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はっきり [思ひ出ぽろぽろ]

ワタシがまだ性善説を信じていた、社会人になりたての時。

ワタシは高校を卒業した後、上京して会社員として働き始めました。都内には社員寮があり、そこから千葉の事業所まで電車通勤をしていました。通常の通勤客とは逆方向だったので、それほどひどいスシ詰めの満員電車ではなかったのが幸いでした。
その後、一年半ほどして、寮近くの本社勤務となりました。電車だと支線が違うので乗り換え駅含めて2駅でしたが、徒歩だと15分程度だったのでいつも歩いて通ってました。ホント近くて通勤には苦労しませんでした。

本社勤務となってしばらくした頃。ある日の午前中、外出する用事が出来ました。会社にはそれ用の自転車があったので、それを借りて出かけました。
用事自体はさくさくっと済みましたが、その帰り道に、あの事件は起きました。



「ちょっと」

警ら中の巡査に呼び止められました。

「こんな時間に何してる?」

いや、仕事なんですけど。
童顔で身長も低いワタシは、普段から高校生や、ヘタすると中学生に見られることもありました。あー、またか。仕事に出かけて補導されるワタシって何?

学生と間違えてるなーということが丸わかりの巡査に、仕事の用事で出かけてると説明し、免許証や社員証を見せます。普通ならそれで、いやスミマセン、という話になるのですが、その巡査は違いました。

「念のため、自転車を確認させてもらおうかな」
「いったん交番まで行こう」

食らいついたら離さないなー。今度は自転車泥棒扱いですか。
振り切って逃げたら撃たれるかな?

police_man_kenju_gun.png
(いらすとや)


何を言っても聞く耳を持たない巡査。
しかたないので、しぶしぶ交番までついていきました。
交番で防犯登録番号を確認する巡査の奥の机で、若い巡査がこちらをチラチラ見ていました。
その後、無事登録が確認され(当然です)無罪放免になるか、と思いきや。

「一応会社に確認しますよ」

はー?ってなもんですよ。
思わず奥の若い巡査と目が合いました。

(あーまたか…すみませんねー)

若い巡査の表情はそう語っていました。
いつものことなのかもしれません。

暴走する先輩巡査。
ワタシの勤めている会社(世界的にも結構名の通った会社ですw)に電話をかけます。

「石橋と言いますが設計開発センター(仮)をお願いします」
(忘れもしない…石橋巡査です。もしかしたら巡査長かも)

今なら個人名でかかってくる電話を、業務中に取り次ぐことなどしませんが、当時はまだまだ緩かったですね。オペレーターはワタシの部署に電話をつなぎました。

「一応警察とは言ってないからね」

暴走巡査石橋は、後ろめたさを隠すためか、わざとらしく、恩に着せるように、ワタシを見てニヤリとします。あー昔もいたなー、恩に着せるやーつー。警察ってみんなそうなんだなー、と思いました。

関連記事:
 2021/06/25 『うっすら

奥の若い巡査はもう知らんぷりです。

「私、○×派出所の石橋と申します」
(おい言ってんじゃん!)

「そちらにGEN11さんという人はお勤めでしょうか」
「そうですか、ハイ、ワカリマシタ」

電話を切った暴走巡査石橋は、まだ気が済まないけど、打つ手がなくなって仕方なく、といった風情でこう言いました。

「もういいよ」

はぁぁぁぁぁあーーーーー?!!
何だそれ?
ここまでしといて、スミマセンも、ワルカッタも、ないのかよ!
呆れてものが言えないとはこのことです。
結局会社に電話をかけたのは、嫌がらせのためでしかなかったんです。その日、誰でも何でもいいから捕まえて自分の権力を使いたかったのに、ワタシに何の罪もなかった。面白くないので最後に嫌がらせ。いや、お前より自分の方が偉いんだと、今で言うマウントを取りたかったんですね。

あーもうこんなヤツにつきあってるのもバカバカしい。
とっとと帰るわ。

交番を出る際、最後に奥の若い巡査をチラリと見たら、向こうも伏し目がちにこちらをチラリ。こんな先輩であんたも大変だね。警察は体育会系だから上下関係が厳しくて何も言えないのかもだけど、あんたも同罪だよ。思いっきりガン見してから出てきました。


