること。
それこそが人間が大自然で生きていくためにもっとも必要なことかもしれません。
「それでも人間が好き」
このblogタイトルは、中越地震を思い出し、後に変更したもの。
人間ってすてたもんじゃない。
いつまでもその気持ちを忘れないように。
新潟県中越沖地震 [新潟県中越地震・災害]
え~…、2週間も怠けてて久しぶりのアップがこの話題なんて(汗)。
今日は会社のパソコンを一斉メンテするので出勤中。
誰も出てない時が一番いいんスよ。
で、一人さびしく1台1台チマチマ、メンテしてたら…。
いきなり「ずごごごぉぉぉー」という地響き。
今回はピンときましたよ。
「あ、地震がくる!」ってね。
最初の1~2秒で、あっこれはデカイ!と思ったので、まずは避難路の確保。
出口までのドアというドアを全開に。
次にはサーバーの状態を確認しつつ、バックアップテープをそろえて、手に持つ。
(非常持ち出し品なので)
そこまでで何秒間だったのでしょう?
揺れはおさまりました。
「停電しないし、サーバーを止めるほどじゃない…」
まだ余震が来ることを考え、テーブルの上に、バックアップテープと携帯をそろえておき、いつでも飛び出せるように準備。
別工場に電話して、出勤中の人の安否確認。
Webで確認すると、この地域は震度5強だそう。
あの時とおんなじ震度。
でも震源が多少遠いからか、それほど大きく感じられませんでした。
なんて…。
こうやって文章にすると、なんて落ち着いてシッカリした対応なんだ、と思われそうですね。
本当は、心臓ドキドキ、キーボードたたく指はブルブル、なのですが。
でも私にしては上等。
昔とった杵柄か?
いや、そんなもんほしくないワイ(汗)。
とはいえ、何度か体験しているってことは、いざという時に違うかも。
たとえそれが訓練だとしてもネ。
※この度の地震でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心からのお見舞いを申し上げます。
一日も早い復興をお祈りしております。
ようやく開通 [新潟県中越地震・災害]
あの道路がやっと開通しました。
『優太ちゃんの祖父が献花 土砂で埋まった県道の開通式』
以前から川を渡って迂回する幹線道路があり、どちらかと言うと近道・裏道の類だったこの道。
カニやスイカ売り、長距離トラックの仮眠…。
前ほど利用者が増えるかどうか。
河川側は崩れ落ちた岩がむき出しで、近づいて行くと強烈な印象を与えます。
お金がないとはいえ、もう少し何とかならなかったのかな。
ちょうどボンバルディア機の搭乗口に向かって歩く時ってこんな感じかも。
いや、笑い事じゃないですよ。
改めて亡くなった母親とお姉ちゃんのご冥福をお祈りします。
関連記事:
『保存するのはいいけれど』