会社に戻ると、案の定、大騒ぎです。

「おまえ、何やったの!」

ってな感じで、散々な一日でした。



以上、理不尽な思いをさせられた警察官三部作。いかがでしたでしょうか。
他にもたくさんあるけどキリがない。ワタシの素行が悪いのか、運が悪いだけなのか。テレビや映画で警官が活躍する作品を見るたび、いつも違和感を感じてしまいます。現実とのギャップを、いつかどこかで書いておかないとなーと思っていました。

思えば、救急や消防には助けられたことはたくさんあるけど、警察に助けられたことは一度もないんだよなー。それどころか、助けを求めたのに怒鳴りつけられた、ことすらあります。そもそも警察は市民を助ける仕事じゃないからね。やっぱり、市民の中から誰かを犯罪者として選び出すお仕事なんだなー、と思い知ることになった、いくつかの出来事でした。


そう言えば以前、テレビだったか何かで、どこかの幼稚園児がインタビューを受けていました。

アナ「将来は何になりたいの?」

園児「警察官!」

アナ「どうして?」

園児「悪いことしても捕まらないから!」


皆さんも、目を付けられないように、目立たないように、ひっそりと、細心の注意をはらって、暮らしていきましょうね。


タグ:警察官
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うっすら [思ひ出ぽろぽろ]

ワタシがまだ正義というものを信じていた、高校生の時。

原付免許を取って、すぐの頃でした。
何か用事があったのか。それが何だったのか忘れましたが、用が済んで家に帰ろうと、市内へ向かう峠道を下っていました。
その道は一応国道で、普段からかなり通行量が多い割には片側一車線しかなく、追い越し禁止、さらに曲がりくねった急な下り坂で、原付には危険な道でした。今はバイパスができて通行止めになってしまった古い峠道です。

原付でトコトコと峠を下っていると、後ろから大きなダンプカーが近づいてきました。あっという間にダンプカーは追い付き、後ろにぴったりとくっついてきます。車線をはみ出しているのではないかと思わせるほどの大きな車体。
原付のすぐ後ろにダンプカーって、めっちゃ怖いです。はっきり言って、死の恐怖を感じました。

永遠に続くかと思うほど長く感じた時間でしたが、峠も終わりに近づいた頃。ダンプカーの後ろから白バイが飛び出してきて、ワタシを止めました。

job_police_shirobai_sunglass.png
(いらすとや)


ダンプカーが後ろに迫られて、思わずスピードが出ていたのでしょう。ワタシは早々に観念しました。ところが白バイ隊員から言われた言葉に、まだ高校生だったワタシは驚きました。

「キミの後ろを走っていたダンプはこの速度だったから、キミは制限速度オーバーね」

そうです。
ワタシの原付の速度を直接レーダーで測ったわけでも、並走して速度を確認したわけでもないのです。他のクルマの速度を測っておいて、それで違反だと言うのです。
確かに理屈も言い分もわかります。でも、そんな捕まえ方ってありなのか、って思いました。白バイ隊員の言いようが、何だか、すれ違いざまに肩が触ったと因縁をつけるチンピラのようで、まだ警察を正義の味方的に見ていた世間知らずの高校生のワタシにとっては、相当なショックでした。

真後ろから山のようなダンプカーにあおられて、恐怖を感じながら走っていたワタシ。峠の急な下りでしたし、確かに速度は出ていたかもしれませんでした。でも確たる証拠は何もなかったこともまた事実でした。今の時代なら、煽り運転などと言い訳や反論も可能だったかもしれませんが、少年だったワタシには警官に口答えすることなど、とても考えられませんでした。

ショックでした。本当にショックでした。その時、たぶんワタシは一言もしゃべれなかったのではないでしょうか。本当に言葉が出ないほどショックだったのです。
警察は正義の味方なんかじゃなかった。警官は、自分一人の判断だけで、犯罪者を作り上げることができる。こいつを捕まえようと狙われたら最後、どんな手を使っても、どんな理由を作ってでも犯罪者にできてしまうんだ。心の底から怖いと思いました。

あの時、あのシチュエーション、あのタイミング。当時のワタシでも、何か変だ、出来過ぎている、という気がしていました。おそらくあの白バイ隊員は、元々大型車に追われる原付を、最初から狙って待ち構えていたのです。急な下り坂で大型車が迫れば、原付は必ず速度超過する。最初からそう睨んで網を張っていた。そこに馬鹿なワタシが嵌った、というわけでした。

「学校には知らせないでおいてあげるから」

その白バイ隊員は、自分の後ろめたい気持ちを隠すためか、わざとらしく、恩に着せるように言いました。その後も、終始笑顔で、言葉遣いは丁寧に、優しく接していました。でもその笑顔の裏で、隙あらば犯罪者に仕立て上げようと、舌なめずりをしている、そんな気配を感じて、16歳のワタシは背筋が凍りそうなほどの怖さを感じていました。

家に帰って親に怒られ、学校に行って友達に笑われ。散々な思いをしたワタシでしたが、その時感じた恐ろしさ、理不尽さを誰かに話したことは一度もありません。落ち度はお前にある、と言われたらそれで終わりですし。
今回敢えて記事にしたのは、ただ単純に、自分に対して戒めのため、思い出話として書き残しておこうと思ったからです。(別にネタがなくなったわけではありません:笑)


あの時、なぜか中学生の時の駐在さんを思い出しました。

関連記事:
 2021/06/19 『もやもや

市民にとって良い警官が、市民にとって良い人とはかぎらない。逆に、良い人が良い警官ともかぎらない。
警察ってのは、市民の味方だと思っていたけど、その市民の中から誰かを犯罪者として選び出す組織なんだ。それが本当に犯罪者かどうかは別として。ということを思い知った出来事でした。

偏った穿ち過ぎの考え、と言う人もいるかもしれません。しかしそのわずか数年後には、その偏った考えを裏付ける、決定的な出来事がワタシを待っていたのです。


あー、続く…のか?
ま気が向けば、続くってことで。


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もやもや [思ひ出ぽろぽろ]

ワタシがまだ世の中を疑うことも知らない、中学生の時。

あれはなんの時だったんだろう。お昼過ぎに下校することがありました。それも給食がなくて弁当持ちだったんですよね。弁当を持って登校したが半ドンだった、という状況かな。でも給食が出なかったということは、最初から半ドンの予定だったのかも。いや、だとしたら弁当を持って行った理由が…?
部活にも入ってなかったワタシ。うーん、なぜそんな状況になったのかよく憶えていません。
憶えているのはそこから先です。

中学校の入り口からすぐ近くに雑貨屋があり、店の前には自販機があります。その隣にはガソリンスタンド。さらに隣に駐在所があります。雑貨屋は今は閉店して長いですが、建物の並びは当時から今も変わりません。

半ドンで下校となった学校でしたが、ワタシと一人の友達だけは二人で路線バスを待っていました。なぜスクールバスで帰らなかったのか。あるいはスクールバスに乗り遅れたのか。そこもよく憶えていません。
路線バスの時間まで30分から1時間くらいあったのだと思います。自販機の前あたりで縁石に腰掛けてお弁当(おにぎりだった)を食べていました。他のみんなはお弁当を持って帰宅したはずで、それを考えると、午後から予定していた授業以外の何かが中止になって、急きょ下校になったのでしょうね。
初夏の頃だったか、それなりに日差しは暑かったような気がします。

そこへ、駐在所のお巡りさんが通りかかりました。
笑顔が優しい若いお兄さんといった感じでした。

「ここじゃ暑いからウチに来たら?」

とかいうようなことを言われ。
駐在所(の住居スペースのほう)に入れてもらいました。
お巡りさんが奥さんに

「道端で弁当食べてて、危ないし暑くて可哀想だから連れてきた」

と説明してくれました。
エアコンがついてて涼しかったのと、奥さんが出してくれたお茶がメッチャ熱かったのは、鮮明に憶えています。その後そこでどんな話をしたのか、これまた細かいことは全然憶えていません。
取りあえず、お弁当を食べ終わり、バスの時間も近くなったので、おいとますることにしました。

玄関を出る時に

「(お世話になって)すみませんでした」

と挨拶して出てきたのですが、後でハッとしました。


今のワタシを他の人が見てたら、どう見ても補導された中学生にしか見えないよな、と。
その時になって、あー、のこのこ駐在所についてなんか行くんじゃなかった、と後悔しましたが、時すでに遅し。変なウワサが立たないことを祈りつつ、路線バスに乗って帰りました。
それからしばらく、学校で先生に呼ばれる度に、ビクビクしていたワタシでした。今考えれば、別に悪いことしたわけじゃないので、必要以上にビビることもありませんでしたが、ワタシもまだ若かった。大人を疑うことも知らず、まだまだ純真な田舎っ子だったんです(笑)。
ただ、あの時の路線バスの中の、もやもやとした気持ちは、今でも忘れられません。

暑くて可哀想という理由で駐在所に招き入れた、あの優しいお巡りさんは、駐在所から出ていく中学生を近所の人がどう見るのか、ということについては配慮してくれなかったお巡りさんでもありました。
良いお巡りさんではあったかもしれませんが、ワタシにとっては良い人ではなかったのかもしれない。いやでも、自分のために好意でしてくれたこと、人を、そんなふうに思うワタシは、もしかして人間として何か欠けているのだろうか。

あの時、初夏の日差しの中を走る路線バスに揺られながら、そんなことをぼんやり考えていた中学生のワタシでした。

police_chuuzaisyo.png
(いらすとや)


今のワタシなら、その問いに答えを示すことができます。

良かれと思って好意でしたことを、相手が喜ぶかどうか、相手にとって本当に良いことなのかどうか、それは自分ではわからない。なのになぜ人はそうするのか。それは、助けてあげたい、という気持ちで起こす行動は、相手のためではなく、助けたいという自分の気持ちに対しての、自分のための行動なのだ。

だから受け手は、助けてもらった、手を差し伸べてもらった、気にかけてもらった、そういったことに対して感謝するのは当然だが、実際に助からなかったり、自分のためにならなかったりしたことを、恥じたり悔いたりする必要はないのだよ。

と、当時まだ中学生だったワタシのもやもやを晴らしてあげたい、と思う45年後のワタシです。いやしかしそれだって、当時のワタシが良いと思うかどうかは、わかりませんけどね。


とまあこれが、ワタシが警察官と直接かかわった、最初の出来事でした。この時に感じたもやもやがきれいに晴れた時にはいったい何が見えてくるのか、ワタシはまだ知る由もありませんでした。

続く…かな?


タグ:警察官
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マスクを笑うものは [今を生きる]

以前記事にも書いたことがあるのですが、娘が高校3年生になって大学受験年度になった時から、ワタシは日常的にマスクをするようになりました。
もちろん、その目的は風邪予防。特にインフルエンザの感染予防対策だったわけです。

関連記事:
 2020/04/04 『らすいち

さすがに自分の車の中とか屋外では外しましたが、会社の中とか電車の中とかお店の中では、常にマスクをしていました。
最初の頃は社員のみんなから奇異の目で見られ

「どうしたの?マスクなんかして、風邪?花粉症?」

と、よく尋ねられました。
その都度

「予防です」

って言ってて。
だいたいみんな

「へー…」

って呆れたような反応がほとんどでしたね。
そのうち、いつしかみんなも慣れたのか、いちいち尋ねられることもなくなりました。それでもたまに、来客など外来者に聞かれることもあったり。
その時には

「私らが危ない菌を撒き散らかしてるもんでねー」

と、イヤミたっぷりに説明してくれる嫌な奴もいたりしました。
毎回カチンとはしたものの、どんな人間も受け入れるワタシとしては、笑顔のふりで全スルーしていました。マスクをしていると、どんな表情をしようと、見えないところがいいですね。

そんなこんなで1年経ち、娘が無事大学に入学した後は、今度は息子が高校受験年度となりました。そのためマスクはまだまだ継続することにしました。
マスクをする前、季節の変わり目になると、よく熱が出て寝込むことが多かったワタシでしたが、マスクをするようになってからは熱を出すことがまったくなくなりました。実際に感染症予防には一役かっていたってわけです。

そしてさらにまた1年が経ち、息子の受験年度は終わりましたが、こうなると逆にマスクは手離せなくなっていました。子供たちのために始めたことでしたが、結局最終的には自分のためになりました。情けは人のためならず、とはこのことです。

マスクを始めてから3年目の冬。
全世界を襲った新型コロナウイルスのせいで、日本中、世界中の人たちがマスクをするようになりました。もちろん社員全員、ワタシを白い目で見たり嘲笑ったりしていた人も。
いや別にザマアミロとは思いませんが、因果応報だなーとは思います。うーん、ちょっと違うか。人のふり見て我がふり直せ?いや違うな。一円を笑うものは一円に泣く?…うーん、いい言葉が思いつかないな。

それにしてもすごい世の中になったものです。
街を行き交う人々、駅やお店で並ぶ人たち、みんなマスクです。一歩下がって客観的な目で見ると、一種異様な光景ですよね。まるでパニック映画のワンシーンのようです。みんなより2年半も前から日常マスクのワタシですから、みんなの大変さは身にしみてよくわかります。

今後、ワクチン接種が一通り行きわたり、もしもこの騒ぎが一段落したとしたら、マスクはどうしようかな。インフルエンザや風邪防止用としては続けた方が良いんでしょうが。
いや、もう二度と完全に元の世界には戻らないのかも。ウィズコロナとか言われていますから、予防するならもうマスクは外せないのかもしれません。
でもインフルエンザのように流行時期だけマスクするとか、さらには通年でのワクチン接種が一般的になれば、特にマスクもしなくなるかもしれませんね。

そんな中でワタシだけマスクを続けていたら、また何か言われるんだろうな。まあみんなの記憶にこの騒ぎが残っているうちは、勝手に察してくれるかもしれません。いや、言う人は言うよね。世の中そういうもんです。

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結論。

「誰が何を言っても気にしない」
「自分の好きなようにする」

以上(笑)!


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すきま風は財布の中だけにして [車]

最近あんまりQ5のdisり記事を書くもんだから、カミサンから「Q5にも優しくしてあげて」と言われました。そんな、人を鬼のように言わないでー(汗)。

関連記事:
 2020/12/29 『価値観の相違が破局を招く
 2021/02/13 『きゅーご、ごーきゅう
 2021/05/09 『 メンテ熱に差がありすぎて笑う

いやーそんなことはないでしょ。
前回だってちゃんとQ5のメンテ記事を書いてるし。

関連記事:
 2021/05/30 『Audiクオリティ

ということで、ちゃんとQ5にも気を使っているってところを、さりげなくアピールしておきますね。


えーと。
インナーカバーが壊れてからというもの、どうも車内のロードノイズがうるさく感じるQ5です。まあタイヤが減ってることも原因の一つではあると思ってはいるのですけど、先立つものがないので、我慢、我慢。
しかし、最近はロードノイズの他に、風切り音も気になっています。そんなこんなで、ずっと前からやりたかった、風切り音対策をしてみました。

納車時(どんだけ?)から思っていたのですが、Q5は前後ドアの間にモールがないんですよね。新旧A6の時はどちらも普通に付いていたので、すごく気にはなっていました。
ネットでは汎用のモールも見かけますけど、もっと簡単に安くできないかと思い、ホームセンターでウレタンスポンジ系のモールを買ってきました。2mで100円ちょっと(笑)。おそらく耐久性はないに等しいかも。まあ、ダメでもともと。逆にどれくらい持つのか、興味があります。

IMG_7195.jpeg

買ってきたのはちょっと厚みが足らない感じでしたが、試しに付けてみました。スポンジなんで外れやすいかな?とも思い、両面テープも買い込んできましたけど、差し込んだだけでも思いのほか安定しているので、取りあえずこのままで効果を確認してみます。

取り付ける前と後で、騒音を測定します。今は何でもスマホアプリがあるので便利ですね。比較のために、同じ場所、同じ速度で計測しています。

ビフォー:
IMG_7193.png

アフター:
IMG_7197.png

いかがでしょうか。
効果…、あったのか、なかったのか。
高音の風切音より、低音のロードノイズが大きすぎて、数値的にはほとんど変わらない。でも微妙に高音域は下がっているような気もします。確かにスースー音が聞こえなくなって、ドアの気密性が一段上がったような感じを受けます(別に気密は変わらんのだけど)。スポンジのなんちゃってモールではなく、ちゃんとしたゴム製のモールなら、もう少し遮音効果が出るのかもしれません。

ネットで売っている汎用のゴムモールだと、前後のドアとドアの間から、モールがツライチに近く顔を出してくるのに比べ、今回のモールはドアの鉄板の厚み分、段差ができてしまっています。やっぱり、なんちゃってじゃダメかなー。

正式なものはネットで買っても1,000円弱でしかないので、それくらい買えば良いじゃん、という気持ちもありますが、最近はお財布のほうにも風切り音が鳴っているのでね。我慢、我慢。
こんなことしてないで、まずはタイヤを替えろってか?
それなっ!


タグ:Audi Audi Q5 修理
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べきからの生還 [座キューピーマジック]

ワタシは若い頃からずっと「~すべき」という考え方にとらわれていました。
クルマの運転はこうするべき、とか。仕事をする上ではこうするべき、とか。対人関係はこうあるべき、とか…。何より「長男はこうあるべき」「男はこうあるべき」というのは特に強かったような気がします。

今から思うと、本当にガチガチの考えでした。だからいつも無理していたし、必要以上に肩肘張っていたし、人の言うことなんか聞かなかったし、で、余裕のない日々を送っていました。
そして、自分に押しつけた「べき」に至らない自分が、世界で一番嫌いでした。どうしてこんなことができないんだろう、なぜこんな自分なんだろう、と、いつも情けなく悔しい思いでいっぱいでした。

一時期はそれで軽い鬱になりました。
それまで会社ではずっと技術職で設計開発に携わっていましたが、ワタシの体調的な理由と会社の組織的な理由により事務職に移動しました。それから1年ほど経ったころ、精神的なダメージは体調に影響するようになっていました。
会社では頼れる人もなく、家で愚痴もこぼせず。息をするのも苦しかったその頃は、家に帰って家族の笑顔を見るのが辛くて辛くてしかたありませんでした。家族そろって賑やかに夕食を取る時、みんなの笑顔を見ていると家族のことがみんな嫌いになりそうで、そんな自分が醜くて悔しくて、さらに自分を嫌いになっていきました。
夜はとても一緒に寝るなんてこともできず、遅くまで仕事やテレビを観るふりをしては、みんなが寝るまで待ち、車庫の二階で一人で寝てた時もありました。
なんでこんなにダメな人間なのかと、一人で悶々とする日々。それでも、家族に心配をかける「べきではない」と思っていたワタシは、気力を振り絞って普通に見えるように取り繕っていました。だからみんなは気付いていたかどうか、いや憶えていないだろうな。

でも、そのどん底の状態からワタシを救い上げてくれたのが、昔から都合がつけば必ず観に行っていた、キューピーマジックの公演でした。

実はその公演は行きたくないと思っていました。観劇なんてそんな気分じゃない…ってのが本音でした。でもちょうど20周年記念公演だったし、カミサンは楽しみにしているしで、どうしても行かないとは言い出せず、重い身体と、重い気持ちを引きずって、観に行ったのでした。

関連記事:
 2008/07/08 『Vol.49 ライフ

詳しい顛末は上記の記事に譲りますが、その公演にワタシは救ってもらえました。あの脚本に、あの俳優の皆さんに、あの劇場の空気に、あの舞台に。もしあの公演を観に行かなかったら…と思うと、今は本当にゾッとします。
この記事には、娘役で出演されてた役者さんからもコメントをいただきまして、ワタシはそのお返事にこう書きました。

> 今回は(今回も)とても癒されました。
> 癒されたという言葉では足りない何か…。
> 「助けていただいた」と言った方が近いかもしれません。
> 最近ワタシにとってキューピーマジックはほとんど宗教になりつつあります。(合掌)

本当にそうでした。
何だ「べき」なんて自分自身の作り出した足枷でしかなかったんだ。嫌だったり無理だったりしたら、そんな足枷に従わなくてもいいんだ。必要以上に「べき」に囚われることはないんだ。

『もう「べき」なんかに従わない』
そう自分で決めさえすればよかったんだ、と。

7月の下北沢。蒸したアスファルトの匂いですら、やたら心地よく感じた劇場前の道路。ずっと長く抱えていた重い荷物が、ふと突然消えてなくなったような感覚。劇場から一歩出た時の「まだ生きてる。あぁ助かったんだ…」といった感情を、今でもはっきりと憶えています。



たった1回の公演が、いとも簡単に人の一生を左右する。
それは演劇だけではありません。1枚の絵画かもしれないし、1曲の音楽かもしれない。その人にとっては、一生に1度あるかないかの貴重なワンチャンスなのです。
今「自粛」という二文字で、その機会が奪われてしまっていることに、悲しみと無念さ、そして怒りを感じています。スポーツは許されて芸能はなぜ許されないのか。
確かにスポーツで元気をもらう人もいるでしょう。でもそれと同じように、芸能に救われる人もいるということを、もっと多くの人にもわかってもらいたいと、ワタシは強く思うのです。



座キューピーマジック公演
『Vol.72 ムーンライト・セレナーデ』

この演目も、その昔、ワタシの結婚観に大きな影響を与えた演目でした。
Vol.72も観に行きたかったな…(泣)。
ご覧になった皆さんはいかがでしたか。

vol72.jpg

関連記事:
 1995/07/30 『Vol.20 愛をあたえることに疲れた天使と愛を奪うことに疲れた魔女の物語
 2000/05/10 『Vol.30 ムーンライト・セレナーデ
 2007/11/29 『Vol.48 ムーンライト・セレナーデ
 2012/12/19 『Vol.58 ムーンライト・セレナーデ


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